野球少年 中学校編 2

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野球少年 中学校編 2 目次 第四章 阿部先輩 第五章 三日月の夜 第六章 死闘ふたたび 第七章 奇跡の硬球ふたたび 第四章 阿部先輩 夜。 父さんが思い出したかのように「練習試合はどうなった?」と聞いたから、僕は「勝ったよ」と答えた。すると父さんは「硬式か?」と意味不明なことを聞いてきたから「僕らは軟式だよ」と答えた。 「ああ、それなら2軍だな」 「何?それ」 目を丸くしている僕に父さんは教えてくれた。 「中島の1軍は硬式だ。だからよほどの事がないかぎり地元の軟式大会には出ない。県大会でもな。それより東京あたりの硬式チームと試合しているはずだ」 なるほどと思える部分が確かにあった。あれでは甲子園予備軍とは思えなかったからだ。 「中島は、お金持ちの学校だからな。スケールが違うんだよ」 父さんは笑っていた。 実は秋季大会のあと、中島のスカウトがうちにやってきた。 特待生でとのことだったが、僕は東原のみんなと野球がしたかったから、一も二もなく断った。その後、お母さんと父さんがヒソヒソ話しているのを偶然にも聞いてしまった。要約すると、悪い話ではないが、お金持ちにまじるのは気後れするから、勇太が断ってくれて正直ほっとしたというものだった。うちはそんなに裕福じゃない。それは僕にもわかっていた。だから、僕は身の丈にあった生活を送ればいい。ただ、その身の丈を自分で伸ばすんだと思った。これも、鬼監督の教えのひとつだった。できもしないプレイをしないで、できるプレイを増やすこと。うん。これでいいんだと思っていた。 それにしても、中島の1軍といい、中学校の県大会といい、世の中は僕の知らないことばかりだ。中学校でも県大会があるのなら、岩松兄弟との再戦も、近いかもしれない。 月曜日。 掲示板に校内新聞が貼り出されていて、「ご自由にお取りください」と書かれた紙の貼ってある机の上には、おそらくその新聞が置いてあったのだろうが、既になくなっていた。 1面にはでかでかと「ミラクル野球部!中島中を撃破」と威勢のいい見出しが躍り、本文には氷山先輩の活躍が誉めたたえられていた。そして隅っこに、期待の新星「0点男」と僕の紹介が載っていた。 ばかやろう。 褒めているのか、喧嘩売っているのかどっちだと思った。なにもそんな紹介をしなくてもいいじゃないか。おそらく僕は真っ赤な顔をしていたのだろう。そんな僕を見つけた橋本がニヤニヤしながら近づいてきたから、僕はダッシュして逃げた。 新聞部と購買部は小学校にはなかった。だから僕もちょっと大人になったような気がして愛着を感じていたが、もう校内新聞なんて読まないぞ。 その日の夕方。 部の練習で恵比須顔のキャプテンが、僕らにタイヤ引き全力三十本を命じた。 このキャプテンはやっぱりおかしい。いじめじゃないかと疑ったが、キャプテンはこう言った。 「お前らは十分基礎ができているから、今はとにかく体力をつけるんだ」 まあ、いまさらながらの感じはあるが、間違いじゃないから僕らは従うことにした。 「あ、言い忘れた。この前、試合に出なかった者は草むしりとボール磨きをやってからタイヤ引きをやれ。タイヤの数も少ないし、交代交代だ」 キャプテンはニカッと笑った。 あ、やっぱりちょっとはいじめだと、僕は思った。 思ったより、タイヤ全力三十本はこたえた。 僕はタイヤ引きのあと、グランドに座り込んで一休みしていた。 すると後ろから 「ちょっと、君」 という女の人の声がした。 左右を見たが誰もいないので僕のことなんだろう。そう思って振り返ると、見慣れない女子生徒が立っていた。背丈は中くらい。細身でショートカット。色白で整った顔立ち。意思の強そうな瞳が印象的だった。たぶん上級生だ。 「どなたですか?」と僕はたずねた。 訝しむ僕の表情にやや驚いたようだが、その女子生徒は微笑みながら言った。 「あら、思ったよりあどけないのね」 何?それ。だから何?そう思って僕はいよいよ訝しい表情になった。 「練習の邪魔だと思っている?」 「いや、それはないけど」 「じゃあ、私の質問に答えてくれる?」 「いやだ」 「あら、はっきり言うのね」 「先ずは名乗ってください」 「ああ、そうね。ごめんね。私は阿部涼子。新聞部部長よ」 げ、新聞部だって。「0点男」呼ばわりした新聞部の、しかも親玉か。 「嫌そうな顔をするのね。わかりやすいわ。でも不思議ね。マウンドではあんなにクールで堂々としていたのに」 「それは、勝つためですから」 「あなた本当に1年生?どこでそんなこと学んだの?」 「先輩の質問の目的がわからなければ、これ以上は答えません」 阿部先輩は笑った。 「君は頭も良さそうね。でも警戒しすぎじゃない?」 余計なお世話だと思いつつ、僕は無言でいた。 「私はね、君を買っているの。あの試合、君がいなければ勝つことはできなかったでしょうね。氷山君じゃないのよ。ヒーローは」 そこまで言って、急に先輩は目を丸くした。そして、急にぷーっと噴き出した。 え?何?そう思っていると先輩はかがんで僕の目線に降り、僕の肩を叩きながら言った。 「氷山君中心の記事だったから、あなたひょっとしてスネているの?」 「ちがいますよ」 「ごめんね。あなたが勝つためにクールなように、私も多くの人に新聞を読んでもらいたいの。だから、有名な氷山君中心にしたのよ」 「氷山先輩は、やっぱり有名なんですか?」 「そうよ。親衛隊だってあるのよ」 先輩は、急に優しい表情になり、僕の顔を覗き込んだ。 僕はドキッとした。年上の女の人とこんな至近距離なんて初めてだ。ふと、いいにおいがした。 「氷山君は、君にとってどんな先輩?」 僕は気恥ずかしくなり、横を向いて答えた。 「先輩は、目標かな」 「ふ~ん。さすがにもうわかっているんだね。やっぱり君も一流だわ」 僕は何て言えばいいのか分らず、押し黙った。 阿部先輩は急に立ち上がり、笑顔を見せた。 「今日は、まあ、ごあいさつね。取材はまた改めて。向こうで田所君がにらんでいるから。またね」 そう言うと阿部先輩は去って行った。 入れ替わりに藤岡出身の長尾がキャプテンの命令を伝えにきた。内容はこうだ。 「俺の取材にこいと伝えろ」 ダメだ。キャプテンは。やっぱりどこかがおかしい。そんなの自分で言ってくれ。おまけに、伝令なんて使うな。そんなことぐらいで。 でも、そうは言っても新聞の力は大きかった。僕が校内を歩いていると、周りの人がなにやらヒソヒソ話をしている。知らない先生までもが、「お前が0点男か」と笑顔で話しかけてくる。あの、そこ違います。僕は谷山です。と言いたくなるが、せっかくの戦勝ムードなので黙っていた。 そんなある日の昼休み。 クラスメイトたちと雑談していると、「谷山君お客さんよ」とクラスの女の子が教えてくれたので入口を見ると阿部先輩が立っていた。先輩は、笑顔で手を振った。 「何ですか?」 僕は先輩に近づいて聞いた。 はっきりいって、先輩は目鼻立ちの整った美人だ。 クラス中がざわめきだした。 「ごめんね。急に。ちょっといいかな」 そう言って先輩が手招きするから、僕は誘われるままついて行った。 校舎をつなぐわたり廊下で、先輩は言った。 「聞いたわよ。あなた、すごい努力家なんですって?」 「誰に聞いたんですか、そんなこと」 「白石君。幼馴染なんでしょう?」 「そうですけど」 「いいわね。感動の物語になるわ。血のにじむような努力の末に中島を倒したなんて。まるで熱血まんがね」 雲の上か何か別世界に行ってないか。先輩は。 「それに、白石君の亡くなったお父さんと約束したんでしょう?甲子園。いい話よね、泣けるわ」 だから何ですかと思っていると、先輩は唐突なことを言った。 「というわけで、しばらく密着取材するから、よろしく!」 あらら、そうきたか。 一方的に言うだけ言って、先輩は去って行った。 僕は「迷惑です」と言いそびれた。何か台風のような人だな。先輩は。でもどっちにしても僕の練習にはついてこれないだろうから、まあ、いいか。 しかし翌朝6時。 先輩はジャージ姿で自転車に乗って僕の家の前にいた。 笑顔で「おはよー」と言った。 準備万端って感じだった。でも、今の季節は既に明るいとはいえ、女生徒ひとりで大丈夫かと思ってそう言うと、 「へぇー、そんな気も使えるの。中一で」 とおかしな感心をしていた。 「でも心配しないで。夜討朝駆けは取材の基本だから。そんなことくらいでへこたれていたら、記者はつとまらないわ」 いや、その。記者うんぬん言う前に中学生ではないですか。僕らは・・・ 「そんなことより出発よ」 笑顔を見せる先輩に、僕は妙な感じを覚えた。昔、恵ちゃんと海に行った時以来の感覚だ。僕は慌てて妙な気分をかき消した。そして、しょうがないなあと思いつつ、ランニングを始めた。 そんな調子でその日一日、阿部先輩は僕を観察していたようだ。 夜。 僕は壁当てしようと家を出た。 すると、また先輩が自転車で家の前にいた。 なんで、壁当てまで知っているのかと思っていると、 「白石君にも、春木君にもちゃんと聞いて調べているんだからね」 軽やかに笑う先輩。 そんな笑顔を見ていると、もうどうだっていいや。 僕はいつものように投げ込んだ。 側でしゃがんで見ていた先輩は、不思議そうに聞いてきた。 「いくつか、聞いていい?じゃまにならなければだけど」 「いいですよ」 「最大の疑問。どうしてあなたのフォームはそんなにきれいなの?」 「え?そんなに意識はしてませんけど」 「いや、きれいよ。とても。流れるようだわ」 思い当たることと言えば、あの重い奇跡の硬球を楽に投げようと努力したからじゃないかな。でもあれは僕と恵ちゃんの秘密だ。とても言えない。あとは・・・ 急にフラッシュバッグするイメージがあった。 そう。白石の親父さんだ。 たまに見せてくれた全力投球のイメージ。 流れるようなフォームから繰り出される弾丸のようなボール。 そのしびれるような格好良さに僕は憧れた。 あれが、原点なのかもしれない。 「なるほどねえ。ミラクルボーイの原点はそこにあった訳ね」 「だと思います」 「いい話ね。白石君のお父さんは亡くなったけど、今もあなたたち二人を導いてくれているのね」 僕は胸がつまった。 確かに、そうとも言える。 僕は親父さんに憧れ、その背中を夢中で追いかけているのかも知れない。 「でも、もう決して追い越すことはできないんだ」 僕がついそう言うと、先輩は「そうね」と言った。 記者云々言ってはいても、先輩は慣れない朝練とかで疲れていたのだろう。そんな感傷的な雰囲気で、密着取材の初日が終わった。 翌朝。 先輩は僕を見つけると「おはよー」と元気な声をかけてきた。それからしばらく、さすがに朝と夜にはもう来なかったが、部の練習を中心に話を聞かれたり、観察されたりして密着取材が続いた。いつの頃からか僕も先輩に打ちとけ、笑顔で手を振ったりしていた。 第五章 三日月の夜 新緑のいぶきを感じる5月の半ば。 中島との試合以来、姿を見せなかった監督が唐突にやってきた。 僕らはいじめのようなうさぎとびを中止し、監督のもとに集まった。 「あー、みんなごくろう。今日は新しいナインを発表しようと思ってやってきた」 それも唐突だったので、みな一様に驚いた。 横にいた東原出身の先輩に「いつもこんな感じですか」と聞くと、「いや、いつもはオーダーなんてない。みんな好き勝手にやっている」と、それはそれで恐ろしいことを言った。だから、今日の発表は、まだましなのかも知れない。 「いいか。発表する。1番、センター岩本。2番セカンド松村」 まあ、順当な滑り出しだ。 「3番ライト谷山、4番ピッチャー氷山、5番ファースト田所」 まあ、これも順当か。僕は1年だし、控えなんだな。 「6番サード山村、7番ショート田中、8番レフト神崎(東原の先輩)、9番キャッチャー春木。控えピッチャー本田と吉岡。以上だ」 あれれ、控えに僕の名前がない。 それに気づいたはるちゃんが聞いた。 「谷山は控えではないのですか」 監督は何食わぬ顔で答えた。 「ああ。いらん。直球しかないピッチャーはな」 何!? みな一様に驚いた。 「それに、右が4人もいらんだろう」 はるちゃんが食い下がった。 「でも、みんな谷山を頼りにしてます」 監督は笑っていた。 「直球だけなんて、中学以上では通用せんのだ」 「でも、この前は勝ちましたよ」 「1回は通用しても、2回目は通用せん」 さすがにキャプテンも言った。 「監督、谷山は本物です。なんとかなりませんか」 「ならんし、いらん」 そんな・・・ 僕は目の前が真っ暗になった。「いらん」なんて、生まれて初めて言われた。心のショックが大きすぎて、僕は何が起こっているのかさっぱりわからなかった。このヨッパライは一体何を言っているのだろう。 「じゃあ監督、変化球を覚えてもらったらどうですか」 「そうですよ。試しに投げたことは何度もあるし」 「谷山がいなかったら、僕らは不安です」 結局、後から分ったことだが、この時監督は、チームのみんなが僕を頼りにしすぎることを懸念していた。だからわざと憎まれ役になって突き放す言い方をしていたのだ。このままではチームは成長しないし僕もつぶれると思ったらしい。僕が大人になって初めて気づいた監督の親心のようなものだった。何故なら、と、いろいろあったが、それはまた別の機会に話すことにしよう。 しかし、この時の監督は辛らつだった。本気で憎まれ役を演じていた。 「ばかか。おまえらは。谷山は3番ライトなんじゃ。おらんわけじゃない。ワシは谷山のバットマンとしての才能を見込んでいるんじゃ。それは氷山以上だとわからんのか」 ただのヨッパライと思っていた監督の勢いにみんな呑まれてしまった。 言いたいことをグッと堪えた。 「確かに谷山は1年だからこれから変化球も覚えられるだろう。しかしそのためにバットマンの才能を犠牲にすることはないし、ピッチャーは4人も必要ない。中島じゃあるまいに、そこまでする必要のあるチームではなかろう」 「どういう意味ですか、それは」 「みんなも知っていると思うが、この前の中島は2軍じゃ。1軍の猛者たちだったら、お前らなんかが勝てるもんか。身の程知らずが」 監督は喧嘩を売っているのかと思ったが、その前に「いらん」と言われた心理的ショックから立ち直れていなかった。 しかし、みんなは発奮した。 納得できないと食い下がった。 それこそ一人を頼りにせず、みんなにやる気をもってもらいたい監督の思うつぼであった。僕らはまんまとはめられた。みんなの熱意におれるかたちで、監督はある提案をした。 「わかった。ではこうしよう。お前たちの熱意をかたちにしてワシに見せろ。それなら谷山のピッチャー復帰を許そう」 「かたちってなんですか」はるちゃんが聞いた。 「中島の1軍に勝つことだ」 驚きの声があがった。 しかし相手は硬式で、地元の大会には出ないはずだ。 「今度は1軍で、きちんとした試合をと、中島が言ってきている。軟式でいいそうだ」 みんな驚きを超えてどよめいた。 中島は本気だ。先日の敗戦がよほどこたえたのだろう。 あれから僕もいろいろと聞いたのだが、中島の1軍は七十名を超える部員の中から選ばれた猛者中の猛者で、高等部と一緒に練習している。決して勝てないとは思わないが、途方もない目標であることも確かだ。 「とにかく勝てばいいんだな」と、やまちゃんが言った。 「そうだ。本気の中島に勝てるほどのチームであれば、ピッチャー4人は必要だろう。谷山の復帰を許す」 その日の夜。 僕は力が抜けたような状態で、壁当てをしていた。 まさかこんなことになるなんて想像すらしていなかった。心が重くて、体がだるくて、どうしてもボールに力が入らないから、僕はその辺に座り込んで一休みすることにした。ほどよく涼しい夜風にあたり、ふと見上げると今日の夜空は澄み渡っていた。三日月はこうこうと輝き、近くの金星もひときわきれいだった。対象的に「いらん」と言われた僕の心は全くの曇り空。僕の存在そのもの全てを否定されたかのようで、僕の心の中は、今にも土砂降りになりそうだった。 「よう、谷山」 白石の声が聞こえた。 振り返ると白石が立っていて、ちょっとした敬礼のような手振りであいさつしていた。 「心配するなよ。勝てばいいんだからな」 白石は僕の横に座り込んだ。すると今度は「そうだよ」という新田の声が聞こえた。 「谷山君。心配いらないよ。僕は補欠だけどできることをするから。親戚が何人か中島にいるから、手伝ってもらって色々と敵のデータを調べておくよ」 「それにな」と、今度はまっちゃんの声が聞こえた。 「確かに俺たちだっていいピッチャーが相手だとなかなか点は取れない。でも、粘ることはできるし、いよいよになったら全員バントだってデッドボールだって何でもするさ」 田中も来ていて「守備だって」と言った。 「データに合わせてきっちりポジションどりしていれば、いかに球足が速くても俺たちならきっとなんとかできる」 田中の言葉を継いで「もともと守備のチームだからな。俺たちは」とガンちゃんが言った。 「だから」と、はるちゃんが言った。 「気持ちを切らず、俺達を信じてくれ」 やまちゃんが吼えた。「俺らは負けねえ」 気がつくと東原のメンバーが全員いた。 みんな思い思いの言葉で僕を励ましてくれた。 「おもしろいね。君たちは」と、おまけに阿部先輩まで来ていた。 はるちゃんが言った。 「ちょうど1年くらい前かな。ふうちゃんがいなくなって、もう無理だって三連覇をあきらめかけた時、谷山が現れて夢をかなえてくれたんだ。だから、今度は僕らが谷山の夢を守ろう。絶対勝とう。そして監督に認めさせよう。忘れるなよ、僕らは中島に絶対王者と言われたチームなんだ」 「なあ、はるちゃん。こうしてみんなが久々にこの東原のグランドに集まったんだ。あれ、やろうぜ」 まっちゃんが促すと、白石が聞いた。 「声出しか?」 「ああ」 「久しぶりだね。半年くらい?」と新田が言った。 「よし、やろう。気合を入れろ!」とはるちゃんが言い、僕らは円陣を組んだ。 「ひがしー!」 「ファイ!よーし」 僕らはひときわ大きな声を出し、みんなでハイタッチした。 三連覇を成し遂げたあの頃の強い気持ちが、戻ってきたかのようだった。 翌朝。 掲示板には速報版の校内新聞が貼り出してあった。 見出しはこうだ。 「三日月の誓い。夢は現実を打ち破れるか?ミラクル野球部、中島1軍に挑む!」。 第六章 死闘ふたたび 思えば僕らの前にはいつも必ず中島があった。 全力で立ち向かわなければ勝てる相手ではない。しかし相手が強ければ強いほど、野球はおもしろい。草野球のようなワンサイドゲームなんて、僕には必要ない。今のところピッチャーを外されたが、それでも仲間を信じることでやけばちにならず、今まで通りに個人練習を重ねた。新田は部の練習を休んでまで、中島の偵察に行っていた。氷山先輩ははるちゃんとバッテリー間の確認をしていたし、吉岡や本田先輩にはキャプテンが指導していた。東原以来の仲間はもちろん、新しい仲間も勝つためにできることを積み重ねていた。 そしてその日はやってきた。 梅雨のはしりのような雨がときおり落ちる不安定な天気の日だった。 僕らには中島のように専用バスなんてないから、当然路線バスと電車で中島へ向かった。 どの顔にも緊張が見て取れる。やるだけやった実感はあるが、何があっても負けられないという悲愴感のようなものを背負っていた。このところ部の練習に顔を出すようになった六家先生が引率しているが僕らの事情を校内新聞で知っているから悲愴感が伝染しているようで、ずっと無口でいた。 やがて中島に着いた。 担当職員に案内されて行ったグランドは、それは素晴らしい専用グランドだった。小さな県営球場といった感じで、フェンスもダッグアウトも、スコアボードも、そしてナイター設備に、観客席まであった。新田情報では、高等部と一緒に中等部の1軍がここで練習しているらしい。 なるほど。父さんの言った通りだ。まるでスケールが違う。 こんなところで練習できるなら、確かに悪い話ではなかった。 でも、と僕は考えてみた。 味方ピッチャーがピンチでも誰も声をかけないようなチームで、ひとりひとりの技術は高くても、ともに戦う姿勢が見えないのが、小学校時代の中島というチームに対する僕の印象だった。できて当たり前、できなければ周りの者がしらけている。僕らは違った。鬼監督の陰口を叩きながらも信頼し、またチームメイトを信頼し、ひとつひとつのことに、ともに一喜一憂した仲間たち。思えばそんな仲間がいたから僕はやってこれたんだ。だから僕は仲間と共にあることを選んだ。今、仲間たちは僕の為に覚悟を決めてくれている。僕は、そんな仲間たちのために出来ることをやる。今日の登板はないが、点をとることはできる。たとえ1点でも、何が何でも取ってやる。 中島は、この豪華なグランドを僕らの練習のために譲ってくれた。慣れないだろうからという配慮からだ。中島の選手は、2軍のグランドでアップしてくるそうだ。 実は中島には計算があって、旧東原の才能豊かな選手何人かをピックアップしていたようだ。中学では無理でも、高校にはスカウトしたいという思惑があったので、何度も試合を申し込んだり、素晴らしいグランドを見せびらかしたうえに融通をきかせたりしていたらしい。と、ずいぶん後で聞かされた。 さて、そんな大人の事情は置いといて、僕らの練習が終わるころ、担当職員が困った顔をして六家先生のところにやってきた。 「泉川さんの生徒も、うちの生徒も試合を見せろと大勢来ていますが、公開試合にしてもよろしいでしょうか」 六家先生は噴き出して笑った。 「そちらがよろしければかまわんでしょう。前回の試合もうちの生徒が大勢、勝手にやってきて勝手に応援していましたから」 ああ、また氷山親衛隊かと思った。今度は子供の事情か。新聞の影響なんだろうな。まあ、好きにすればいいさ。 観客席に観客が入ってくる頃。 うちのヨッパライと、中島の選手がやってきた。 ヨッパライは何か言っていたが、置いといて、僕の視線は中島の選手たちにくぎ付けとなった。彼らは郷土代表として何度も甲子園中継で見たお馴染のユニフォームを着ていた。1軍は高等部と同じユニフォームなんだ。ちょっとだけまぶしさを感じた。今度は、不敵なキャプテンもゴツイ男もおらず、見慣れないたくましい男たちばかりだった。「コイツらはできる」と、直感でわかった。甲子園予備軍のオーラをぷんぷんさせていた。 「あ、氷山がいる」と、中島のひとりが言ったが、氷山先輩は無視していた。 「おい、氷山。親父と一緒に夜逃げしたんじゃなかったのか」 誰かが言うと、中島メンバーはみんな笑った。 え?何?夜逃げって・・・ 僕がそう思っていると、担当職員が1軍メンバーたちを叱っていた。 氷山先輩は何事もなかったかのように、はるちゃん相手に淡々とキャッチボールしていた。 中島の選手も軽くキャッチボールだけ行った。 何人かが「軟球なんてやってられねー」のような事を言っていた。 いちいちうるさい奴らだなあと思った。一体何様のつもりなんだ。こいつら。そう思うと僕の闘志に火がついた。 予定の時刻になった。 雨もひとまず上がっていて、試合開始となった。 僕らは円陣を組んだ。 「いいか。正直相手は化け物だ。しかしな、俺たちには根性がある。そして谷山を助けるという覚悟がある。みんな、死ぬ気でぶちあたれ!」 キャプテンがそう言い終わると、はるちゃんが声をかけた。 「いずみかわー!」 全員で声を張り上げた。 「ファイ!よーし!!」 ダッシュしてホームの前で整列した。 先に整列していた中島の選手たちはニヤニヤしていた。 「お子様じゃねえか」 「こんな奴らに負けやがって2軍の連中は」 などとほざいていた。僕は「今に見てろよ」と思った。 1回表。 先攻は僕らだ。 攻撃前に円陣を組んで、はるちゃんが言った。 「いいかい。新田の報告では、あのピッチャーは例の大きなカーブがある。でもほとんど外れるそうだから、無視していい。それよりも勝負にきた直球を狙って行こう。谷山よりは遅いそうだ。あのニヤついた男くらいだろう。それに、さっきの整列を見ただろう。彼らは油断しきっているし、軟球にも慣れていないから上から叩いてゴロを打つんだ。ゴロなら扱いが不慣れだし、油断もあるし、可能性が高い。僕らの足でかきまわすんだ。何が何でも絶対あきらめるな。全力疾走だ。しばらく試合もないし、明日倒れたってかまわない。今日この試合に全てを出し切ろう」 キャプテンが続けた。 「春木の言うとおりだ。絶対あきらめるな。あのユニフォームにもビビるんじゃねえ。同じ中学生だ。わかったな。よし、気合入れて行こう!」 はるちゃんが再び掛け声をかけた。 「いずみかわー!」 大声で声をあわせた。 「ファイ!よーし!」 中島三塁手のひやかしが聞こえた。 「お~ぉ、元気がいいねえお子様は」 プレイがかかった。 1番はガンちゃんだ。 1球目。 外角低めに決まった。 2球目。 同じく外角低め。でも外れた。 確かに新田の報告どおりだ。悪い球ではないが、打てない球じゃない。確かにニヤついた男くらいだ。あの川上よりも遅い。 3球目。 例の大きなカーブが来た。中島伝統のカーブらしい。報告どおり外れた。それもワンバンになった。 4球目。 勝負、というより誘いの高目が来た。普通なら打ち上げるか空振りだろう。見逃せばボールだ。でも、大根切りにはほどよい球だった。しかし、ガンちゃんは冷静に見送った。僕には分った。思ったより手元で伸びるから手が出せなかったのだ。それが、甲子園予備軍と言われるチームのピッチャーの球なのだ。 やはり1軍は違う。タフな戦いになりそうだ。 1-3からの5球目。 ガンちゃんは、得意の神業セーフティをしかけた。 しかし、わずかに球威に押されたようで、ファールになった。 ガンちゃんは打席を外して深呼吸した。 6球目。 外角低めをなんとかカットして逃れた。 三塁手があきれたように言った。 「おいおい、小学レベル相手に何やってんだ!」 他の選手も笑い、当のピッチャーもペロッと舌を出し、苦笑いしていた。 7球目。 内角球。ガンちゃんはこれもカットして逃れた。 8球目。 誘いの高目がきた。 今度こそはと、ガンちゃんは大根切りを試みたが、空振り三振。 選球眼のいいガンちゃんには珍しいことだ。打者にしかわからないキレの良さがあるのだろう。 2番まっちゃん。 まっちゃんは、はじめからバントの構えをした。 珍しいことだった。しかしこれは、あの岩松兄弟と初めて対戦したとき、彼らがとった作戦と同じではなかろうか。そう、目線の高さで球筋を良く見る作戦だ。 1-1からの3球目。バントし損ねてファールチップとなった打球が、まっちゃんの顔面を襲った。あたりどころが悪く、まっちゃんの鼻から血が滲み出た。主審がタイムをとって、まっちゃんは止血のためベンチに下がった。 「やれやれ、バントもできんのか」 例のうるさい三塁手が吐き捨てるように言った。 他の選手も薄ら笑いを浮かべていた。 ちくしょう。僕が投げられたらこんな奴らは黙らせてやるのに。でも今はまっちゃんのことが心配だ。しばらく圧迫して、血が止まった。見守る僕らにひきつった笑顔で「大丈夫だ」とまっちゃんは言った。 プレイ再開。 でも、バントの構えはやめなかった。 1球外れて、2-2。 5球目、まっちゃんはバスターを試みた。 大きくバウンドして、ショートをわりそうだった。 泉川の応援団から歓声があがった。 まっちゃんは足もある。頼む、出てくれと思ったが、ショートは素早くボールに追いつき、半身の体勢で逆シングルキャッチすると、信じられないクイックモーションで送球した。 1塁でクロスした。 判定は、と固唾を呑んで見ていると、「アウト」と宣告された。 まっちゃんは、砂を蹴りあげて悔しがっていた。 さて、僕の打席だ。 十二球も見たからもう十分だ。キレはある。でも打てない球じゃない。ヨッパライが認めた僕の才能を見せてやる! 1球目だった。 外角低めにくると予測していてその通り、というよりやや甘い球がきた。 失投だ。 僕は左足を踏みこみ、タイミングを合わせて右方向へ弾き返した。 ボールはぐんぐんと伸びて行った。 泉川応援団から、悲鳴のような歓声があがった。 ボールはライトフェンスまで届いた。 ランナーコーチ白石の腕がぐるぐる回っている。 僕は迷わず2塁目指して走りに走った。 ライトから矢のような返球があったが、スライディングセーフ。 「よっしゃー!」とキャプテンがわめき、応援団の歓声もやまなかった。 あ、そういえば恵ちゃんは今日もいないんだ。最近お互い忙しくてろくに会っていないなと塁上でスタンドを眺めながら、そう思った。 氷山先輩の打席となり、内野陣がマウンドに集まった。 きっと、勝負するのかしないのかを相談しているのだろう。もとは中島のエースだった先輩なのだから当然警戒しているはずだ。また失投すれば、先輩も決して見逃さない。 注目の1球目。 捕手はしゃがんだままだ。 しかし外角低めのボール。 2球目も同じくボールになった。 あからさまな敬遠はプライドが許さないのだろう。ボール球にひっかけてくれればもっけの幸いというような投球だ。でも、そこが僕らの付け入る隙だ。勝負に徹するならはっきりと敬遠すべきだった。  3球目の失投を、やはり先輩は見逃さなかった。 打球は快音を残して右中間へ。 僕は夢中で走った。 ランナーコーチ上田の右腕がぐるぐる回っている。 観客席のざわめきも、ベンチの興奮も見えなかった。 無我夢中で、ホームを目指した。 その先に僕を待っていたのは、ブロックする捕手だった。そのわずかな隙間に僕はヘッドスライディングしながら左手を伸ばした。 しかし、猛烈なタッチが僕の左手を叩いた。 「痛て」 そう思う間もなく、僕はアウトを宣告された。 落胆のどよめきが起こるスタンド。 僕は悔しくて、しばらくへたり込んでしまった。 ハイタッチしながら戻ってくる中島の選手たち。 確かに小学レベルなら、あの当たりで1点とれた。 しかし、敵は甲子園予備軍なのだ。 最短コースで捕球し、最短距離で中継プレイをやってのけたのだろう。 そう思いながら右中間のあたりを睨んでへたり込む僕に、やさしく伸びる右手があった。見上げると、氷山先輩が笑っていた。 「ナイスラン。おしかったな。でも、まだまだこれからだ」 1回裏。 僕は久しぶりにライトにいる。 さっき叩かれた左手が痛む。ミットにひっかかった薬指の爪が、ちょっとはがれかかったようで、紫色になっていた。でも、また交代は嫌だから皆には黙っていた。 さて、1番バッターが打席に入った。 新田情報をはるちゃんが把握していたから、無難に攻めて、内野ゴロにうちとった。内野でボールを回すみんなが活きいきとしていた。 2番バッター。 まっちゃんのようにバントの素振りを見せて揺さぶってきた。 しかし、違ったのは本当にバントを決めたことだ。 3塁線のうまいところに決められ、やまちゃんが捕球した頃にはもう間に合わないタイミングだった。しかし、それでも無理に送球し、焦りもあって、とんでもない悪送球になってしまった。普段の僕らなら考えられないミスだ。中学生のスピードに惑わされた結果だった。 ワンアウト2塁。 はなから落ち着かない展開だ。 当たり前のように得点し、当たり前のように抑えてきた僕らには、あまり記憶にない。当然だが、上には上がいるものだ。そう思っていると、3番のバットが快音を発した。 2塁カバーに入ろうとしていたショート田中の逆をついた三遊間の当たりだった。 レフトの神崎先輩が猛ダッシュして捕球したため、2塁ランナーは3塁を回ったところでストップ。 ワンアウト1・3塁。 中島の応援席にいた見物客が沸いた。いつの間にか中島の2軍も見物に来ていた。 4番打者にもかかわらず、1-1からの3球目、1塁ランナーが走った。3塁ランナーも走る素振りを見せたため、はるちゃんは送球できず、みすみす許してしまった。 ワンアウト2・3塁。 僕らが押されている。 内野陣がマウンドに集まった。 そんな光景は、あの決勝戦以来だ。しかし、あの時は5年ピッチャーの吉田が一人相撲をやっていただけで、みんなは闘志をたぎらせていた。でも、今回はおかしい。みんなが何となくではあるが浮き足だって見える。力の差を見せつけられてビビッているのか。ふざけるな。自分の力を信じろよと僕は心の中で叫んでいた。 ゲーム再開。 2球ボールが続いた。 やはり氷山先輩でも、中島の1軍相手では苦労するようだ。 結局、ファーボールとなりワンアウト満塁だ。正直、僕はもどかしかった。僕が投げて決めたかった。でも、今は氷山先輩を信じるしかなかった。 そんな時。 僕の前にフライが飛んできた。 犠牲フライにはちょうどいい球だ。中島のベンチでは既に手を叩いて喜ぶ者もいた。 「よし!俺にまかせろ」 僕はそう思って、はやる心を抑えながら、ややバックした。そして落下点に見当をつけ、ダッシュし、走りながら捕球した。当然、3塁ランナーがタッチアップ。 「俺から、タッチアップなんてできるもんか!」 僕はそう思いながら、勢いのままバックホーム。誰も中継点にはいなかった。チームメイトは僕の遠投力を知っている。みんなが僕を信じて見守っていた。 ライナーのようなボールがうなりをあげて飛び、はるちゃんの構えたところにダイレクトで決まった。すかさずタッチ。 場内が静まり返った。 判定は。 アウトだ! 泉川のスタンドが大きく沸いた。 ダッグアウトでは、生徒BからHの先輩たちが、踊りあがって喜んでいた。 あっという間に3アウトとなり、ベンチに引きあげた僕はみんなからハイタッチで迎えられた。 2回表。 キャプテンからの攻撃だ。 さすがにキャプテンは簡単には打ち取られず、フルカウントまで粘った。でも、最後には落ちるカーブで三振してしまった。 6番は、やまちゃん。 何とかバットに当たったもののボテボテのショートゴロ。 7番は田中だ。 田中もバントの構えを見せ、球筋を見極めようとした。 2ストライク後にヒッティング姿勢に戻したが、落ちるカーブで三振してしまった。どうもこの投手は、例の大きなカーブと、落差のあるカーブを持っているようだ。 2回裏。 6番からだ。 執拗に外角を攻めた後、氷山先輩も中島時代に身につけた、伝家の宝刀である大きなカーブで見逃し三振に打ち取った。 7番には徹底して内角攻め。最後には外角球を引っかけさせてセカンドゴロ。 8番。外角低めから入って、左右にちらし、最後は高目速球釣り球で三振をとった。立ち上がりが不安だった氷山先輩もようやくエンジン全開のようだ。 3回表。 8番、神崎先輩からだ。 唯一野球部に残った東原の先輩だ。 とりたてて良い点はないが、ミスも少ない。 あまり思い出もないが、たったひとつだけ覚えているのは、優勝できて当たり前だった東原の歴史の中で一度も優勝できなかった先輩が、秋季大会最後の試合に負けた時、ひと目をはばかるように涙を流していたことだ。その時、意外と負けん気の強い先輩の性格を知った。その先輩が今、雲の上の存在だった中島の1軍相手に闘志をむき出しにしている。バットを振り切り、さかんにファールで粘っている。三振でもともとというような我武者羅さを感じた。 先輩、がんばってください。 十球粘って十一球目。 とうとう根負けした相手ピッチャーが、ファーボールを出した。歓声を上げる僕らに、先輩はバットを置いて、僕らを指さした。。「俺についてこい」とか言っているようなジェスチャーだった。ふだん無口な先輩だが、やはりそのハートは熱い。 さて、ノーアウト1塁。 打席には、はるちゃん。チャンスに強い男だ。 しかし、はるちゃんは手堅く送りバントを決めた。 よし、流れはこっちにきつつある。たぐり寄せたのは、神崎先輩だ。 ワンアウト2塁。 ガンちゃんもなりふり構わずバットに当てて粘った。 天才だと思っていたガンちゃんの珍しく苦労している姿だった。 6球目。速くて落ちるカーブを見事捉え、ライト前に運んだ。 ワンアウト1・3塁。 次は、曲者まっちゃんだ。 ガンちゃんから「走るぞ」のサインがきた。 まっちゃんは「よっしゃー!」と応じていた。 2球目。ガンちゃんは走った。 神崎先輩が援護のように走る真似をしたおかげで、さっきのはるちゃんのように中島の捕手も投げられなかった。神崎先輩も鬼監督の教えを一時期受けている。僕らと同じ土台はある。 ワンアウト2・3塁。 泉川サイドは盛り上がった。 「よっしゃー!ここだ!おまえら死ぬ気でふんばれ!」 キャプテンが吼えた。 その通り。僕もネクストバッターサークルで闘志を燃やした。 3球目。 まっちゃんはスクイズを試みる真似をして3塁手をおびき寄せ、バスターに切り替えた。打球は、残念ながらファールとなった。 中島サイドから安堵のためいきが聞こえた。 ピッチャーは肩で息をしている。 畳みかけるチャンスだ。 4球目。 外角低めに外してきて2-2。 5球目。内角の球をカットして逃れた。 6球目。真ん中低め、外れて2-3。 7球目。大きく遅いカーブが来た。 まっちゃんは、辛抱しきれず3塁線へファール。 8球目。 気合の入った速球がきた。 高目の釣り球だった。 まっちゃんは、渾身の力でバットを振り切った。 打球のゆくえは。 と、言いたいが、残念ながら空振り三振だ。 泉川サイドからため息がもれた。 相手投手を睨みつけ、唇をかみしめながらまっちゃんが戻ってきた。思えば、こんなに僕らのかたちができない試合も珍しい。やはり、中島の1軍は強敵なのだ。 打席に向かう僕に「すまん」と、まっちゃんが言った。 「まかせろ」僕は心の中でそう思った。 ツーアウトとはいえ、次には氷山先輩がいるので敬遠できないから勝負にくるだろう。しかもさっき直球を弾き返した僕には、必ず大きなカーブで攻めてくると思っていた。ならば、直球を狙っているふりをして、大きなカーブを待とう。氷山先輩のように腕をたたんで振り抜けば大丈夫だ。 果たして6球目。そのカーブがきた。 僕は氷山先輩が見せてくれたイメージ通りに左腕をたたんで振り抜いた。 鈍い音がして、ボールはショートの頭上を越えた。 「わぁっ」と言う歓声とともに、スライディングで生還した神崎先輩は、はじける笑顔と右腕を突きあげるポーズで喜びを爆発させていた。しかし、ホームを目指していたガンちゃんはランナーコーチの先輩(誰だっけ)に止められ、3塁に戻ろうとしたところで、レフトからの返球で刺されてしまった。 歓声はためいきに変わった。 さすがは中島1軍だ。わずかなミスも許してくれない。 でも、いつものかたちとは違う不細工なかたちながら僕らが先制した。思えば、これはすごい事なんだ。僕らはこの前まで小学生で、いくら当時から「中学生と試合しても勝てる」と言われていたにせよ、県内、いや日本のトップクラスにある中学生チームと渡り合っている。 3回裏。 中島選手の眼の色が変わった。 あのうるさかった軽口も叩かず、皆、淡々としていた。 これが、本来の姿なのかもしれない。慌てず騒がずと言った感じだ。思ってもいなかった僕らの先制点に、彼らの闘志が目覚めたのだ。 先頭打者である9番は8球粘られた末、センターフライに打ち取った。しかし、そろそろ氷山先輩の球にタイミングが合ってきたようだ。 案の定、1番バッターは、左中間へ2塁打を打った。 警戒しすぎたのか、2番バッターにはファーボールを与えた。 ワンアウト1・2塁。 肩で息をする氷山先輩の様子がライトからでも伺えた。 3番。 くさい球は、全てカットされ、徹底的に粘られた。 困ったな。どこに投げればいいんだろう。 「二度は通用しない」と言ったヨッパライの言葉は本当なのかも知れない。僕以上の球種とうまさを持つ氷山先輩ですら、この有様だ。 9球目。 快音とともにライナーが2塁上へ飛んだ。 「やられた」そう思って僕がカバーに走ろうとした時。 まっちゃんが、頭からダイビングキャッチした。 そしてすかさず2塁に入った田中へ叩くようなグラブトスをし、そのまま前のめりに倒れた。 よし!ゲッツーだ。 戻りきれなかった2塁ランナーを刺した。 信じられないような、まっちゃんのファインプレイだった。あんなことができるのは、僕らの中でもまっちゃんぐらいだろう。 ベンチでみんなに揉みくちゃにされながら、まっちゃんはエアー湿布剤を取り出した。おかしな方向へのグラブトスのまま倒れたから、手をくじいたようだ。 あたりにエアー湿布剤の匂いが充満した。 「大丈夫か」と心配するみんなに「俺もまだまだ鍛え方が足りないな」と苦笑いを見せていた。 その時、突然 「おもしろいね。君たちは」という、阿部先輩の声が聞こえた。 僕への密着取材で、その顔と存在はみんな知っていたが、「何故ここに?」という当然の疑問の声が誰からとなくあがった。 先輩は笑いながら言った。 「取材よ、取材。六家先生にはちゃんと許可をとっているから」 まあ、確かに練習試合だし、阿部先輩は真面目に記事を書いているし、僕はそれ以上詮索しないことにした。 ゲームは、期待の氷山先輩とキャプテンが打ち取られ、ちょっと安心した相手投手から、やまちゃんが快音を発してライト前ヒットを放った。 よし、僕らも負けていない。1軍相手に十分戦えている。 氷山先輩を楽にする追加点が欲しいところだ。 続く田中はまっちゃんと同じバント作戦。 しかし、思った以上の伸びがあり、バットの上側に当たったボールはファールチップとなって田中の顔面を直撃。さっきのまっちゃんや、昨夏の岩松兄弟のようだ。 鼻血がひどかった。止血のため一旦ダッグアウトに戻った。3年の先輩が手当てをしてくれた。僕らは「大丈夫か」と心配して見守った。田中は「眼から火花が出たぞ」と笑っていた。そして「もう大丈夫だ」と言ってアンダーシャツをたくしあげ、グランドへ戻った。 ロジンバッグをたたき、「さぁこい!」と気合を入れていた。 2球目はバットをひいてボール。 3球目。バスターが決まった。と、思った。 しかし、相手投手はフィールディングもたいしたものだ。 三遊間へのボテボテ当たりを素早くキャッチし、正確な送球を見せた。田中の足が1歩及はなかった。 「あ~」というため息がスタンドから聞こえたが、それ以上に田中が悔しがった。天を仰ぎ、そしてヘルメットを叩きつけた。クールな職人田中が見せた珍しい感情表現だった。 やはり、これが甲子園予備軍の力だ。 4回裏。 氷山先輩の様子が何だかおかしい。 ストライクを取るにも苦労している。 やはり、甲子園予備軍相手なら、慎重に行かざるを得ないからなのか。 先頭の4番バッターに、とうとうファーボールを与えてしまった。 肩で息をする氷山先輩の様子は、ライトからでも分った。 5番。 ちょっと意表を突かれた。 送りバントしたのだ。 キャプテンがボールをおさえ、2塁は無理。ベースカバーの氷山先輩にトス。 かけっこになったが、氷山先輩が勝った。しかし。 そのままもつれたのか、よろけたのか、先輩は倒れた。その前とっさに、カバーに走ってきていたまっちゃんにボールをトスしていたから、2塁ランナーの進塁はなかった。ひとまず流れが切れたところで主審がタイムを取った。 先輩は起き上ろうとして、しゃがみこみ、そのままゼイゼイと言っていた。 中島ベンチからの「あ~あ、ざまあねえな。氷山様がよ」という悪口が、カバーで1塁近くにいた僕の耳にも入った。僕は「グラブでも投げつけてやろうか」と思った。心配して集まってきたみんなに「ほんとだな。ざまあないな。でも、もう大丈夫だ」と、起き上りながら笑って言った。右腕をぐるぐる回し、マウンドへ向かう先輩の背中を見送りながら僕は悔しくてしょうがなかった。僕は先輩に代わって投げたいと思った。 6番バッター。 2球3球とボールを見極めているようだった。 その都度、ベンチも確認していた。中島は、小学校もそうだったが、1球ごとにベンチからサインが出ている。鬼監督やヨッパライとはえらい違いだ。 そして4球目。 ランナーが走った。 バッターは、外角高めのやや失投を右方向へ弾き返した。 ランエンドヒットだ。 僕がダッシュしてボールをおさえると、2塁から走ったランナーは3塁を回ったあたりで自重した。 ワンアウト3塁1塁。 氷山先輩は肩で息をしながら、天を仰いでいた。 もう限界なんじゃないだろうか。 確かに先輩は僕よりうまい。しかし、日頃僕らのように練習していないのも事実で、体力が心配だった。 内野陣がタイムをとってマウンドに集まってきていた。 打者は7番。 バッテリーは速球中心で攻めていた。内野は前進守備。1点もやらない構えだ。 カウント1-2からの4球目。 ランナーが走った。 はるちゃんが2塁へ送球。 当然、3塁ランナーもスタート。 しかし、そんな場合も練習も、僕らはちゃんとやってきた。 1-2から仕掛けてくるなんて、そんなのお見通しだ。 送球を避けるためにしゃがんでいた氷山先輩の後ろで、田中がショートカット。すかさずバックホーム。はるちゃんがキャッチし、3塁ランナー目がけて突進した。驚いた3塁ランナーは帰塁を試みる。1塁ランナーが3塁まで来ないようにあまり時間はかけられない。はるちゃんが徹底的に追い込んだ。僕も2塁カバーへダッシュした。はるちゃんが3塁前まで追い込んでやまちゃんへ送球。うまいタイミングだ。1塁ランナーが3塁前で躊躇していた。やまちゃんは先ず3塁ランナーへタッチし、ボールを持ったまま1塁ランナーめがけて走った。慌てた1塁ランナーは2塁へ戻ろうとし、2、3塁間に挟まれた。ボールはやまちゃんからまっちゃんへ。まっちゃんから田中へ。ランナーは行きつ戻りつしながら追い込まれて行った。田中からガンちゃんへ。最後は足のあるガンちゃんが追いつめ、タッチアウト。  今回ばかりは中島が油断していたのだろう。まさかあれほど機敏で無駄のないプレイができるとは考えていなかったはずだ。 「よーし!」僕は思わず吼えていた。そして、グラブを叩いて喜んだ。ゲッツーだ。 みんな、ハイタッチしながらベンチに戻った。 僕は氷山先輩とハイタッチした。 その時。妙な感触があった。 「え?血?」 僕の右手にわずかな血がついていた。 先輩は何食わぬ顔でベンチに戻っているが、この血はひょっとすると、マメが破れたのかもしれない。僕はいつもの壁当てでとうの昔にマメなんて破れて固まっているが、あまり練習に出てこなかった先輩には仕方のないことだ。でも、先輩が言わないのだから、そのプライドを守るため僕はとっさに「黙っていよう」と思った。 5回の表。 神崎先輩から。 さすがの相手投手もさっきのゲッツーに気落ちしたのか、四球となった。 次ははるちゃん。 はるちゃんは、妙にねばっていた 妙というのは、甘い球さえでカットしていたからだ。打てなくても、何とか出塁したい。凡退したくない。それに氷山先輩を休ませたい。というような狙いが見えた。先輩の血マメは、はるちゃんなら当然気づいているはずだ。神崎先輩も無理に2塁を狙わず、投手への圧力に徹していた。 十球ねばったが、結局ショートゴロに倒れた。 ガンちゃんは、3球目を久々にセーフティバントした。 しかし、3塁手の動きは機敏だった。既に絶妙なスタート切っていた神崎先輩は無視して、流れるようなフィールディングで1塁へ送球。 走り抜けた方が速いとわかっていながらも、ガンちゃんは珍しく1塁へヘッドスライディングした。 アウトになった。 伏せた姿勢のまま、ガンちゃんは土をつかんで叩いて悔しがった。 ガンちゃんも懸命なのだ。 その時。 雨が降り出した。 そんなに強い雨ではなく、熱くなりすぎた僕らを冷やすにはちょうどいいくらいなのかも知れない。みんな何かしら無理をしていて、ダッグアウトの中は、エアー湿布剤の匂いで充満している。思うに何か大きな壁に当たっているような感じだ。小学時代は楽に押しとおせた攻撃も、中島1軍には何もかも弾き返されている。 「秋季大会の決勝戦を思い出すね」 雨を見ながら新田が言った。 やまちゃんがこたえた。 「縁起がいいじゃねえか」 ポジティブシンキングって、こういうことを言うのか。確かに、逆転優勝できたのは、雨のおかげだった。でも、そういう運の良さを呼び込むには、努力と工夫が必要だ。あの時、雨を計算に入れて戦ったから勝つことができた。 この雨が幸か不幸かまだわからないが、出来ることはひとつひとつやるべきだ。でなければ大きな壁は突き崩せない。僕はそう思いつつネクストバッターサークルにいた。 まっちゃんは、またもバントの構えからバスターを敢行したが、やはり中島1軍には通じなかった。 5回裏。 氷山先輩は、8番9番と難なくうちとった。 血マメのことが気になって、外野にいながらハラハラしていた僕も一安心した、その時。 魔がさしたとでも言うのだろうか。 はるちゃんは外角低めを要求したのに、真ん中高目の甘い球がいった。 中島1軍の1番がそんな球を見逃すはずもなく、打球は高く舞い上がりレフトの頭上を越えた。 「あ、やられた」 僕はそう思った。たぶんみんなも同じ思いだっただろう。誰もが呆然と打球の行方を見つめていた。 同点ホームランだ。 試合はふりだしに戻った。 氷山先輩はマウンドで、ただ天を仰いでいた。 静まりかえる僕らとは対照的に、1番バッターは、ハイタッチで迎えられていた。 「1球の重さを知れ」 鬼監督はそう言った。 その意味が今こそわかる。 とりかえしのつかないような、重くて苦しい1球だった。 ゲーム再開。 2番バッターにも、打たれた。 レフト前ヒットだった。 それに、盗塁も決められた。 はるちゃんも、まっちゃんも体が重そうに見える。モンスターを相手に守りきりたかった1点を守れなかったという事実が僕らの心と体を重くしていた。 「負けるかもしれない」ということが、はじめて頭をよぎった。 3番バッター。 鈍い音がして、1塁側へファールボールを打ちあげた。 「ダッグアウトに入る」と直感しながらも、僕はカバーのために走った。 空を見上げながらボールを追うキャプテンの姿が見えた。 ダッグアウトは目の前だ。 「危ない!」 しかし、キャプテンはボールしか見ていなかった。 落下点と思える方に足を動かした。 そして手を伸ばし、捕球と同時につんのめるようにダッグアウトに転がった。 「キャプテン!」 僕はそう叫びながらダッグアウトを覗いた。 派手に突っ込んだキャプテンが心配だった。 キャプテンは捕球したグラブを高々と掲げ、塁審がアウトを宣告した。 客席から大きな歓声があがった。 僕はキャプテンに駆け寄り、おかしな格好でうずくまるキャプテンを起こそうとした。 「大丈夫ですか?」 キャプテンは「ふん」と笑い「お前に心配されるほどじゃねぇ」と言いながら苦痛の色を浮かべた。 「いてて、ちょっと右手をくじいたようだ」 「キャプテン、本当に大丈夫ですか?」 「まあ、湿布剤でも吹きつけておけば大丈夫だろうよ」 とにかく。キャプテンのおかげで3アウトになった。 6回表。 僕の打席からだ。 先輩が頑張ったのだから、僕もと思ったが、そんなにうまくいく訳はなく、ひっかけさせられ、セカンドゴロに倒れた。 次は氷山先輩。 はたで見ていても疲れがひどい。 うわの空といった感じで集中力が見られない。 それでもセンター前に抜けそうな当たりを放ったが、甲子園予備軍の守備に、はばまれた。 そしてキャプテン。良く見ると、右手首が腫れあがっている。普通なら交代だ。でも、キャプテンの代わりはいない。だから懸命にバットを振って、振って、振って。 三振に倒れた。 この回はクリーンアップからだったのでみんな期待した分、ため息も大きかった。 こんなに重くて苦しい展開は初めてだ。どこまで落ちていくのだろうと、そんな嫌な感覚を否定するのに僕は懸命だった。 6回裏。 氷山先輩が、先頭打者にファーボールを与えた。野球とは不思議なもので、そんな場合は点が入りやすい。 案の定、5番6番と連打され、ノーアウト満塁。 中島の観客席は、泉川ほど見物の人がいるわけではないが、大きく盛り上がっていた。 でも対象的に中島ベンチは淡々としていた。 冷静に、しかも集中してチャンスを迎えている。僕らがつけ込みたかった油断も慢心も影を潜めていた。 内野陣がマウンドに集まった。 「俺のところの来い!俺がなんとかしてやる!」 いつもなら僕はそんな気分でいるのだが、今回ばかりはどうにも気が抜けていてそんな考えはあっても、気分が乗らなかった。 内野は中間守備をとった。 1点はなかば諦めたのかもしれない。と、言うことは1・2塁でゲッツーを狙うはずだ。先輩はやはりそのように外角低めに投げた。でも、遠くから見ていても球威がなく抑えられるはずもなかった。 何球か粘られた末に、センターオーバーを打たれた。打球はぐんぐんと伸びて行き、ガンちゃんが懸命にバックしている。僕はガンちゃんのカバーに走った。その時。 「危ない!」と僕は思った。 ガンちゃんは、珍しく打球しか見ていないようだ。フェンスがどんどん迫っている。 どすん。 そんな音がしてガンちゃんはフェンスに激しくぶつかった。しかし同時にボールもキャッチしていて、倒れて転がる前に、素早く僕にボールをトスした。 ガンちゃんは、ボールしか見ていなかったのではない。フェンスも、僕の位置もちゃんと分っていたんだ。それでも足を止めれば捕球できないタイミングだったから、ガンちゃんは身を呈してアウトを取った。その思いのこもったボールを僕は受け取った。1点もやるもんか。まかせろ。俺に!百メートルくらいの遠投なんて、朝飯前だ。当然タッチアップした3塁ランナーを刺すために、僕は勢いをつけてバックホームした。わずかに山なりの軌跡を描いてボールが飛んで行った。マウンド過ぎでワンバンしたものの、はるちゃんのミットに収まり、すかさずタッチ。主審は右手を上げた。アウトだ!泉川サイドから歓声があがった。ガンちゃんは?僕はそう思って振り返ると、ガンちゃんが笑って立っていた。よかった。大事には至らなかった。 しかし、そんな懸命のプレイも空しく、次のバッターに左中間を割られてしまった。 3塁2塁のランナーは共に生還し、バッターも2塁まで進んだ。 3対1。とうとう逆転されてしまった。 はるちゃんがタイムをとって監督のところに走っていった。何やら相談していたが、やがて戻ってきた。 続く9番は、8球目を痛烈に弾き返した。 3塁線上。火の出るようなライナー。抜ければもう1点確実だ。場合によっては2点。しかし、やまちゃんが飛びついてキャッチし、その勢いのまま頭から転がった。 よし。 リードされてもみんなはまだ諦めていないようだ。 7回表。 打順はそのやまちゃんからだ。 湿布剤を手首に吹き付け、ヘルメットをかぶり、バットを握って打席に向かった。その時やまちゃんは、「あきらめんじゃねえぞ」と、まるで自分に言い聞かせるように言った。 ダッグアウトは湿布剤の匂いが充満している。 ガンちゃんにいたっては、さっきぶつかった時にたんこぶと擦り傷を負ったようで、新田に手当てしてもらっていた。思えばまっちゃんの鼻血やら僕の指やらみんなどこかしら負傷していた。 手当ての様子を見た阿部先輩が、独り言のように言った。 「どうして、そこまでするかなあ」 新田が手当ての手を止めて、不思議そうに答えた。 「勝つためですよ。とうぜんでしょう?」 阿部先輩は、言葉につまっていたようだったが、やがて 「そうね」とだけ言った。 そう言えば、氷山先輩も血マメの手当てをした方がいいのに姿が見えない。 監督も、はるちゃんもだ。いったいどこへ行ったのだろう。 そうこうしているうちに打席のやまちゃんが7球粘って四球をもらった。 次は田中。 初球。 送りバントを失敗して、ボールを顔面に当てた。 今日何人目だろう。顔面に当てたのは。職人田中ですら二回目なのだ。やはり甲子園予備軍だけはある。勢いのあるボールだから目測を誤るのだ。どうしてもボールの下にバットを構えてしまう。 田中は一旦タイムをもらって打席を外し、痛みが引くのを待っていた。 幸い鼻血は出ておらず、しばらくしてプレイ再開。 2球目は外れた。 3球目。今度は見事に送りバントを決め、ワンアウト2塁になった。 ファウルチップを顔面に当てると恐怖心が起こってバントしたくなくなるものだが、田中は何食わぬ顔で成功させた。 次は神崎先輩。 先輩も送りバントし、チャンスに強いはるちゃんに賭けた。 2アウト3塁。 小学時代のように派手に鮮やかに得点できない。だから、泥臭くてもできることをひとつひとつやるしかない。とにかく今は1点だ。しかし願いも空しく、はるちゃんはファールフライに倒れ、チェンジとなった。 7回裏。 中島は1番から。 氷山先輩が、なんとか踏ん張って3者凡退に抑えてくれた。 8回。 両チームともランナーを出したが、得点できず、いよいよ最終回を迎えた。 9回表。 打順はキャプテンから。 前の回にガンちゃんを塁におきながら僕も氷山先輩も倒れたから、僕は既にあきらめかけていた。やっぱり甲子園予備軍を相手にするなんて早すぎたかなあと思った。 しかし、キャプテンは違った。 眼の覚めるようなセンターオーバーを放ち、2塁まで行った。そして塁上で、鬼のようなしかめっ面をし、さかんにガッツポーズを見せていた。 「さすが、往生際の悪い田所くんね」 阿部先輩がそう言って笑った。 「田所に続け!」 鬼監督ならきっとそう言っただろう。 僕らの目を覚ますには十分な、気合いの1発だった。 みんなが活気づいた。 やまちゃんが右中間への2塁打を放って1点とった。 ホームインしたキャプテンはみんなからハイタッチで迎えられた。 「よーし、先ずは同点にするぞ!」 キャプテンが吼え、田中も単打で出塁した。 ノーアウト1・3塁。 不思議だが、これも野球だ。いつ流れがくるかわからない。この流れをつかみ損なわないよう、日頃から練習しているんだ。 「よーし!いけるぞ」と誰彼となく吼えていた。 中島の内野陣がマウンドに集まっている。 やがてプレイ再開。 神崎先輩の打順だ。 先輩も十分に気合が入っていたが、変化球でかわされて三振に倒れた。 次はチャンスに強いはるちゃん。 初球は外角低めが外れ、2球目。 田中が走った。 やまちゃんが、ホーム突入の構えを見せたため、ボールを受けたショートはタッチせずにホームへ返球。当然やまちゃんは見せかけだけだったから、すかさず3塁へ戻り、オールセーフになった。やはり、僕らがどこまでできるのか分かっていない中島1軍は、そのあたりの連携プレイの判断に甘さがあるようだ。よし、付け入る隙はそこかもしれない。 ワンアウト2・3塁。 よし。ワンヒットで同点。場合によっては逆転だ。 観客席が俄然盛り上がった。 僕らも大声で声援を送った。 外野フライでも構わない。 しかし、そう簡単にフライを打たせてもらえず、はるちゃんはショートゴロに倒れた。走者はそれぞれ自重していたから、ツーアウト2・3塁だ。 「あ~」という落胆の声が観客席からあがった。 やはり、小学時代のように自由はきかない。でも、なんとかこじ開けるしかない。その方法として、僕と同じように内野の判断が甘いと感じていたであろうガンちゃんは得意のセーフティに賭けた。もちろん、ガンちゃんからのサインによって事前に知っていたやまちゃんは、絶妙なスタートをした。 ガンちゃんのバントが1塁線へ転がった。ファールになると思った中島はそのまま見逃したが、そこが神業たるゆえんだ。線上でぴたりと止まって、やまちゃんはホームイン。ガンちゃんも1塁上でガッツポーズ。 同点だ。ついに捉えた。 ここまで来たら逆転したい。けが人も多いし、僕らには延長の体力がない。 「まっちゃん、頼むぞ」と、僕はネクストバッターズサークルの中で思った。 やはりこんな土壇場でも、自信のある得意技があれば切り抜けられる。そう確信させるようなバスターをまっちゃんが決めた。しかしさっきのバントで2塁ランナー田中は自重していたから、3塁を回ってストップ。このバスターで得点はできなかった。はなはだ残念ではあるが、ともかくツーアウト満塁だ。次の氷山先輩は肩で息をしているような状況で、期待はできない。ならば、僕が決めるしかない。そう言い聞かせながら打席に入った。 大きなカーブは使わないだろう。後ろにそらせば大変だからだ。ならば、速球で僕の苦手な内角を攻めてカウントを取って、外角低めを見せてから、高目速球の釣り球でフィニッシュするつもりだろうと僕は予測した。よし。狙いは外角低めだ。甘いところに来たら、逃さないぞと思いつつ、右方向への単打を狙った。  僕の予測より1球早く、2ストライクのあと、遊び球なしで高目のつり球が来た。しかしそれは判定によってはストライクをとられそうな微妙なものだった。「これはカットしないとヤバイ」しかも普通にカットしてもし打ち上げれば万事休すになるかもしれないのでガンちゃんの大根切りのように、上から叩きつけるようにカットした。 ガツンと、鈍い痛みが走った。 自打球を左足のくるぶしに当ててしまった。 当たりどころがよほど悪かったようで、飛び上がるほどの痛みがあった。 僕は本当に飛び上がり、痛みがひどいのでタイムをとって、ソックスをめくって見た。 ベンチから、新田がエアー湿布剤を持って走ってきた。 「谷山くん、大丈夫?」 「見たところ内出血もなさそうだし、大丈夫じゃないかな」 新田は、僕の足に湿布剤を吹き付けて聞いた。 「どう?上下左右にちゃんと動く?」 僕は足を一通り動かした。左右と下へは問題なかったが、上に動かそうとすると激痛が走り、動かない。その様子を見ていた新田が蒼白な顔色になった。いかん。みんなに知られたら、みんな新田のようになるだろう。 「新田、みんなには大丈夫だと言えよ」 「でも、動かないじゃないか。痛そうだったよ」 「野球選手なら、どこそこ痛いのは当たり前だ。こんなことでいちいちみんなに心配かけられない」 「でも」 「いいから。もう一回吹き付けてくれ。そのうち痛みもひくさ」 「でも、谷山くんは僕らの希望なんだよ。こんなところで無理しないでよ。骨が折れているかもしれないし」 「今無理しなければ、いつやるんだ?勝負所なのはわかるだろう」 「練習試合じゃないか」 「ああそうさ。でも特別なんだ」 「それは、そうだけど」 新田は、戸惑いを隠せない様子だった。 「いいか。これは俺の意思でやるんだ。お前のせいじゃない。痛みはいつか消えるが、今負けたら、その後悔は一生消えない」 「わかったよ。勝つためだね」 新田は、悔しそうに半べそかきながら、湿布剤を吹き付けた。心配して上田も走ってきたが、僕は「心配ない」と言って追い返した。 ゲーム再開。 先ずは、様子見のために外角低めが来るだろうと予測した。 はたして。 思った通り外角低めが来た。それも失投のようで外し切れていない甘い球だ。 僕は、思いっきり踏み込んだ。 激痛が走った。 しかし、こんな甘い球は見逃せない。 激痛を堪えて僕は振り切った。 打球は、セカンドの頭上を越えた。 「わぁ」っと言う歓声が聞こえた。 田中が万歳しながらホームイン。 ガンちゃんも果敢にホームを狙った。 しかし、チーム最高速のガンちゃんも、ライトからの矢のような送球に一歩及ばず、ホームでアウトになってしまった。キャッチャーのブロックもうまかった。ヘッドスライディングしながらブロックの隙間を狙って遠回りになった分遅れた。 ガンちゃんはよほど悔しかったのだろう。うつ伏せのまま、何度も地面を叩いて悔しがっていた。 ともあれ逆転だ。 この1点を断固守り抜かなければ、僕らにはもう勝ち目はないだろう。 9回裏。 8番バッターからだ。 左右へ揺さぶり、落ちるカーブで2ストライク目を取った。 青息吐息だった氷山先輩が、マウンドで仁王立ちしている。 「やっぱり先輩はすごい。僕の目標だ」 そして、高目のつり球で三振を取るつもりのように見えた。 しかし、速球に球威が足りず、ショートオーバーのヒットを打たれた。 僕は1塁カバーに走ったが、やはり、足が痛んでどうしようもなかった。 9番バッターは、送りバントをした。 あわよくば、自分も生きようと、へばっている氷山先輩の横、3塁側の絶妙なところへ転がした。 氷山先輩は懸命に走った。 しかし、猛烈にダッシュしてきたやまちゃんが捌いた。 1塁はアウト。 「ワンダン、ワンダン」 はるちゃんが声をかけた。 青息吐息の氷山先輩に対して、中島はいやらしい攻め方をしてきた。 1球ごとにバントの構えを見せて、先輩を走らせている。 そして8球も粘られて、ついにはファーボールとなった。 1アウト1・2塁。 逆転のランナーを出してしまった。 2番バッターも、バントの構えを見せたり、カットしたりと散々粘った挙句、3バントを決めた。氷山先輩が捌き、1塁アウトにしたものの、ランナーはそれぞれ進塁した。 3番バッターも、バントの構えを見せて先輩を走らせた。 そしてファーボールとなった。 先輩はもう、限界のはずだ。 雨が一段と激しくなってきた。 2アウト満塁。 しかも中島は4番バッター。 絵に描いたようなピンチだ。 雨がひどくなってきたから、中島の応援席にはもうほとんどギャラリーはいなかったが、何人かの熱心な者たちが残って声を張り上げて応援していた。 中島も勝つために必死なんだ。 だから、4番バッターもバントの構えを見せては氷山先輩を走らせていた。 2ボール後の3球目。 バントの構えをしたから先輩はマウンドを降りて走ったが、足がもつれて倒れた。 判定はボール。 ノーストライク3ボール。 倒れた先輩を見て、まだ多くが残っている泉川の応援団は悲鳴を上げた。 主審がタイムを宣告し、先輩に駆け寄った。 ベンチから、内野陣も駆け寄った。 先輩の容態は深刻だった。 激しい疲労のせいか、倒れるとき受身もできず、頭から倒れた。 意識が、なかった。 主審からの問いかけに、やがて意識は取り戻したが、主審は、疲労困憊の様子と右手の血マメを認め、これ以上の続投は無理と判断し、ヨッパライと相談していた。やがて、チームメイトの肩を借り、退場していく先輩と入れ替わりのように僕が呼ばれた。 ヨッパライが言った。 「谷山、いけるか?」 いつもなら、迷わず行けますと答える僕だが、この時はちょっと迷った。 足も、指も、かわるがわる痛かった。それに雨が降っているし、ノースリーだから、ボールひとつで同点だ。そんな状況だから、誰がやっても荷が重いだろう。 「ここまで来て、むざむざ負けるわけにはいかん。お前にも思うことがあるだろうが、ここを任せられるのはお前しかおらん」 思ったより、まっとうなことを言うじゃないか。 内野陣もベンチのメンバーも、祈るような表情で僕を見つめていた。 確かに、ここは僕しかいない。 そう思うと闘争心が痛みを抑え、僕は大声で答えていた。 「いきます!」 マウンドへ向かう僕に、新田が駆け寄ってきた。 ソックス越しに湿布剤を吹きつけ「頼むよ」と言って、ベンチへ戻っていった。 雨。ノースリー。ワンボールで同点。打者は4番。 そして指も痛いし、足も踏み込みが効かない。 こんなボロボロの状態で投げるなんて初めてだ。 事情を知らない中島の応援席は、エースを引きずり降ろし補欠の投手が出てきたと思ってトーンが明るくなっていた。 投球練習をしてみたが、どうしても左足の踏み込みができない。痛くて痛くて、逃げられるなら逃げたい。 僕はいつものように天を見上げた。そして、深呼吸した。 「さっき、新田に言ったとおりだ。ここで踏ん張らなかったら、たぶん一生後悔する」 よし。僕は覚悟を決めた。 プレイがかかった。 満塁なので、大きく振りかぶった。 三連覇した時の強い気持ちを思い出せ。 踏み込んだ左足に激痛が走ったが、かまわず腕を振り切った。 ボールはうなりをあげて飛び、ど真ん中に構えたはるちゃんのミットに収まった。 泉川サイドから「わぁっ」と歓声があがった。 いつものことだが、中島ベンチはざわめいた。 よし。いける。僕はそう思った。はるちゃんもそう思ったようで、僕らは豪速球で3球三振を狙った。もっとも、1球のボールも許されない僕らには他に選択肢がなかった。 しかし甲子園予備軍の4番は、そう甘くない。 2ストライクはとれたものの、簡単に三振しなかった。ファールで粘られた。 「しぶといな」 そう思っていると、スタンドから「ゆうちゃん、がんばれ」と、恵ちゃんの声がかすかに聞こえた。 「あれ、今日はバスケ部も試合のはずだけど」 そう思ってスタンドを見ると、美咲ちゃんが手を振っていた。 姉妹だから、声が似ているんだな。そんな当たり前のことを今さらながら思い出した。たぶん恵ちゃんから今日の試合のことを聞いて来てくれたのだろう。 僕は5球目を投げた。 カットされた。 6球目。 またカットだ。 確かに、雨と足の痛みのせいで、いつもの8割方の豪速球でしかないので、通用しないのかもしれない。でも、僕の切り札は豪速球しかなく、それで押し切る以外に道はない。冷や汗なのかあぶら汗なのか、いつも以上に僕はびっしょりと頭から汗をかいていた。雨と混じって、もうボロボロだ。 でも。 足がつぶれたってかまわない。倒れたって関係ない。今は、僕を信じてくれるチームメイトのため、そして自分のために全力で投げるしかない。 「気合を入れろ!」 そう言い聞かせた。 そして大きく振りかぶり、大きなテイクバックから左足を踏む込むと、信じられないような激痛が走った。 「痛かろうが、何だろうが!」 僕は半ばやけくそのように渾身の力で7球目を投げた。 ボールはしゅうしゅうと、空気を切り裂きながら飛んでいった。 がこん。 鈍い打球音がした。 勝った。 僕はそう思った。 ふらふらとライト前にフライが飛んだ。 討ちとったあたりだ。 しかし、逆転を許さないために、ライトは深い位置にいた。 「あ」 僕はびっくりした。 僕以上にライトはびっくりしただろう。懸命に前進した。 ライトには、白石が入っていた。 その場にいた全員が、白石を注視した。 白石は、水しぶきを上げながら走りに走った。 セカンドのまっちゃんも懸命にバックしたが、2塁カバーにいたために場所が遠すぎ、間に合いそうにない。 ポテンヒットか? 時間が、長く感じられた。 白石は、飛んだ。 頭からダイビングした。 帽子が飛んで、水しぶきが派手にあがった。 白石はごろごろと転がった。 ボールは? 場内は静まりかえり、白石を見つめた。 捕った。 白石は放していなかった。 グラブに収まった白球を頭からずぶ濡れの白石が高々と掲げ、審判にアピールした。 「アウト!」 塁審が判定した。 勝った。 ようやく勝てた。甲子園予備軍に! スタンドがわき、ベンチから全員が飛び出してきた。 僕が、そして戻ってきた白石が、みんなからもみくちゃにされた。 第七章 奇跡の硬球ふたたび 月曜日の朝には、もう校内新聞が貼り出されていた。相変わらず配布用の新聞は無くなっていた。一体誰がこんな朝早くから持ち帰るのだろう。それとも部数が少ないのか。ともあれ、一面には「ミラクルボーイズ!野球部雨中の激闘を制す!満身創痍で夢をその手に」とあり、氷山先輩と僕の力投の写真がでかでかと載っていた。え、ふつうはガリ版でしょう。写真の印刷はどうしたのだろうと僕は新聞部の予算が心配になった。 昼休み、阿部先輩が訪ねてきた。 「おつかれ~、いい試合だったね。おかげで新聞が飛ぶようにさばけるわ」 先輩は上機嫌そうに笑っていた。 「あの、写真はどうしたんですか?」 「いい写真でしょう。私が撮ったのよ」 「というか、よく印刷できましたね」 「変なことに気づくんだね。顧問の先生を説得して、前もって知り合いの印刷屋さんに格安でお願いしていたのよ。今回は絶対壮絶な戦いになるはずって思っていたからね。印刷の品質は問わないからって、徹夜で印刷させちゃった」 やはり、先輩の行動力はすごい。 「とりあえず記念に持ってきたから、あげるね。手に入らなかったでしょう」 「はい」 「氷山君にも、田所君にも渡しておいてね」 「氷山先輩はともかく、田所先輩は同じ3年なんだし、阿部先輩から渡したらどうですか」 「だめだめ、あの人は往生際が悪いから」 先輩は、そう言って笑ったが、僕には意味がわからなかった。 「そうそう、写真も今度焼き増ししてあげるから。とにかく、新聞部史上初の五百部突破なんだから、ごほうびね」 五百!そんなにあったのか。 先輩は、上機嫌のまま帰っていった。入れ替わりのように、恵ちゃんが来た。その表情は先輩とは対照的に微妙なものだった。僕は、人気のない校舎裏に連れて行かれた。 「どうした?」 僕がそう聞くと、恵ちゃんは持っていた大きな封筒を、バンと僕に突きつけた。 「何?これ」 僕は中身を見ようとした。 「ファンレターよ。全部」 恵ちゃんは怒っていた。 「何で私が届けないといけないのかなあ」 僕に言われても、僕も困る。おそらくみんな、僕と仲のいい恵ちゃんに頼むのだろうが、それで恵ちゃんが不機嫌なのはもっと困る。その大きな封筒の中には、いくつもの小さなかわいい封筒が入っていた。 「あーあ、私も応援にいきたかったな」 恵ちゃんがそう言ってくれると、僕もうれしくなる。 「美咲がね、興奮して語るのよ。ゆうちゃんが打って逆転して、最後は相手の4番をうちとった。てね。新聞を見てもゆうちゃんの活躍を伝えているし、バスケ部に入らなきゃよかったよ」 「好きなんだろ?バスケが。あの最後の試合の恵ちゃんだって格好よかったよ」 「そうかな」 「そうだよ。だから、バスケ続けるって聞いた時は僕も嬉しかったよ」 「ありがとう。ちょっと勇気がわいたかな」 僕は笑った。やはり前向きな恵ちゃんの方がいい。 「でも、思ったより忙しくて、なかなか会えないね」 「仕方ないさ。でも僕は元気で頑張っていてくれていたら、それでいいと思っているよ」 「ふ~ん、そうなんだ」 「僕の方も、土日もびっしり練習で埋まっているから」 「そうね」 そう言う恵ちゃんの表情にちょっとだけ陰がさしたように感じたのは気のせいだろうか。 「でね」 恵ちゃんは、ちょっとはにかんだ様子だ。 「何?」 「かっこ良かったよ。新聞の写真」 ちょっと照れくさかったけど、僕は素直にうれしかった。 その夜。 僕は寝る前に校内新聞をゆっくりと読んだ。 1面記事は経過と結果を客観的に伝えていたが、2面以降、「常勝伝説。あきらめない男たち」というタイトルで試合の経過を縦軸に、僕ら東原の三連覇の道のりをつむいであって、ちょっとしたドキュメンタリーのようになっていた。エースふうちゃんとの涙の別れ、0点男の登場、次々現れる強敵。それらは活き活きと、そして情感豊かに描かれていて、読む者をぐいぐいと惹きつけた。僕は先輩の取材力と文章力に改めて感心した。中には、伝説のピッチャーと言われる白石の亡き父親との約束である甲子園の話や、家庭の事情により叔父のバイク店で働かざるを得ないため思うように練習できない氷山先輩の状況も描かれていた。 そうだったのか。 だから先輩はあまり練習に出てこられないんだ。それなのに、あの投球はすごい。 白石にしろ、氷山先輩にしろ、顔には出さないが、みんな苦労しているんだ。 最後に、「倒れるまで力投を続けたエース氷山投手はもとより、足を打撲して動かなくなっても、その痛みを乗り越えて投げぬいた期待の新星0点男、そして怪我人続出の中で最後まであきらめなかった不撓不屈の精神が、わが野球部の歴史に常勝伝説を書き加えてくれることだろう」と結んであった。 なんか、かっこ良すぎ?俺? 僕は単純にうれしかった。(で、何で僕だけいつまでも0点男なんだろう) しかし。 僕は冷静に考えてみた。 あの試合を、僕ら旧東原だけで勝てただろうか。 いや。無理だ。 僕らは、8回9回の経験が乏しく、思い通りに事が運ばない焦りに加え、怪我の影響もあってみんな疲れ果てていたから、最後は正直言ってあきらめムードがあった。記事のいう不撓不屈の精神をかたちにしたのはキャプテンだ。あの1本がなければ負けていたかもしれない。それに氷山先輩があそこまで投げてくれなかったら、僕の豪速球だけではあの四番を抑え切れなかったように、いつか打たれて、0点男の名前は返上していただろう。最も怖いのは、気持ちのタガが外れ、雪崩をうって負け犬根性がついてしまうことだ。それをぎりぎり支えてくれたキャプテンと氷山先輩には感謝しないといけない。そして、僕らも鬼監督の言うような今一段のレベルアップを今ふたたび果たさないといけないだろう。では、僕はどうするか。「やはり、変化球しかないかなあ」と思いながら眠りに落ちていった。 さて、僕は投手に復帰した。 約束だったから当然なのだが、ヨッパライは、おかしな条件をつけてきた。 「左投げになれ」 というのだ。確かに豪速球だけで抑えることの難しさを実感したから、変化球の必要性は感じていたが、すべてを吹っ飛ばすようなおかしな条件だ。まったく、次から次におかしなことばかり言い出す監督だ。チームメイトの反応は、「おかしな話だ」と同調してくれる者もいたが、「面白そうだ」と言い出す輩も現れる始末だった。 さて、それはそうと監督の命令なのだからひとまず左投げの練習をしてみた。しかし、どうもおかしい。違和感だらけで、かたちがどうにも不格好だ。当然ながら全く投球にならない。僕は、右投げの場合を手本にして、相違点を探した。やがて、おかしなところを見つけては修正し、なんとかかたちにはなってきたものの、どうもしっくりこない。部の練習中、はるちゃんの助言も受けていろいろ試したところ、左の場合、右のようなオーバーハンドより、サイド気味のスリークォーターの方がしっくりきた。試しにカーブも投げてみたが、面白いように落差のあるカーブが決まった。ヨッパライに言わせると 「お前の右はもう完成している。あとは基礎体力さえ上げればもっと速くなるだろう。でも、うちのチームには左がいないから、お前がその穴を埋めてくれ。他の者にはできない話だ。お前はたった1年であれほどの投手になったそうだから、左への転換も、お前ならできるかもしれん。とにかく、やってみてくれ」 そういうことだったが、これだけカーブが決まると、自分でもまんざら悪い気がせず、左でもいいかなと思い始めた。なにしろ熱血野球漫画の主人公は左と相場が決まっているし。 僕の壁当てメニューに左が加わった。 右を五十球にして、左は百球くらいにした。 そして、最近は使っていなかったあの奇跡の硬球を左に限って使った。 もともと、握力は左右同じように鍛えていたし、毎日やっているランニング十キロ、腹筋、腕立て五十回その他のウェイトは、左右どちらにも役立った。 やがて梅雨の半ば頃。 置いてくるような感じで投げると、直球もカーブも、うまい具合に走ってくれる。特にカーブは大きく落ちるもの、わずかにスライドするものと、使い分けできた。ただ、直球のキレと速さだけは、はるかに右には及ばない。弱小相手には通用しても、中島には無理だろう。僕はそんなこんなで試行錯誤していた。 ある日の夜。 僕はいつものように壁当てしていた。その日は久しぶりに恵ちゃんが遊びに来ていた。 恵ちゃんは、バスケ部の内幕をいろいろと僕に話して聞かせ、僕はいちいち「うん、うん」と答えながら投げ込みしていた。 突然、恵ちゃんが言い出した。 「ゆうちゃんの左は、迫力がないね」 何をいきなり言い出すのだろうと思って僕は聞いていた。 「おかしいな、どこが違うんだろうね。ちょっと右で投げてみて」 「いいけど。そりゃあ右の方がいいに決まっているよ」 「うん。でもね、左もきれいなのよ。フォームは。バスケだってきれいなフォームの人はシュートの成功率が高いし。でも、何かが足りないような」 僕は言われるまま、右で投げてみた。 「何かわかった?」 恵ちゃんは黙ってフォームを観察していた。僕は何球か投げてみて、それから、全力投球してみた。 「あ」 何か気づいたようだ。僕はもう1球全力で投げた。 「わかったよ。ゆうちゃん。リストの違いだよ。たぶんね」 「リスト?」 「そうよ。リストよ。右は鋭くしなっているけど、左は甘いのよ」 「そう?」 「バスケだってフィニッシュは手首の返しが大切なんだからね」 さすがは、バスケ部員だ。僕は気づかなかった。確かに握力は鍛えていても手首の返しまではやっていない。利き手である右の方が強いのだろう。 「ね。今度は左で投げてみて」 「ああ。わかった」 僕は左で投げてみた。 「やっぱりそうだよ。何か遠慮しているみたい」 遠慮・・・。確かに慣れない左で制球するために右のようには振り切っていないだろう。 「思いっきりやってみたら?」 でも、そうすると今度はコントロールが心配になるはずで、微妙なトレードオフだ。でも、恵ちゃんの言うとおり、思いっきり振りぬかなければ、強豪には通用しないだろう。 その晩。 僕はベッドにもぐり込んで、考えをめぐらせていた。 右の場合は、体の軸線をぶれないようにして制球力を稼いでいる。でも、左ではそれがしっくりこなかったから、スリークォーターで置いてくるように投げている。しかしそれでは球威が出ない。やはり、オーバーハンドに戻すべきなのか。左も右と同じように豪速球を目指すのか。あれだけ決まる変化球を捨てるのか。あれこれ考えていると眠気が襲ってきた。眠りに落ちていきながら、ひとつひらめいた。そうだ。ふうちゃんだ。ふうちゃんほどのアンダースローじゃなくても、サイドから大きな遠心力で振りぬいてみよう。明日、試してみよう。 翌朝、僕はランニングに出るとき、奇跡の硬球を持って出かけた。走りながら左の手首を鍛えるウェイト代わりにしようと思った。右もやめないし、左も覚えたい。そんな贅沢に挑むなら、わずかなスペースにも努力をつめこむしかないだろう。そう、思った。 放課後、部の練習で、僕ははるちゃんに全てを話し、考えを聞いてみた。 「おもしろいかも知れないね。手本はふうちゃんか。確かに今のままでは中島には通用しないから、やってみてもいいと思うよ。僕らはまだ1年だし試行錯誤する時間はたくさんあるから」 はるちゃんも賛成したので、僕はサイドスローでやってみることにした。斜めから中途半端に振るより、思い切って横から強力に振りぬいてみるつもりだ。 軽く投げてみて、いけそうな気がした。そしてふうちゃんのフォームをイメージして、足腰のばねを使ってみると、よりいい感じになってきた。 三十球くらい投げてみて、はるちゃんを座らせた。 僕は本気で投げてみようと思った。 大きく振りかぶって、右足をけり出し、重心は降ろし、体の軸で、思い切って振りぬいた。 ずばん。 おそろしくキレのある球が内角いっぱいに決まった。 それは、外角から対角線上を走って右打者の懐をえぐるように内角へ決まる、そう、現代で言う「クロスファイアー」だ。 はるちゃんが、思わず立ち上がって笑顔を見せた。 「今の球、いいよ。これなら誰も手が出ない」 僕もそう思って、笑顔がこぼれた。 よし。今のだ。忘れないうちにものにするんだ。 変化球はあとからでいい。 2~3日すると、僕のクロスファイアーも、ものになってきた。なかなか順調だから、変化球の練習も始めた。県大会も近いので、はるちゃんは連携練習をやっているため今日の捕手は2年の佐伯先輩がつとめてくれている。ひょうひょうとした先輩で、ときおり合いの手のように「ナイスピー!」とか「よし!」とか言う以外はとりたてて特長がなく、ちょっと前までは僕から生徒D扱いを受けていた人だ。 そう言えば、今日も氷山先輩は来ていない。あれから何回か来たけど、やはりバイク店の方が忙しいのかも。おまけに監督も来ていない。これはまあ、いない方がいいからほっておこう。代わりにキャプテンが気合を入れて指導している。さあ。いよいよ県大会だ。 「左も随分サマになってきたわね」 阿部先輩の声が聞こえた。先輩はたまに来ている。 「その分、苦労しましたよ」 先輩は笑った。 「苦労すればできるなんて、素敵じゃない。苦労してもできない人はいっぱいいるのよ」 「そうですか」 「そうよ。勉強だってそうでしょう。そうそう期末試験は大丈夫?」 確かに来週は期末試験だ。でも不思議なものであまり慌てる必要はなかった。勉強時間があまりとれない分、僕は授業に集中していた。おかげでなんとかなりそうだと思っていた。これも不思議な話だが、野球の練習をさぼらなくなったあたりから僕の成績はぐんぐん上がっていた。 「なんとか、なりますよ」 「ふ~ん。君が言うと妙に説得力があるわね」 「そうですか」 「まあ、私が見込んだ男の子なんだから、当然か」 僕はちょっとドキッとした。先輩のような美人からそういう風に言われるなんて嬉しくもあるし、恥ずかしくもあった。 「あ、照れてる。かわいいー」 はじけるような笑顔を見せて先輩は僕をからかった。 「照れてなんかないです」 「顔が赤いよ。純情少年。そうだ、試験でベスト五十に入ったら、お祝いにチューしてあげようか」 僕はいよいよ恥ずかしくなった。 「からかわないでください」 先輩はケラケラ笑っていた。 「ところで、君、高校はどうするの?」 いきなり、そんなことを先輩は言い出した。 「まあ、中島もほおっておかないだろうけど、やっぱり白石君のお父さんの高校?」 先輩は鋭い。そのことは僕も随分考えた。白石の親父さんの高校。イコール僕の両親の高校だ。同じユニフォームを着て甲子園に行けたら最高だ。でも、その高校は城内高校と言って、県で一番優秀な公立の伝統校だ。現役でT大に何十人もの合格者を出している。そんなところに僕が受かるはずはない。 「どうして、そんなことを聞くんですか」 「私は3年だからもう志望校を決めないとね」 「それが、どうして」 「あのね、私城高を受けるの。先ず大丈夫だから、君も来てくれたらうれしいなと思って」 そうか。先輩は3年生だから、色々と考えるんだな。僕には遠い先の話だけど。でも、あれ、ちょっと待て。 「先輩は、高校でも僕をからかうつもりですか」 僕が真面目な顔でそう聞くと、先輩は大笑いしていた。 その日の練習後。 六家先生がキャプテンを訪ねてきた。なにやら二人で話していたが、話が終わって、六家先生が帰ったあと、キャプテンがその内容をみんなに聞かせた。なんと、延び延びになっていた女子マネージャーの件が正式に決まったとのことだった。2年が一人。1年が一人の計2名だそうだ。こんなおんぼろ野球部に2名だなんてオーバースペックだと思った。でも、二人とも意思が固いらしく、正式に決まったのだ。 生徒BやらJやら、先輩たちが色めきたった。 僕ら東原出身者は自分のことは自分でできるし、どうでも良かったが、ともに戦う意思を持っているのなら、仲間が増える分、うれしくないこともない。 翌日。練習時にその2名がやってきた。 容姿は、ともにふつうだ。 正式加入は試験後らしいから、今日は顔みせだ。 目をらんらんと輝かせる先輩たちの視線を集め、その二人はあいさつした。 先ずは2年生。 横川しのぶと言った。 想像以上に大声を張り上げた。 「私は小学校でソフト部にいました。でもここにはないから残念だったのですが、野球部の活躍を目の当たりにして、どうしても入部して一緒に頑張りたいと思いました。球拾い、トスあげ、何でもやります。どうぞよろしく!」 もう一人は吉永美子という、おとなしそうな子だった。 「あの、私は横川先輩のような経験者ではないのですが、頑張っているみなさんを応援したいと思いました。こないだの試合も見に行きました。すごすぎて涙が止まりませんでした。素人だからわからないことも多いのですが、頑張りますのでよろしくお願いします」 二人の加入は、先輩たちのやる気倍増という結果をもたらした。 おんぼろ野球部が常勝野球部に生まれ変わるには、良いきっかけなのかも知れない。 梅雨も終わり、湧き上がる雲とうだる暑さの中。 一足飛びに県大会とはいかず、僕らは期末試験を受けていた。 日頃、野球漬けの罰を受けるはずの試験だったが、思いのほか簡単に解けたような気がした。試験中毎日、橋本の悲鳴やら八つ当たりやらが聞こえてきたが、同感する必要がなかったのは幸いだった。 やがて試験も終わり、その結果がわかった。 何と。僕はベスト五十に入ってしまった。三十九位。野球部では、はるちゃんに次ぐ。 僕らの学校は1学年に五百人いて、ベスト五十までは壁に貼り出される。 さて、困った。本当に阿部先輩がチューしに来たらどうしようかと真剣に考えた。橋本がさかんに0点男のくせに!とわめいていたが、とにかくほとぼりがさめるまで目立たないようにしていよう。 ちなみに、3年生の1位は阿部先輩だった。 まったく、底の知れないお方だ。 結局その日、心配された阿部先輩の来襲はなかった。 僕の自意識過剰かな。軽い冗談のつもりだったのだろう。もう忘れているに違いない。 さて、阿部先輩はともかく、その日は氷山先輩が来ていて、僕の左に、いろいろとアドバイスをくれた。例の中島伝家の宝刀カーブの投げ方も教えてくれた。僕は何球か投げてみて、「あ、いける」と直感した。右打者の内角をえぐる直球に、高低差のある落ちるカーブ、わずかにスライドするカーブ、そしておお外れから外角いっぱいに決まる伝家の宝刀カーブがあれば、僕は無敵になるんじゃないのかと思って、おもわずニンマリしてしまった。そんな僕の内心を見透かしたように、氷山先輩は笑いながら僕の頭をグラブで軽くはたいた。 「まだどれも未完成だぞ。これからだからな」 僕に兄はいないが、兄がいたら、こんな感じなのかなあ。ともかく、その日一日先輩は僕の面倒を見てくれた。ちなみに氷山先輩の成績は九位。何もかも、僕の目標になる先輩だ。 部活が終わり、グランドを整備して道具を部室にしまうと、辺りは真っ暗になっていた。みんなは早々と帰宅し、僕は、今日氷山先輩から聞いたことを忘れないようにとノートにつけていたため、最後になっていた。時計はもう8時。壁当てもウェイトもあるから急いで帰ろうと思って部室を出て、通学に使う北門に向かうと、わずかな外灯のもと、恵ちゃんがいた。 「どうした?こんな遅くに」 僕に気づくと恵ちゃんは笑顔を見せて手を振った。 「今日は私もちょっと遅くなったから、一緒に帰ろうと思って」 「こんなさびしいところで待っていないで部室にくればいいじゃないか」 「でも、他の人がいたらいけないし」 「気にすんなって。関係ないよ」 「でも」 「何かおかしいな。今日は」 「あ、ゆうちゃんは、今もつま先立ちしているんだね」 それは、僕の練習の一環だった。日常の生活では常につま先立ちで歩いている。 「それに、ゴムボール。今は左手にしたんだね」 それも一環だった。握力を鍛えるため常にゴムボールを握っている。 「変わらないなあ。ゆうちゃんは。ちょっと安心した」 「何も変わらないよ。何かおかしいよ。今日は」 「うん、でも」 「何かあるなら話せよ」 「だって、ゆうちゃんがどこか遠くにいってしまいそうで、そんな気がして、ちょっとね」 何?それ?僕は転校もしないし、遠くに行く予定もないけどなあ。意味がわからず僕は黙ってしまった。 「だって、ゆうちゃんは成績もいいし、野球でも格好いいし。最近、ファンクラブもできたんだよ。だから、遠い存在になったような気がして」 僕はあきれた。そんなこと、関係ないだろう。僕は僕だから。 僕は恵ちゃんの頭に手をおいて言った。 「僕は僕だよ。遠くになんて行かないよ」 「そうかな」 「そうだよ。遠くになんていかない。ただ甲子園に行きたいだけの野球少年のままだよ。何も変わらない」 -野球少年 中学校編 3 へ続く-
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