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…夕暮れ時、モダンな喫茶店には、洋楽のレコードが流されている。
「…へえ、雰囲気いいね。」
「いい場所でしょう? 人気が少なくて、落ち着くの」
この街角の喫茶店に、何故この鞍吽忍というクラスメートと同じ席に着いているのか、というと──、
「いいんですか? 奢りなんて」
「借りは作りたくない」
…ということ。踊り場助けてもらったから、という理屈で茶の一杯は奢る、と押し通した。
暫く経つと、テーブルの上に先程注文したケーキとコーヒーのセットが人数分が並べられる。
「…食べないの? 遠慮しないで」
「…ああ、うん。じゃあ、頂きますっ…旨い!」
オーバーに見えるが、実際に美味しくはある。メニューには手作りとあったが、その実力は折り紙つきと言っていい。
「…ひとつ、聞いてもいい?」
彼がケーキの最後の一片を呑み込んだのを見計らって、話を切り出す。彼方が頷くと、軽く息を吸い、その先を口にする。
「…貴方は、いつも笑ってるよね?」
「うん、それが──」
「でも、笑顔以外は、殆ど見たことないよね?」
──鞍吽くんの身体が硬直する。笑顔のまま、目線だけが泳ぐ。既に呑み込んだ筈の喉がまたゴクリと動かす。
「…どういう意味?」
「はぐらかさなくていい。私は、貴方を知っているから」
──私は、貴方を知っている。その言葉を受けた彼は、さながら心臓を握られたような顔を覗かせる。
表面的にではなく、その本質を知っている。少なくとも、そういうニュアンスだと彼は理解している風だ。
「ケーキを食べた時の反応もそう。芸人でもないのに、わざと大袈裟に言ってる。」
「…大袈裟、かな?」
惚けた様子で、あくまで何もわからない素振りを見せる。そんな彼に、鞄からあるものを取り出して見せる。
「それは…!」
予想通り、驚愕を露にする。それはそうだ。私が手にしているこれは──、
「貴方のノート。ちょっと提出するの忘れてたわ」
我ながら白々しい、と自嘲しつつ。パラパラと頁をめくりながら、板書の精度を確かめる。
「貴方、ノートしっかり書いてるのね? でも、この間の小テストは悪かった。おかしくない?」
「…それは、その。ヤマ張った場所間違えて──」
「ちゃんと復習の跡があるのに? このノート、ちゃんと勉強している人のノートよ?」
──彼の頬から汗が滴り落ちる。冷房が効いた空間で、そのようなものが出るということが、今の心境を物語っている。
「貴方、本当は出来てるのに、空気に合わせて出来てないフリしてるでしょ」
「…買い被りすぎッスよ。俺はそんな──」
「滑稽なマネは止めなさい。見てて苦しい」
彼の目線が下に落ちる。同時に握る拳が、その心持ちの如何程を伺わせる。もう少しで、その道化然とした仮面を剥がせそうだ。
「本当は、あんなの嫌いでしょう?」
「あんなの?」
「高坂くん達のことよ。知っているでしょう?」
「何を…?」
「他のクラスの子を手酷く苛めているクズ。誰かさんが駆けずり回っているお陰で、私達のクラスはそういうの無いけど」
──彼の目線がぶれる。思い当たる節があり、虚を突かれたように平静が乱れる。
「…意外。水羊さんって、他人のこと悪く言うんだ?」
「嫌いな奴を嫌いって言って何か悪い?」
返しを聞き届けた鞍吽くんの顔は、にわかに歪んでいく。薄ら笑いの仮面の下にある素顔が晒されていくのがわかる。
それが、私の胸の内に懐かしさと安心感が去来させていた。
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