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4、威圧的に大歓迎
「ああそうだ。エイプリル。オスローさんが呼んでたぜ。今日は客が来るってよ」
「……客?」
「そ。特別待遇でお出迎えしろってさ」
あいつらか、と苦い声で呟いたのは工房の主である。
首を傾げているのはエイプリルだけで、フェイクも見当がついているらしい。
「気が重いよなあ。安全装置付きの凶器なら、まだいいんだが」
「どれが来るかわかんねえのか」
「わかってりゃあ、きちんと通達されるだろうさ。何せ相手はブラックボックスだ」
ここまで聞いてやっと理解が追いつく。街中や仕事場であの宣伝文句が垂れ流されるたび、彼らをそう呼ぶ声を聞いた。
「葬儀屋、ですか」
「そうさ。あのくそったれな猿共……まったく、何しに来るんだか」
「仕事では?」
「にっぶいな。だから、それがどんなもんかって話してんだよ。どうせろくなことじゃねえんだろうさ」
「最近なんかあったか? この辺で」
「うーん、まあいつも通りじゃね? なあ?」
そうですね、とエイプリルは肯定する。
いつも通りの、混沌とした日々だ。
殺し殺され潰しあう屑の動向など、いちいち気にしていたらキリがない。
オスローに直接尋ねるのは憚られた。
彼はもちろん詳細を知っているに違いない。そのために猿を呼んだのだろうから。けれど、この段階でそれがフェイクにもエイプリルにも工房にも伝えられていないとなると、意図的に情報を秘匿していると考えるのが自然だ。ならば、要らぬ好奇心で煩わせることはない。支部の頭脳は彼であり、考えずその命令に従って動く手足としてエイプリルたちがいるのだから。
葬儀屋ヒヒの特徴は何と言ってもあの奇怪な猿の面だろう。東洋では、三猿と言えば「見ない、聞かない、話さない」という意味があるのだという。そこであの謳い文句となるわけだ。教養のないエイプリルがこんな雑学を知っているくらい、「三つ子猿」はアコールソーンに浸透し、恐れられている。
檻のような門扉から支部の敷地内にある迎賓館まで、ずらりと並ばされた屈強で物騒な構成員は圧巻の一言に尽きた。
ここはヘイジェンター。
近接戦闘に特化した三大派閥の一つである。
遠距離にこだわるローディスタントや闇鍋感のあるティッグスにはない、ぎりぎりの間合いを好む者特有の空気があった。
鈍いと言われるエイプリルさえ、この威圧的な通路を歩くのは、得物を持っていても躊躇ってしまうだろう。
エイプリルはなかでも、最も迎賓館に近いところで背筋を伸ばしさりげない仕草で後ろ手に得物を握っていた。
会ったこともない葬儀屋に好悪の感情は特にない。しかし、彼らの電波ジャックは、それが時報として街に受け入れられていたとしても、アラーム嫌いの彼女を刺激して余りある。荒んだ青い瞳の、雪原のような冷たさを、真正面に立たされたフェイクが引きつった半端な笑顔で宥めた。
エイプリルは意識して瞬きを繰り返す。
彼女は自分のつり目が時に驚くほど攻撃的かつ残酷に見えることを知っていた。化粧をする時にはなるべく目尻を下げて柔らかくみせる工夫もしている。
その成果があったのか、あるいは単に客人の到着に気づいたせいか、フェイクがふと笑顔もどきをやめる。
人影は一つ。
視野の広いエイプリルは、彼が黒いツナギのチャックをへそまで下ろしていること、その下はたぶんタンクトップで、チョーカー、ピアス、リングなど様々なシルバーアクセサリーを身に付けていること、ポケットに左手を突っ込み、編み込んだりピンで止めたりかんざしを刺したりして遊んでいる黒髪を右手でいじっていることを確認した。
笑う猿の面のせいで表情はわからないが、たぶん、笑っているのだろう。
軽薄な印象だ。
フェイクが意識して振る舞っているのに比べて、彼はごく自然な調子で通路と化した構成員に話しかけ、肩を叩き、かといって立ち止まるわけでもなく進んでくる。
「……キカザルか」
オスローの呟きが聞こえた。わかっているが一応、秘書に確認したようだ。秘書は手帳を見てそっとうなずく。笑う猿、軽薄な容姿と行動。キカザルは大量の構成員を見ても臆するどころか楽しくて仕方がないらしい。
「んー、何か大歓迎? すげーなオスローさん。こいつら暇してンの?」
「いいや。わざわざ呼び出してしまったのでね、せめて歓迎の意思を示そうと思ったまでだよ」
キカザルは表情が見えないぶん、首の傾けかたまで大げさだった。首というよりは腰が起点と言ってもいいくらいだった。
「ふうん? へーえ? それわかってねーやつもいたケドー?」
「……それで話しかけていたのかい?」
「やーまあそれはサ。ちょっと親睦会でもしよっかナーって」
キカザルは、フェイクや工房の主の言うところ「安全装置のない凶器」だ。
親睦とはまた随分聞こえのいい台詞だが、要はいたぶる相手を探していたに違いない。薬をしている者特有の肌色ではないから、あくまで健康体で、これだけ吹っ切れているらしい。
狂気と正気に境がないのだ。
快楽殺人者は「人を壊すことが楽しい」人種だが、この青年は「人を壊すことすら楽しめる」人種だ。なるほど、安全な人物とは言えまい。
「やめてやってくれ」
ここまで侮辱されても、オスローはあくまで下から申し入れた。
らしくない。
支配者然とした上司の姿ばかり見てきたエイプリルは、無礼への怒りより驚きが勝っていた。へりくだる、というのは言い過ぎかもしれないが、このアコールソーンでは言葉尻一つさえ立場を崩壊させるきっかけになる。失言でうしなうものは大きい。それを十分承知しているオスローがここまでするほど、葬儀屋には価値があるのか。
ぞっとした。
ブラックボックス。
彼らは一体どこまで許されているのだろう。
そうして、許さざるを得ない何を、ヘイジェンターは、いやこの街は、握られてしまったのか。
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