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私は昔からオムライスが大好きだ。
玉ねぎ、ハムにピーマンを色づくまで炒め、ライスとケチャップを追加して炒める。別のフライパンでたっぷりとバターを溶かしたところに真っ黄色の卵液を流し込み、箸で素早く中心に向かってぐるぐるとかき混ぜる。少し固くなったら、赤ご飯を乗せて卵で包み込む。
お皿に登場した金色のオムライス。もうその姿を見ただけで腹の虫が合唱を始め、唾液が口の中で増えていく。ほんのり甘くて濃厚な卵の匂いが鼻腔を通り……もう我慢出来ない!わずかな時間でケチャップをたっぷりとかけ、口いっぱいに頬張る。ケチャップが付いても皿が空になるまで気にもとめなかった。
落ち込んだ時、テストでいい点を取った時、誕生日の時。思えば私の日常に多くオムライスは登場し、私を笑顔にしていた。
だがーー
タン、カッ、タタン。
決してリズムゲームの音でも楽器の音でもない。
「えーっ……と。あ、あそこか」
グルメナビサイト。クチコミから地図、メニューまで多様な機能を揃えている画面から顔をあげる。行き先は書店と居酒屋を真っ直ぐ行ったところの角を曲がった所。
方向音痴が故に、学校から割と近くにあるのに迷っていた私は、もう一度検索をしていた。
角を曲がるとブラウンを貴重に植物の緑で彩られてるカフェについた。白の木材で『Cafe くつろぎ』と書いてある。
鈴の音がする扉を開けると銀の皿を持った店員さんがいた。
「いらっしゃいませ。一名様ですか?」
一名。その単語に腹から胸に向かって何かが広がっていくが、店員に当たっても仕方ない。私はこくりと頷いて、ソファがあるテーブル席に案内されて行った。頭一個分低い彼女のポニーテールが左右に揺れる。
「こちらの席です。だんだん外が寒くなってきましたよね。どうかゆっくりしていってくださいね」
私がが不服そうにいても柔らかい笑みを止めなかった。笑うとえくぼが出来るらしい。
(ていうか、席まで案内してくれる人初めて会った)
いつもなら「お好きな席を」「奥の方に」と入り口で手だけその方向を向けられるのに。
「では、お決まりになりましたら」
「すみません。『ふわとろオムライス』一つください」
その場を去ろうとした店員に注文をする。突然遮ったにも関わらず、相手は職業柄なんだろう
「ご注文承りました。『ふわとろオムライス』おひとつですね。お冷をお持ちしますので少々お待ちください」
店員は茶色エプロンからメモを出し、ペンを動かす。にこりと笑って一礼してから厨房の方に戻っていった。マニュアル通りの接待に見えるが、下がった目尻と上がった口から出来た頬は摘めるくらい膨らんでいて、えくぼが可愛く映った。
この時、あのサイトの評価は間違いではなかったんだと納得した。
私は近場でとにかく美味しいオムライスが食べられるところを探していた。チェーン店でも良かったが、そもそも近くにチェーンでオムライスが食べられるところはない。そこで使ったのが有名なグルメサイト。使ったのは初めてだったが、位置情報をONにすると直ぐに出てきた。八件。そのうち五件は徒歩では遠いと判断したので星の数から考えることにした。
一位は嫌というほど見た店名……もう体が拒んでいる店の名前があり、そこはパス。次に二位。今日は臨時休業のためダメだった。
(まさか、三位のカフェに行くとは思わなかったけど)
でも、ここは味の評価よりも『落ち着きがある』『何時間だって居たい』という店内に関するコメントが多いところだった。店内を見回せば友人とコーヒーを飲んでいるOLさんやグラタンをじっくり噛み締めているおじいさんがいる。どこからかクラシック音楽がかかっている。直接誰かの心に聞いた訳でないが、皆ゆったりしていて安心すると印象を受けた。
ソファにもたれるとふわっとした布地に背中から包み込まれる。暖かくて柔らかい。足も机の下で伸ばし少々行儀が悪いけどいいだろう。
「……疲れた」
「お冷、お持ちしました」
後ろから声が聞こえ、肩が跳ねる。姿勢を整えて店員を見るとさっきの女の子ではなく、顔と鼻が細長い薄い目をした男の店員だった。心臓が跳ね、背中に汗をかく。
「あ……どうも」
「ふわとろオムライスの方もあともう少しでお持ち出来るので」
その店員はどこか貼り付けた笑顔に見えたが、頭を下げて戻っていった。どうにか鼓動も落ち着いてきたが、やっぱり男性が苦手になってしまったんだろうか。いや、考え過ぎならいいんだが。
ここへ来る前、私は三年付き合っていた恋人に振られた。理由は「お前は何も出来ない役立たず」だった。
たしかに私は不器用でハサミで真っ直ぐに切れないし、塩と砂糖を間違えるという初歩的なミスを今でもたまにする。
得意料理(になるはずだった)のオムライスさえ完食をされたことがない。
やがちゃ……屋形さんのは幸せそうに食べるのに。
「お、お待たせしました……!!」
現実に呼び戻され、顔を上げると皿を持ったポニーテールの店員がいた。微かに手が震えている。
(私、なんか口に出したかな……)
不安の上にさらに不安が盛られるが、それはテーブルの上に置かれた料理によって消された。
赤い丘の上にふわふわの卵が皿に乗っている。周りはデミグラスソースがかけられていた。
「ふわ…っ、ふわとよ、……当店自慢のふわとろオムライスです!卵をナイフで割って開いて食べてください!」
噛み噛みから急に大声に。「緊張」という二文字が脳内に浮かんだ。
「ごゆっくりどうぞ!!」
彼女はケースを置いて、急いでこの場を去るが、手と足が同時に出ていて、ガシン、ガシンとロボットのように帰って行った。
「……さてと」
ケースからナイフを取り出す。卵はホカホカだ。出来立てだ。湯気が出ている。
(わっ、ぷるぷるしてる……)
刃を卵に差し込むと卵が揺れた。中からオレンジに近い黄色が見える。新鮮な証拠だ。
(どうしよう。さらに緊張してきた)
その場で深呼吸をする。卵とデミソースの匂いがふんわりと香り、落ち着きと程よい興奮がやってくる。早く食べたい!早くして!心がそんなことを言ってる。
右手に持ったナイフを右端まで進める。すると、
「ふっ、わぁ………」
はらり。卵が左右に解けてライスを包み込む。まるでドレスだ。黄色く波模様があるドレス。ドレスアップしたお姫さま。
半熟で艶があり、とろっとろと卵液が表面を流れ落ちる。急いでナイフからスプーンに持ち変えた。
「いっ、いただきますっ……!」
手を合わせ、てっぺんにスプーンを入れる。ふわっと破れた黄色にオムと真っ赤に染まったライス。
「はぁ……むっ!!」
口の中に入れた瞬間、全身が震えた。最初はバターと卵、外見では分からなかったたっぷりのチーズという濃厚な味に迎えられる。卵はふわっとしてから直ぐに溶けてしまう。歯がいらない柔らかさとはこのことだろう。あと引くチーズと次に酸味の抜けたケチャップで炒めたライスが抜群過ぎる。具は玉ねぎだけみたいだ。けど、これがまた甘い!感動ってやつだ。
こんもりと盛ったはずのオムライスは口の中からすぐに無くなっていた。
「ふぅー……」
待って。待って。一回目からこれはずるい。
もう一口食べようとしたが、視線を落とすとドレスの裾がビーフシチューの湖と溶け合っていた。ごくり。
「んっ……!」
(美味しい……!!)
ハンバーグにもかかっているソースだが、有名なのはハヤシライスだろう。デミグラスソースに玉ねぎや牛肉を入れてじっくりと煮込んだ洋食だ。
デミならではの苦味もあるがこれは甘い。舌触りは滑らかでコクのある味が広がっていく。よく見ると褐色より少し赤めだ。トマトを使っているんだろうか?
普段は少し癖があって苦手だが、これは優しい味がする。ここのハヤシライスなら食べてみたい。
ごろっ。ふとご飯の中で何かが転がるのが見えた。
好奇心がわき、入り口を作ったところにスプーンを進ませ、中まで開けてみる。
「……っ、すご……」
見えてきたのは肉の塊だった。ライスの中心に角切りの肉が沢山詰めてあった。
(やばいやばいやばい)
見ちゃいけないものを見た気がする。触れたらダメ。けど、本能が食えという。
「……!!……てことは」
オムライスと肉とソースを一緒に食べたら……。
(どうなるんだろ……)
お肉を一欠片、少し小さくオムライスを作り、直にそれをソースにつける。スプーンの上でキラキラと輝き、口の中にーー私の中へ入りたいと誘っていた。
(なんだかいけないことをしてるみたいだ……)
口に進む手が少し震えているのを見て、ポニーテールの店員を思い出す。理由は分からないが、彼女も何かで緊張していたことを。
「あっ……むっ……」
ぷるん、きゅ、ふわ、もちっ、ほろ。
語り切れないほどの物語が口の中で展開している。お肉はジューシーでほろっと崩れ、甘く濃いオムライスにはほんのり苦味が出て別の顔を見せてくれる。
「……っ……ふぁ……美味しい……」
スプーンが進む。食べる度に思い出す。
初めてオムライスを食べたのは五歳の誕生日の時。ケーキの代わりにママが作ってくれたのは卵が固いオムライスだった。
ママはあんまり料理上手ではなかったが、お父さんが来てからさらに頑張っていた。筑前煮やグラタンも作れるようになったし、オムライスもふわふわとろとろで焦げ目は無くなっていた。
ううん。そんなことはどうでもいい。家には笑顔が多くなっていた。特に私の大好きなオムライスが食卓に出た時はみんな幸せな笑顔をしていた。
『お前さ、毎回毎回オムライスってなんだよ。しかも破れてるし焦げてるしベチャベチャだし……聡子の方がよっぽどうめぇわ』
母のレシピはもうどこにもない。記憶を頼りに作った大好きなオムライスはいつしか苦痛になっていて、あいつは毎回嫌な顔をしていた。
『ごめんね……。次は上手く作るから……残しててもいいよ……』
友達もいる。お父さんもいる。テストではいい点で指定校だって狙えてる。でも、最後に心から笑ったのはいつだっけ。
ふと顔を上げるとお冷を持った誰かがいた。上は黒のタートルネックでオレンジ系のナチュラルメイクを目尻にしてあり、目が印象的。でも鼻にあるそばかすや太い黒眉は寄せてある。ふっくらとした艶のあるピンクの唇からは、
「大丈夫ですか!?」
「へっ……?」
「な、何か嫌なことでもありましたか?」
嫌なこと。
ああ、そうか。私は。
(嫌なことがあったんだな。)
私は今日、振られた。唯一無二の幼馴染に寝盗られた。
二人がきっかけとなったオムライスを私は嫌いになろうとした。今日はオムライスにとっての最後の晩餐になるはずだった。
なのに。
「ま、まさか私の料理に……あれ、でも全部、空……」
「私はやっぱり好きでした」
「………えっ?」
どんな事があっても、私にとってオムライスは。
「大好きなんです。オムライス、とても美味しかったです。ご馳走さまでした」
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