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『最後の晩餐』
目を覚ましたはずだった。
だが、いくら目を凝らしても真っ暗で何も見ることができない。
「落ち着け」
そう自分に言い聞かせながら、確かめるように、瞼を開ける。ゆっくりと、じっくりと目をこらす。
だが、やはり何も見ることができない。
しかし、すぐに気がつく。
目の周りを何かで覆われているのだ。感触からすると、それは単なる布ではない。タオルのようなものでもない。
眼球の上の部分と眉毛の上の部分の肌触りの違い(眉毛の上の部分からグルリと一周、縁の辺りが厚めの何かで縫われている)、耳のあたりにかかるゴムらしき感触。
そう、これはしっかりと目を覆うためにつけられたアイマスクに違いない。
その上、ロープのようなもので、手は後ろでしっかりと結ばれている。
ご丁寧に足首まで固定されているようで、足を動かすこともできない。
「どうして、こんなことになってしまったのだろう?」
大抵の人ならそう考えてもおかしくない状況だ。
仕事を終え、帰宅したことまでは記憶している。だが、次に目を覚ましたときには何者かによって身体を拘束されている。わが身に起こった出来事に、そしてこれから待ち受けている命の危険に恐怖を感じるのが当然だろう。
だが、私はそうは思わない。
なぜならそれは、私がこれまであゆんできた人生を考えると、当然の結末だからだ。
仕事柄、私はこれまで数え切れないぐらいの『名前』を所有してきた(ただし、幸か不幸か私に当てられた『コードナンバー』はひとつだけだ)。
この手で歴史に名を残す人物の寿命を短くしたこともある。その活動は国内にとどまらず、すべて異なる名前のパスポートの数は私の両手で数えきることはできない。
だから、いつかこんな日が来ることは、心のどこかでいつも意識をしていた。
実際、この数十年間、仕事仲間の多くがある日このようにして、この世から消えなくなった。その度に私は、一本の薔薇とブランデーを近くの丘に添えてきた。時には、そのあっけない終焉に涙する夜もあった。
その彼らの最期を見る度に「今度は自分の番かもしれない」と覚悟を決めた。
だが、そう長年覚悟を固めてきたのにもかかわらず、いざ、こうして光すら見えない暗黒の世界に引きずり込まれると、やはり冷静ではいられない。それが証拠に呼吸は荒く、体の震えが止まらない。
「はたして、ここはどこだろう?」
耳を澄ませる。遠くの方で水の音がする。
そこに誰かがいる。見張りのものか、それとも『執行者』か。
後ろで縛られた紐が手首に食い込む。その痛みに眉をひそめる。
死を待つ身。
残されたその命の灯火を、今にも消えそうな命を噛みしめる。
ふと、その時、どこからか温かい湯気のような気配を感じる。
何日間、こうして寝かされていたのだろうか?
私は究極的にお腹がすいていることに気づく。
捕虜には食べるものを与えないのか?
それが、この『執行者』たちの流儀なのだろうか?
もちろん、この命が今にも尽きようとしていることはわかっている。だが、せめて何か、最期に口に入れてから死なせてくれはしないだろうか?
インドには70年間飲食を一切せずに生きる『サドゥ』というヒンズー教の苦行者がいるそうだが、大抵のものなら1週間から10日、何も食べないと死んでしまう。さらには水を一滴も飲まずにいると、4,5日程度で人は死ぬ。
そうか……。
そこで始めて『執行者』たちの意志を知る。
これだけ喉が渇き、お腹がすいているのだ。おそらく私は監禁されて4,5日目に違いない。
そうして、私はこのまま何も口にせずに餓死させられるのであろう。
手と足を後ろで縛られている私は、エビのようにして横に寝ていた。
空腹はとっくに限界を超えていた。
せめて……せめて、最期に何かを口に入れさせてください……。
そう心の中で何度も神に頼み込む。
生まれてこのかた、一度も神を信じたことがないにもかかわらず。
正月になっても神社に参ることもなく、お盆になってもお墓参りすらしない。それなのに、私は今、必死に神に賴みをしている。
どうか……どうか、神様、私に食べ物をお与えください……。
と、その時だった。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。
私が寝転ばされた頭上の方から、小さな電子音が聞こえてきた。
それは、何かを開始するための合図のように思われた。
もしかすると……いよいよ『執行者』が現れるのだろうか?
このまま私の命は終焉を迎えるのだろうか?
餓死させられるのならば、しょうがない。それは素直に受け入れよう。極めて残酷な殺し方だが、これまで自分がしてきた『行為』を考えると、それもやむを得ない。
だが、ここに『執行者』が現れたとしたら、私は彼に最後の願いをしてみたい。
『最後の晩餐』。
死ぬ前に最後に食べるもの。
それを聞かれたら、私はなんと答えるだろうか?
だが、それは考えるまでもなかった。
私の心の中に浮かぶものはただひとつ。
極貧の幼少時代、どうにかお金をかき集め、手に入れ食べたもの。
カップラーメン。
物心ついた頃から、(笑われるかもしれないが)住むところも着るものもろくになかった私にとっての最大のご馳走。それが、カップラーメンだった。
そう、あれを最後に、どうにか口にできないものだろうか?
ほんの一口でも、いや、汁を飲むだけでもいい。ああ、あの温かい湯気に包まれたカップラーメンを食べたい。
どうか……どうか、神様……。最後に私にカップラーメンを食べさせてください。
そのとき、まるでその願いに応えるように、ぐう――っと私のお腹が鳴った。
究極的な空腹が私を襲った。
その空腹は限界を遙かに超え、私に恍惚感に近い感情を抱かせた。
だが、その時、例の電子音が、再び音を立てた。
ピッ、ピッ、ピッ、ピッ。
やはり、それは、私が寝転ばされた頭上の方から、小さな電子音が聞こえてきた。
もちろん、それは奴らにとって、開始の合図なのだろう。
顔の見えない、得体の知れない何かが私の元に向かおうとしていた。
床につけた私の右耳がひたひたと歩く足音をキャッチした。
そうして、その足の主が私にこう語りかけた。
「旦那様、旦那様」
ノックを数回したあと、そう聞こえてきた。
私は慌てて、アイマスクを取り、お尻の辺りで繋いでいた右手と左手を離した。
「旦那様、おわかりかもしれませんが、タイマーが鳴っております。そろそろお時間かと」
「うむ」
部屋のドア越しに応対した私は、急いで席に座り、フタを開けた。
きっかり三分間待ったカップラーメンは湯気が立ち、私の食欲をそそった。
それもそのはずだ。
私は、ついさっきまで何者かによって、監禁され、数日間何も口にしていなかったのだ。
そんな究極的にお腹がすいた状態で食べるカップラーメンが美味しくないわけがない。
「ズルッ、ズルッ」
「スー、スー」
「は~~~」
大学卒業後、起業した私は今や社員1万人を抱える大会社の経営者である。
だが、そんな裕福になった私の唯一の楽しみが、大学時代に編み出したこのような『三分間の妄想』であることは、家族にも、友人にも、決して誰にも言えない秘密なのである。
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