2人で駅まで

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2人で駅まで

(……ふう、お店を逃げるようにでてきちゃった)  店内を飛びだして、しばらくがたつ。  私は1人、隣町の歩道にいた。 (そろそろ菜央実ちゃんの家に向かったほうがいいかも。それにしても――)  ここ、どこなんだろう?  自分が住んでいる町の隣にある町とはいえ、菜央実ちゃんの家に行く以外はあまり立ちよらないんだよね、この町。  やむくもに店をでてしまったことを後悔する。  左右どっちに行けば駅にもどれるんだろう。  駅にもどらないと菜央実ちゃんの家(大きなマンション)まで行けないのに。 (ただでさえ、私は――)  頭の中で、自分の弱点を意識しかけた時。  後ろから声をかけられる。  さっきもこの声に呼びかけられたばかりだ。あたたかくてよく通る、男の人の声。 「リノちゃん……だったよね?」  振り向かなくても誰だかわかったけど、声がした方向に体を向ける。 「……えっと、その……」とあいまいな返事をしながら。  私の目の前に、さきほどの店員のお兄さんが立っている。  にこやかにほほえみながら。  今は店のエプロンをはずして私服。肩からバッグもかけているし、今日の業務は終わったみたいな雰囲気。  日曜も仕事なんて大変だな。    でもって、仕事があがったなら、私たちの間柄は「『店員さん』と『客』」から「ある兄妹の、『兄の友達』と『妹の友達』」に戻ったわけだよね。  今、私のこと『リノちゃん』って呼んだのも、菜央実ちゃんが私のこと『リノちゃん』って呼んでたのが偶然聞こえたんだと思う。  私はこの人をおぼえているけど、この人は私のことをおぼえてない可能性が高いと思ってたから、存在どころか名前まで記憶していたことに びっくり。  もっとも、『リノちゃん』は私のあだ名であって(本名が元になっているとはいえ)本名ではないけど。 (この人、なんで私にまた話しかけてきたの? さっき話しかけられたのは、わかる。私が商品を探してると思って声をかけてくれた。……でも、今はどうして?)  私の疑問に気づいたのか、彼はおだやかな口調で言う。 「バイト終わったら、リノちゃんの背中が見えて。もしかして、また道に迷って困ってるのかもって思って声かけたんだけど――今日は1人で大丈夫?」  ……この人が私のことをおぼえているということは――。私が道に迷いやすい、かなりの方向音痴だということもおぼえているって事なんだと気づく。 (そもそも、この前、私が彼に助けてもらった状況っていうのも……)  菜央実ちゃんの自宅はとても大きなマンション。  遊びに来ていた私は、その日、他の友達より一足早く帰ることになっていた。  玄関まで送るといってくれた菜央実ちゃんに、他の友達もいるし前にもお邪魔したことがあるから大丈夫だよと言ったのは私。  結果私は、菜央実ちゃんの部屋からでたものの、玄関ドアまでの行き方がわからなくなってしまった。  部屋数の多い広々したマンションとはいえ、以前来たことあるのに迷ってしまう。  あたりをグルグル、行ったり来たりしているうちに――菜央実ちゃんの部屋にも、どう戻っていいのかわからなくなっちゃって、途方にくれていた。  そんな私に「どうしたの?」って声をかけて助けてくれたのが、菜央実ちゃんのお兄さんの友人である、この人――。たまたま遊びに来ていたらしい。 「菜央実ちゃんのお兄さんですか。どう行ったら玄関に着くか教えてくださいっ」  って助けを求めた私に彼は――。自分は菜央実の兄の友達であって彼女の兄ではないけど、玄関までなら案内できるよ、と答えて、道順をおぼえるのが苦手な私を玄関まで連れてってくれた。  そして今日も、私の方向音痴ぶりをおぼえていて、心配しているみたい。  助けてもらってばかりになってしまうけれど、このままだと菜央実ちゃんとの約束の時間に遅れてしまう。  私は彼に早口で告げた。 「この前はありがとうございました! ……実は今日も、今いるここがどこかわからなくて――よかったら駅までの道、教えてくださいっ」 頼みこむ私に彼は笑顔で言った。 「『教える』って言うか、いっしょに行かない? 俺も今から駅を通って家に戻るつもりだから」 「え、いいんですか?」  「ああ、それじゃあ、行こうか」と彼はなんでもないことのようにうなずいた。  この人にとって駅までの道を歩くのは なんともなくても、今の私にとって彼は希望の光。  だって、方向音痴の私には、道順を教えてもらうより、いっしょに駅まで行くほうが断然ありがたい。  この前も菜央実ちゃんの家で迷っていた私をスイスイっと玄関まで案内してくれた人だし。  さっきから、心の中で『この人』とか『店員さん』とか『菜央実ちゃんのお兄さんの友達』としか呼べないのは、私は彼の名前を知らないから。  思い切って聞いても、不自然じゃない?  2人で駅をめざして並んで歩いている最中。私は彼に話しかけた。 「あのっ――!」 「何? リノちゃん」 「あのっ、『リノ』は私のあだ名で本名ってわけじゃないんです」  ……あれ?  私はこの人の名前を聞こうとしていたのに、なんで別のこと口走っているの!?  名前を聞いた後でいいんじゃない? リノがあだ名なんてことは。  特に『今日の私』がこの人に本名を伝えるのは、……結構恥ずかしいよ。  だって、私の名前は――。  私が自分の名前を頭に思い描いた時。  彼は私の目をみながら言った。 「そっか、『リノちゃん』は あだ名だったんだ。あ、俺は西条。西条 誠っていうんだ」 「……西条さん?」 「そう、よかったらリノちゃんの本当の名前も教えてくれる?」  あたたかな茶色をした瞳で私をじっとみつめながら聞いてくる西条さん。  普通の女の子なら、胸が高鳴る子も多いと思える状況かも。  この人、明るくてさわやかで、性格のよさそうなイケメンだし。  でも、私は西条さんの質問に、緊張で体が硬くなる。  震える声でどうにか口を開いたものの。 「――私は、えっと……その、ごにょごにょ……」  蚊の鳴くような声しかでなかった。  西条さんは、ちょっと困った顔。 「ん、ごめん。聞きとれなかった。もう一度いいかな?」  今度こそ聞きとれる声を心がける。 「……私の名前は『森野』です。名字が『モリノ』なんで略して『リノ』って呼ぶ子が学校の友達には多くて……」 「あー、森野さんだから、リノちゃんかぁ。てっきり下の名前が『りの』なんだと思ってたよ」  西条さんは、謎が解けたっていう雰囲気の笑顔をみせた。  彼は私に『西条 誠』っていうフルネームを教えてくれたけど……。でも。 (別に私のフルネームは知らせなくてもいいよね)  私が下の名前を教えたくないのには訳がある。  小学生時代、私は男の子にフルネームをからかわれたことがあって。……というか。性別年齢とわず、私はあんまり名前を教えたくない。  私の名前を決めた両親からも、初めての子で人の名前をつけるのは夫婦ともに初めて。おまけに、かなりマタニティハイだった――と聞かされているし。  私は自分の名前をこのまま黙っておくつもり。  ――そうこうしているうちに視界に隣町の駅がみえてきた。  ここまできたらもう私1人でも大丈夫。 「西条さん! 今日は……というか、今日も先月も色々ありがとうございました。駅まできたら、方向音痴の私でも菜央実ちゃんのマンションまで無事たどりつけます」  西条さんはニッコリほほえんだ。 「どういたしまして。俺、これから電車だから」  そう言い残し、彼は背中を向け、駅の中へと歩いていく。  今度いつ会えるかわからない。もう会えないかもしれない。  西条さんは、私が今日よった食料雑貨店でバイトしてるって言ってたけど、いつ彼がお店にいるかなんて知らないし。  菜央実ちゃんの家で、彼女のお兄さんに会うことさえたまにしかないから、その友人である西条さんに今後会える機会なんてもうないかもしれない。  まだ2、3回しか会っていない人なのに、なんだかすごく名残惜しさを感じて――。  気がつくと私は。 「西条さん!」  彼の名を口にしていた。彼の背中に向かって、小さいとはいえない大きさの声で。  西条さんが振り向く。やさしく口角があげ、冗談っぽい口調で言う。 「何? やっぱりマンションまでついていったほうがいい? 俺ならまだ時間あるから大丈夫だよ。どうしたの?」  あたたかな茶色の目をほそめて私をみつめる西条さん。私は、おずおずと告げた。 「……えっと、今日はありがとうございました」 「お礼ならさっきも聞かせてもらったよ」  西条さんは、何度もお礼を言われるほどの事はしてないよって笑うけど。私は……。 「でも、最後にまたお礼を言いたくなっちゃって」  テレながら告げた私に西条さんは言った。 「最後、か。あ、そうだ、君の名前聞きたいな。名字だけじゃなくて、名前も」  名前、聞かれちゃった。  聞かれた以上は、ごまかさずに正直に教えたほうがいいんだろうけど、つい、条件をつけてしまう。ちょっと もじもじしながら私は言う。 「…………西条さんが、笑わないって約束してくれるなら」 「えっ! 俺、人から名前を聞いて、笑ったりしないよ。もしかして、変わった名前してるの?」 「変わったというか――名字と名前でセットになってるような――」 「セット?」  首をかしげる西条さん。  ああ、もう言ってしまおう。覚悟を決めて。  私は西条さんに自分の名前を教えた。 「……こりす……です」 「え?」 「私の名前、『森野こりす』っていうんです」  言っちゃった! やっぱり恥ずかしい。心臓がドドドドって音をたててる。  今日の私はクルミ(のお菓子)を探してたから羞恥心も倍増してるんだ。きっと。  だって名前がこりすでクルミを欲しがってるなんて、行動が名前どおりすぎて――。  私は言い訳するように言葉を続けた。 「『こりす』って呼ばれるの恥ずかしくて、友達にも名前では呼ばないでって言ってて――名前を教えなくてもいい状況ではめったに言ったりしないんです。両親からも普段は『こーちゃん』って呼ばれてるし……」  ああ、親からいつもなんて呼ばれてるかなんて、全然聞かれてないのに……。  緊張のあまり聞かれてない事までしゃべっちゃうのは、私の昔からのクセだけど。  でも。  西条さんは私のこと、笑ったりしなかった。  彼はおだやかな調子で答える。 「『こりすちゃん』って名前、可愛いと思うけど」 「可愛い?」  西条さんは、うなずいた。  異性から名前をほめられたのは初めてで、想像してなかったほど くすぐったい気持ちになる。  頬がすごく熱くて――胸がドキドキしてる。今の私、きっと真っ赤な顔してる。  ……こういうの、慣れてない。  あ、西条さんは慣れてるのかも。(女の子をやたらドキドキさせるって意味ではなくて、変わった名前を聞くことに慣れてるかもって意味で)  店員さんのバイトをしていたら、色々なお客さんの名前を知ることが多くて、その中には変わった名前の人が案外いっぱいいる、とか……。  この人は、変わった名前に耐性ついてるのかもしれない。  すごく自然に私の名前、受け止めてくれたもの。  以前、からかいはしないものの、笑うの我慢して結局吹き出しちゃった男の人もいて……。相手に悪気がないことはわかってても、そういうことがあると――。次に誰かに名前を教えるとき、すごく勇気をださなきゃいけなくなる。 (なんにしても、よかった……)  小学校時代の、名前をからかわれた経験から、今も(特に男性に)名前を知られるのをやたら気にしている私は、ほっと胸をなでおろした。
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