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アルバイトを始めたことに明確な理由はなかった。たしかに多少お金に困ってはいたけれど、それ以上に大学生として少しは職務に従事することも覚えなくてはならないという、自身の使命感のようなものがあったのだと思う。実際問題、僕の周りの人間もたいていなにかしらのアルバイトをしていたから、それに影響された部分もあったのかもしれない。
ただ、その職業内容として飲食店、それもスイーツショップを選んだことには明確な理由があった。それは僕が、自他ともに認めるれっきとした甘党だったからだ。
お菓子やスイーツと名のつくものはたいてい好きだった。シャルロットにしてもマカロンにしてもババロアにしてもそうだけど、甘いものはみな僕にひとときの安らぎと幸福を与えてくれた。僕のこれまでの人生は波乱万丈なんて言葉が似つかわしいほど過酷なものではなかったけれど、それでもまれにおとずれる小さな災難をともに乗り越えてくれたのは、やはり甘いものだったのだ。
甘露こそが人間の最大の救いである。そう心得る僕の、幼き頃に夢見た自身の将来はパティシエだった。大学生になった今でこそ、そうなりたいとは思わないけれど、アルバイトの就職先にスイーツショップを選定するあたりを鑑みれば、まだその夢に猫の額ほどには未練があるのかもしれない。
五月のよく晴れた土曜日に、僕ははじめて職場に入った。「スイーツファクトリー・アリエス」。そのお店に、僕は中学生の時から足繁く通っているけれど、製作現場にまで足を踏み入れるのはもちろんはじめてのことだった。ひと気と観葉植物で少し騒がしい印象のあるイートインスペースとは打って変わって、厨房は清潔感と静寂に満ちていた。実際のところは機械音が常に響いていて、無音というわけではなかったけれど、張り詰めた緊張とプロの菓子職人の真剣な眼差しは、そんな音さえも打ち消してしまうような気迫を漂わせていた。
僕はただ、素直に感心していた。普段、何気なく食べているスイーツにこんなにも熱意と愛情が込められていたなんて。
それから僕は真摯に研修に取り組んだ。職人の方々に失礼のないように、同じくお菓子を愛する者として。
充実したアルバイト生活だった。僕の業務といえばせいぜい接客程度で、お菓子の製作に関わることこそなかったけれど、お客さんの幸せそうな顔や、甘い香りに包まれた店の雰囲気は、僕の仕事にやりがいを与えてくれた。
週に二日、計八時間の幸せな業務時間。いつの間にか僕は、給与をいただくことにすら抵抗を覚えるほどに、充足感を覚えていた。
数多く接客をこなしていると、人気のあるメニューがなんとなくわかるようになっていた。季節も相まってか、よく注文されるメニューは「フレッシュフルーツのパウンドケーキ」だった。ふんわりとした生地のパウンドケーキの上に少量の生クリーム、そしてさらにその上に夏みかんやさくらんぼなど、季節のフルーツが飾られた五月の限定メニューだ。僕も一年前に、一人の客としてこのケーキを食している。甘みと酸味がぶつかり合うことなく見事に調和した、彩り華やかな素晴らしい逸品であることを、舌が明確に覚えている。もしかすると昨年からなにかしらアレンジを加えているかもしれないから、今年も期間内に是非口にしたい。僕はそう考えていた。
アルバイトを始めて三週間が経った。相変わらず絶えることのない客足に驚かされながらも、僕はその日、新たな職務に手を付けることとなった。チョコプレートへの宛名書き。誕生日ケーキなんかによく載っている板チョコに、チョコペンで名前を書くという仕事だった。バイトチーフから任されたその仕事に、僕は高揚を覚えた。ついにお菓子の製作に自分も関わることができるのだ。こんなにもうれしいことはなかった。
厨房の端に立った僕は、想像以上に難しいその仕事に悪戦苦闘していた。チョコペンという慣れない道具で文字を書くことももちろん難しかったけれど、書く一文字一文字に自らの真摯な思いをのせることもまた難しかった。結局その日はすべて練習に終わり、僕の字が商品として提供されることはなかった。練習に使用した板チョコはすべて僕が美味しく食べた。その時間もまた幸せだった。
「バイトくん!」
板チョコの最後の一枚を口に放り込んだその時、背後から野太い声をかけてくる人物が一人。
「……は、はい」
口の中を空にしてから返事をする。振り向くと、そこに立っていたのは専属パティシエの名本さんだった。強面で屈強な体つきをした、コックコートの似合わないその中年男性は、僕の手が空いているのを確認してから言う。
「悪いんだけど、ごみを裏手の方に出しておいてくれないかな。明日、収集の日だから」
「わかりました」
僕はそう言って一度は業務を承るも、肝心なことを思い出した。
「あの、すみません」
「どうしたの?」
「ごみってどこに集めていますか?」
名本さんは一瞬、きょとんとした顔つきを示すも、すぐに、
「そっか、今月はいったばかりだもんね。今日は僕が教えるよ」
「すみません、ありがとうございます」
僕は椅子から立ち上がり、名本さんの後をついていく。厨房を出たすぐ先にある、洗浄室に向かうと、そこに大きなごみ箱があった。
「これを、裏口に」
そういって名本さんがごみ箱から中身の詰まったビニール袋を取り出す。
「……えっ」
僕は声を上げた。名本さんが驚かない程度の、だけど小さくない声。そうせずにはいられなかった。だってその袋の中に詰まっていたのは、大きなスイーツの塊だったから。
「なんですか、これ」
「え?」
名本さんは、僕の質問の意味がわからないようだった。僕自身、何に対して「これ」と称したのかわかっていなかった。それほどまでに混乱していたのだ。
ビニールの袋の中で横たわっている数多のケーキは、混ざり合い、侵し合い、不気味で醜悪な怪物のような形相を示していた。死んだケーキの山だった。皿に盛りつけられた時の輝きや煌びやかさの名残もなくなったケーキはもはや、死んでいるという表現がもっとも適していた。
ふと我に返って、僕は気づいた。手が震えている。足が動かない。恐怖しているのだ、この死んだケーキの山を前にして。いや、それだけじゃない。僕が恐怖している対象は、もうひとつある。
「……あの」
僕は声を振り絞る。振り絞って、恐怖の対象に話しかけようとする。
「どうしたの?」
恐怖の対象、もとい名本さんは不安げな表情で僕の顔を覗き見る。名本さんが怖い。この惨状を目の当たりにして、平静を保っていられる名本さんに、恐怖を覚える。
「なんとも思われないのですか」
弱く、小さい僕の言葉は、名本さんに届いてしまった。彼は軽快に笑って答えるだけだ。
「ああ、うん。正直もう、慣れちゃったからね。飲食店に勤めていれば、嫌でも目にするよ、こういうの」
僕はもう、何を言う気にもならなかった。名本さんは真面目な人で、彼のスイーツの製作に取り組む姿勢に僕は尊敬の念を抱いていた。器用な手さばきやより良いスイーツを求める貪欲さに僕は憧れていた。そのはずだったのに。
「最近はケーキの味なんかよりさ、見た目が大事なんだよ。お客さんもケーキを楽しむために店に来ているとは限らないからね」
笑って言う名本さんの目に、光はなかった。僕はいっぱいになったビニール袋を裏手に出して、店を後にした。その去り際に、幾人かの客がスマートフォンでケーキの写真を撮る姿が見えた。僕の心から何かが欠けたような気がした。
次の日、僕は「アリエス」を辞めた。
しばらくの間僕は、甘いものから距離を置くようになっていた。コンビニなんかでスイーツが目に入っても、フラッシュバックされる名本さんの言葉に僕はただ気分が悪くなるだけだった。
代わりに始めたディスカウントストアのアルバイトは、長くは続かなかった。商品の陳列も店内の清掃も、僕に達成感を与えてくれることはなかった。普通、アルバイトとはそういうものなのかもしれないけれど、「アリエス」での輝かしき日々を忘れ去ることができずにいた僕は、達成感のない仕事に従事するのは不可能だった。
七月某日、大学の友人に誘われて、僕は海に行くことになった。実家からのわずかな仕送りだけでなんとかやりくりしていた僕にとっては、海に遊泳に行くというのはかなりの痛手だったけれど、大学に入ってやっとできた友人の誘いをむげに断ることはできなかった。
友人の運転するレンタカーに乗って海へと向かう。夏祭りの開催期間にあったため、海岸は大きな賑わいを見せ、設置された各種屋台からは、焼きそばのソースの焦げる香ばしい香りや、綿あめの甘い匂いが放たれていた。
「なあ、あれ買わないか?」
友人が指さす方を見ると、そこには派手な装飾に身を包み、大行列を携えたソフトクリームの屋台があった。僕は心臓の縮こまるような感覚に襲われる。名本さんの言葉が思い出される。
「他のにしないか?ずいぶん並んでるみたいだしさ。僕、焼きそば食べたい」
僕はそう提案するけれど、しかし友人は聞き入れることを知らない。
「お前、焼きそばなんていつでも食べられるだろう。今日はこのソフトクリームを食いにここまで来たんだぜ」
そういうことは先に言っておいてほしかった。僕はやむなく行列のしっぽに立ち、順番が回ってくるのを待った。
三十分ほど並んで、ようやく順番が回ってきた。振り返ると成された行列は以前よりさらに長くなっていて、まさに長蛇というにふさわしいものだった。
「いらっしゃいませ」
暑さと客にうんざりしたような店員の顔にむっとしながら、僕は屋台上部のメニューを見る。あまり食欲をそそられないような、気味の悪いいろどりのソフトクリームの写真が一枚、大々的にそこに貼られていた。どうやらメニューはそれだけらしい。
友人は僕の分まで注文する。
「レインボーミックス、二つ」
「二千円になります」
二千円!僕はついそう叫びだしそうになるのをぐっとこらえて、右手の財布を力強く握りしめる。ソフトクリーム二つで二千円。つまり一つ千円のソフトクリームを、僕はこれから口にすることになるらしい。
Tシャツの中、背中に汗が垂れるのを感じた。決して夏の暑さで出た汗じゃないことを、僕はすぐに理解した。
巨大なソフトクリームだった。僕の顔を優に半分は隠すほどの巨大なソフトクリームは、鮮やかな青や緑の着色料に彩られ、驚くほどに僕の食欲をそぎ落としてくる。
「なにしてんだよ、ほら」
友人はスマートフォンを片手にそう言う。周りの連中がそうしているように、このソフトクリームを写真に収めるのだろう。「アリエス」で見た、ケーキの写真を撮る客の姿が思い出された。
パシャリ、と電子音が鳴り、写真が撮れたのを確認してから、僕はソフトクリームを少し舐める。まずくはない。だけど、決して美味しいとは思えない。もっと美味しいスイーツを僕は知っているし、そのいずれもが千円なんて大金を払うことなく食することができる。それでも僕は、
「美味しいね」
と社交辞令的に言うほかない。しかし友人は、
「そうか?美味しくはないだろ」
と無残にもそう言うのだった。わざわざ千円も払ってソフトクリームを買った人間の発言とは思えない。
僕と友人は、しばらく砂浜を歩きながら、ソフトクリームを食べ続けた。食べても食べても無くならないそれは、日光に当てられ次第に溶けていく。僕はなんとか溶けきる前に食べ終えたけれど、友人のソフトクリームはまだ半分も減ってはいなかった。
「もういいや、これ。たしかあっちにごみ箱あったよな」
おもむろに友人がそう言う。彼は完食を諦めたようだった。「アリエス」で見たごみ袋の中身が思い出され、僕は、
「捨てるなら、僕が食べてもいい?」
「ああ。やるよ」
すでに満腹になっていた僕は、しかし背に腹は代えられぬと、その溶けかかったソフトクリームを引き受けた。もうあの光景を見たくはなかった。あの怪物を作り出す当事者に、僕はなりたくなかった。吐き気を催しながらもなんとか僕は胃袋にそれを押し込む。
「大丈夫か?」
友人はそう言うが、大丈夫なはずがなかった。
自分が食べ残したことに罪悪感を抱いてか、友人は僕のことをおもんぱかって、その日は海を後にすることになった。ふらつく足取りで友人の車まで歩を進める。
ひどく気分が悪かった。いくら甘党の僕といえども、ただ甘いだけのクリーム状の塊をひたすらに胃に流し込んでいれば、吐き気なんて簡単に催すのだ。
それでも自らの正義を死守することができたことに、僕は歓喜していた。あのソフトクリームがスイーツとして相応しい最期を迎えられたことを、僕は誇りにさえ思えた。
直後、僕は失態を犯した。道中に見かけたごみ箱の、その中身なんて確認する必要はなかったのだ。ちらと目に入ってしまったごみ箱の中は、ひどいありさまだった。
地獄だった。先刻、嫌というほど目にしたあの気味の悪いソフトクリームが、ごみ箱の中で溶けていた。おそらくその数は一つではない。いくつものソフトクリームが液体と化し、ごみ箱の中に毒々しい海を作り上げている。
浮いた蟻や蠅の死骸が、海の表面に禍々しい斑点を描き出す。悪臭を放っている。その中にわずかに香る甘い匂いは、自らの運命を拒んでいるソフトクリームの断末魔の叫びのようだった。
耐えられなかった。僕をこれまで何度となく助けてくれたスイーツの、その残酷すぎる終焉に、僕は耐えられなくて。
吐いた。
「おい、大丈夫か⁈」
友人の声が聞こえる。毒の海を、僕の吐瀉物が侵食していく。二つの汚物が混ざり合い、いよいよ見るに堪えなくなったごみ箱を後にして、友人は僕を駐車場まで引っ張っていった。そこから先のことを僕はよく覚えていない。
気が付くと僕は、空になったミネラルウォーターのペットボトルを片手に、友人の運転する車に揺られていた。浅い眠りから覚めたころに、僕はようやく自宅に送り届けられていた。
午後六時を回ったアパートの自室で、僕は夕焼けに身を預けながら、ベッドに横たわっていた。ケーキの怪物と、ソフトクリームの地獄と、名本さんの言葉について、ずっと考えていた。
「最近はケーキの味なんかよりさ、見た目が大事なんだよ。お客さんもケーキを楽しむために店に来ているとは限らないからね」
もう二か月ほど前に一度聞いただけの、名本さんのその言葉は、今でも明確に思い出せる。今日、あのごみ箱の惨状を目の当たりにして、僕はその言葉から目をそらさずにはいられなくなった。
人はスイーツが好きなんじゃない。スイーツを食べている自分が好きなんだ。だから誰もが写真を撮ることを怠らないし、その写真がより際立つように、製作する者もまた、味より彩りを優先することだってある。あの毒々しいソフトクリームがいい例だった。
「はあ……」
僕はため息をつく。スイーツとは、本当にそうあるべきなんだろうか。スイーツが満たしてくれるのは、自己顕示欲なんかじゃないはずなのに。
僕はこれまで何度もスイーツに助けられてきた。だけどこれじゃあ、スイーツ自身は救われるはずもない。こんなのって。
「あんまりじゃないか……」
僕は弱く呟き、ゆっくりと体を起こした。ぐう、と腹が鳴る。思い返せば昼に食べたものをすべて吐いてしまったのだから、腹が減るのも無理はなかった。
自炊する気になれなかった僕は、弱弱しい足取りで家を後にした。ただ、どうしても今日だけはスイーツを目にしたくなくて、僕は自宅から二駅離れた中華料理屋に向かった。
店内は混んでこそいたけれど、僕は並ぶことなくカウンター席に腰を下ろすことができた。一番右端の空いた席。天津飯を黙々と食している小柄な女性を左隣に据え、僕は炒飯とギョーザを一人前ずつ注文した。
「あいよ、炒飯」
頼んだ炒飯は注文したおよそ二分後に差し出された。さすがに早すぎると思ったら、それもそのはず、受け取ったのは隣の女性だった。僕は静かに料理が出てくるのを待つ。
「ギョーザ、三人前ね」
すぐにギョーザが来た。しかも三人前。僕は一人前しか頼んでないからおかしいと思ったが、その三人前のすべてをまたも女性が受け取ったのだ。
「ごめんなあんちゃん、もう少し待っててな」
店主は苦笑いでそういうが、僕にはほとんど聞こえていなかった。僕の目は、左隣の女性に釘付けだった。よく食べる人だと、そう思った。注意して見ると天津飯と炒飯のほかに、空になった中華そばの器が二つほど奥に並んでいる。
彼女は黙々と、おそらくは無心でひたすらに食べ続けていた。店内の多くの客がスマートフォンを片手に操作しながら食事を進めている中、彼女はただ一点、箸の先だけを見つめて、無言で食べ続けていた。僕はその姿に見惚れていた。
やっと差し出された僕の料理は、気づくともう残すところ半分ほどになっていた。彼女につられて、僕の箸の進み具合も自然と加速していたと思う。
「杏仁豆腐、四つね」
僕が一人前のギョーザと炒飯を食べ終えたとき、店主は女性に杏仁豆腐を差し出していた。彼女はその三つを手元に寄せ、一つだけはそうしなかった。
「あの」
彼女がおもむろにそう言う。僕は、自分に声を掛けられていることを理解するのに少し時間がかかった。
「は、はい。なにか?」
「これ、よかったら。私の注文のせいでだいぶ待たせちゃったみたいですから」
そう言って彼女は、杏仁豆腐をひとつ、僕に差し出してきた。
僕は一瞬たじろぐ。腹の具合としては、たしかに杏仁豆腐一つ分くらいのスペースは存在している。ただどうしても、甘いものを食す気分には今の僕にはなれなかったのだ。
「もしかして、甘いのお嫌いですか?」
「い、いえ。好きですよ。とても」
彼女の厚意をむげにすることもできず、僕はつい、食い気味に答える。こうなったらあとには引けなかった。僕は杏仁豆腐とスプーンを受け取った。
光沢と張りのあるその塊を、ひとかけらだけ口に運ぶ。おそるおそる舌にのせると、それは甘味だけをただ残して、長居は無用と言わんばかりに溶けては消え去った。
簡素な味だった。簡素で、それでいて高邁たりうる美味だった。
甘みが、僕を優しく包み込んでくれた。無駄な装飾のない、ただ純白であるだけの、なんなら僕の独力をもってでも作れそうなそのスイーツは、悩む必要はないのだと僕に教えてくれているようだった。少しだけ涙が出そうになった僕は、それをぐっとこらえて最後の一口を咀嚼し、飲み込んだ。
僕が一つの杏仁豆腐を食べ終わるころには、彼女の三人前の杏仁豆腐の皿はすでに空になっていた。その食いっぷりに思わず笑みがこぼれる。
「いいですよね、甘いものって」
彼女は笑って、僕にそう言った。空になった皿と器の山の写真だけをスマートフォンで撮影して、会計を済ませてから彼女は、
「ごちそうさまでした!」
と大きく言い、店を後にした。僕はもう、笑いがこらえきれなくなった。彼女の大食漢たる食べっぷりと、大きなごちそうさまの声に、なんの感情も抱かないでいられるわけがなかった。
その日の中華料理屋は、僕の笑い声が有線放送をかき消すようにしてよく響いていた。
およそ三週間後に、僕は彼女と中華料理屋で再会することとなる。そのときに聞いた話によれば、彼女はブログを書いているらしい。もちろん、自身の食事について。ただ毎日、自身が平らげ、空になった食器の写真を投稿するだけの、アクセスカウンターのほとんど回らないそのブログのタイトルはこういうらしい。
「暴食は大罪に非ず」
と。
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