ハロウィンの夜と人間の性《さが》

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 第一章 「旅の始まり」  2020年、10月31日の東京・渋谷。夜9時を過ぎても、人々は流れるように歩き続けている。高層ビルの隣にあるショッピングモールには店の前に カボチャの形をしたランタンと折り紙で作られた輪っかが垂れさがっていて、 若い女性とその娘らしい子どもが「きれいだね」と笑っている。そんな光景を 見ながらため息をつく制服姿の少年がいた。アダム・佐藤。都内にある私立高校のひとつ、渋谷第一高等学校に通っている。  イギリス人の父親と日本人の母親がいるが、彼らは多忙なため家に帰ってくることはほとんどない。祖父母とも離れて暮らしているため、夜家にいるのは アダムと、オスの飼い猫の尺八(しゃくはち)だけになる。なぜこの名前が ついたかというと、母親が訪日外国人に和楽器を教える先生をしていた時にテーブルの上に置かれていた尺八のそばでうずくまっていたからである。  父親と同じ端正(たんせい)な顔を伏せ、アダムは再びため息をつく。淡い グリーンの瞳に店のネオンが映っている。「人間ほど怖いものはない」ぼそりと呟くと、スクランブル交差点を渡って家へと向かう。(ちく)30年以上の一軒家の玄関に近づいた時、突然後ろから「グーテン アヴェント!」と二人の女性に声をかけられた。ショートカットの金髪に紺色のパーカー、黒のタイツ姿なのはバーバラ、淡い茶色の髪を三つ編みにしてダークグリーンのブラウスと青い長ズボンを身に着けているのがジェーンである。二人はアダムの幼なじみで、同じ学校に通っている。  「ハロー。久しぶりだね」とジェーンがウインクする。バーバラは「最近、どんなふうに過ごしてる?」と静かにたずねた。  「尺八と遊んだり、夕食の時に肉じゃが作ったりしてるよ。あとはスマートフォンに入れた音楽をたまに聴いてる」「よく聴く音楽はある?」バーバラの質問に「クラシックとヒーリング・ミュージックかな。気分が落ち着いてくるんだ」と答えると、「昔は三人で、アニメソングをよく歌ってた。大きくなると好きなものも変わるよね」と顔を赤くする。  「うん。その頃から俺は父方の叔父と母方の伯母と一緒に過ごすことが多かった。たまにお前やジェーンの家でサンドイッチやソーセージを食べたり、 ジェンガやボードゲームをやったり。時間が過ぎるのが早く感じてたよ、あの 頃は」  そう言って、アダムはかすかに喧噪(けんそう)が聞こえる通りのほうを振り返る。  「小学校五年の時に叔父が職場の小学校から帰る途中で倒れて、病院の集中治療室に運ばれた後、そのまま死んじゃったことがあってさ。泣きくずれる伯母さんに、看護師さんが大きな紙袋を渡してくれたんだ。  それはクッキーでできたおばけが乗った、ハロウィンのケーキだった。『アダムへ これからお前はいろいろなことを経験するだろう。悪意を向けてくる人間もいるかもしれない。そういう時は周りにいる者の力を借りて前に進んでくれ 愛してるぞ サム』って書かれた手紙も入ってた。家族との時間を大事にすることができる人だったよ」  彼はそこで一度言葉を切り、二人のほうを見てにっこりと笑った。バーバラとジェーンは思わず顔が赤くなるのを感じる。高校生になってから、アダムは 笑うことが減り、他のクラスメイトとも話さなくなったからだ。  「久しぶりだよな、こうやって人と話すのは。最近両親ともまったく話さなくなったし、時間があれば本を読んで過ごしてるから」彼の言葉に、二人は そろって「あなたは昔から本が好きだもんね」とため息をつく。それからこげ茶色と薄紫のローブをそれぞれかばんから取り出して着ると、彼の横に並んで言った。  「アダム。これから列車に乗って、三人で旅をしない?」 その言葉に、アダムが目を丸くする。「旅って、人間がいるところに行くって ことだろ?今まで家でも外でも暴言やぐちばかり聞かされて、嫌なところを毎日見せられた。もうあいつらには関わりたくない」彼の声には嗚咽(おえつ)が混じり、肩は震えていた。バーバラはそっと彼の肩に手を置くと、静かに言った。  「あなたの言うとおり、人間は嫌な部分が多いわ。私も、母親から厳しい言葉をかけ続けられてる。でも、外に出るといろんな人との出会いがある。悩みを聞いてくれるカウンセラーの先生に会った時、それまで抑えていた涙が止まらなくなったの。初めて他人の前で泣くことができた。今までずっと、家では 誰も相手にしてくれなかったから、うれしかった。  それから、自分のやりたいことや目標を決めて動くようにしてるの。その一つが『旅』。行きたいなと思いながらもなかなか行動に移せずにいたけど、みんなで行けるのならきっと楽しいと思う。行き先はアメリカにしようと思ってたんだけど、どう?」  彼女の言葉に、アダムは顔をあげて涙をぬぐう。それから「お前たちと一緒に、旅に行くよ」と言った。バーバラとジェーンは「ほんと!?」と満面の笑みを見せる。「ああ。机の上に父さんと母さん宛てのメモを残しておくよ。驚くぞきっと」  一度部屋に戻り、黄色いふせんに『父さんと母さんへ これからジェーンと バーバラと一緒にアメリカに行ってきます。いつ帰ってくるかは二人と相談します。着いたら手紙を書きます アダム』と書いて勉強机の上に貼り、再び 外に出る。その時、玄関につけた猫用のドアから尺八がするりと出てきて、 飼い主の足に頭をこすりつけた。  尺八を抱いたまま二人のところへ戻ると、「日本猫だ」とバーバラが嬉しそうに言った。「この子も連れて行くの?」とジェーンに聞かれ、彼がうなずくと彼女は持っていた黒い杖を尺八に向かってかざす。すると黄色い光に包まれ、猫だったものが人間の姿に変わっていく。光が消えると、そこには淡い 茶色の髪と緑の双眸(そうぼう)を持つ若い男が立っていた。黒いセーターの上にすその長い白いコートを着ている。  「お前の得意な変化(へんげ)魔法、久しぶりに見たよ」とアダムが彼女に向かって言うと、ジェーンはにっこりと笑ってコートのポケットから三枚の紙を取り出した。「今夜の10時に出発する飛行機のチケットよ。なくさないでね」二人はチケットを受け取り、長財布にしまった。  「ところでアダム、その格好で寒くない?」再びジェーンに聞かれ、彼は 返事の代わりに大きなくしゃみをした。「ほら、私の横に立って」とバーバラが声をかける。言われたとおり彼女の横に立つと、金色の杖から赤い光が出て 彼を包む。気付くと紺色のローブに濃い緑のブーツといういでたちになっていた。  「あったかいなこれ。ありがとうバーバラ」とアダムが礼を言うと、彼女は 赤面しながら「気に入ってもらえるか不安だったけど、あなたの嬉しそうな顔にほっとしたわ」と小声で呟いた。  それから三人は空港に向かい、国際線の飛行機に乗り込んだ。ローブとコート姿の男女を、周りの乗客たちがちらちらと見ている。一番前の席に二人ずつ座り、四人は荷物を足元に置く。離陸してから窓の外を見ると、東京の街並みが広がっていた。  「すげえ緊張してるんだ俺。緑茶が飲みたい」アダムがそう呟くとジェーンが首を振る。「今飲んじゃうと寝られなくなるから、やめたほうがいいよ」彼女の言葉にバーバラも黙ってうなずく。  「向こうに着くまでの間、おしゃべりしようよ」そう言ってジェーンはバーバラに「最近、よく飲むものってある?」と聞いた。「ココアかな。寒くなってきたから、あたたかいものがおいしいよね」「うん。私も朝、よく飲むよ」とあいづちを打ってから、ジェーンはアダムにも同じ質問をする。  「自動販売機で売ってる玄米茶。体が温まる」二人はぽかんと口を開けた後、思わずそろって噴き出した。  「何がおかしいんだよ」とむきになる彼に、「だって、びっくりしたんだもん。美希子(みきこ)おばさんと好きなものが同じなんだね。小さいころあなたの家に遊びに行った時、よくおまんじゅうと一緒に出してくれてたから」  その言葉に、アダムが顔を伏せる。「・・・母さんと父さんと、仕事が忙しくなってから全然話してないんだ。二人とも帰宅するのが夜の11時過ぎになることが多くなった。        
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