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第四章 「子どもたちとの交流」
大通りを抜けてまっすぐ歩いて行くと、正面に緑と白の屋根と木でできた
看板、それに丸い水色のドアがあった。中をのぞくと、親子連れや高校生など
多くの人が商品を手に取っているのが見えた。
「ここだ。使ってる果物と砂糖はすべてアメリカ産で、休日には朝5時から
長蛇の列ができるんだって」「何種類ぐらいあるの?」「全部で
200種類。季節によって違う味が楽しめるんだ」アダムの説明に、バーバラはノートを開いてメモを取っていた。ジェーンと尺八は驚いて目を丸くしている。四人は外にある白いイスにそれぞれ座った。
「すごい。みんな『ここのものは美味しい』って知ってるんだね」「知らないことを知っていくと、楽しいんだな」そうつぶやく尺八の瞳は、どこかさびしそうだった。「今まで、どんな風に生きてきたの?」ジェーンの問いに、
彼は少しだけ緑色の目を伏せながら静かに語り出した。
「俺は銀座の路地の前に捨てられていて、その後に神奈川の保護猫カフェにやってきて、そこでアダムと出会った。これまで、人間と出会うといつも暴言を吐かれたり、無理に触られたりしたからな。だから彼と出会った時も、緊張していたんだ」彼はそこで一度言葉を切り、ペットボトルの水を一口飲んでから続けた。
「アダムはこれまで会った人間とは違っていた。俺のあごをそっとなでたり、『きれいな顔をしているよな』と声をかけたりしてくれた。のどを鳴らしながら彼のひざの上で寝ると、幸せそうな顔をしていたよ。
それから三週間が経ったある日、俺はアダムの家に行くことになった。彼の家族になったんだ。アダムは過去に母親と祖母、学校の先生から暴言を吐かれたことがあるらしく、それがもとで人間を信じることができなくなったと言っていた。
俺に対しては、いつも静かに話しかけてくるんだけどな。俺がいると、あいつの笑顔が増えるんだ」語り終えて髪の毛をかきあげる尺八の口角は、かすかに上がっていた。
「バーバラのおかげで、アダムとこうして話せるようになった。ありがとう」突然礼を言われ、彼女はかすかにほおを赤くする。「どういたしまして。
変化魔法は、おばさんから教えてもらったんだ。動物を人間に変えるもの、葉っぱを鍵に変えるもの、炎を水に変えるもの」
「お前の家は変化魔法が代々伝わってるんだっけ?」「うん。女親またはその血縁者から、女の子にだけ」「へえ。ジェーンのところは自分の気持ちを突風に乗せて相手に届けるんだろ?」「うん。突風の強さも変えることができるんだよ」
「そうなんだな。ところでみんな、どのドライフルーツから食べてみる?俺はブドウにするけど」「私とジェーンはマンゴー。尺八は?」「ブドウで」
「よし、注文しよう。すみませーん!」とアダムが手を挙げると、「はい」
と若いアメリカ人女性が彼らの席にやってくる。「日本語でいいですか?
マンゴーとブドウのドライフルーツをそれぞれ二つずつください」「かしこまりました。マンゴーとブドウのドライフルーツを二つずつですね」女性の日本語はとても流暢だ。
女性がメニューを持って店の奥へ戻っていく。「美人だよね、さっきの人。
日本に留学してたんじゃないかな」ジェーンが小声で言うと、アダムも「きっと何時間も勉強してるんだろうな」と呟く。
それから5分後、「お待たせいたしました」と先ほどの女性がにっこりと笑いながらお盆に載ったドライフルーツを四人分運んできた。「ありがとうございます」「ご注文は以上ですね。ゆっくりしていってください」
フォークで刺してかじると、あっさりとした甘みが口の中に広がった。「うめえ!アメリカ各地の産地から直接送られてきて、一日かけて120個以上作るらしい」「120個!全部手作りなんでしょ?」
「そう。50代の夫婦とその息子さんが毎日店に立ってるんだ」「息子さんは何歳ぐらいなの?」「23歳なんだって。月曜から金曜まで本屋で働きながら両親の手伝いをしてるらしい」と言って、アダムは水を一口飲んだ。
「すごいよな。俺にはなかなかできないよ」ため息をつく彼の顔は、少し暗くなっていた。バーバラが立ち上がって彼のほうへ近づき、肩にそっと自分の
手を重ねた。
「あなたは他人のことをいつも気にかけてくれる。ハロウィンの夜に私があの男に捕まった時も、助けに来てくれた。そういう自分のいいところをもっと見つけていけるといいよね」彼女の言葉に、アダムの瞳から涙がこぼれた。
「バーバラ・・・。ありがとうな。嬉しいよ」紺色のタオルで涙をぬぐい、
アダムは満面の笑みを浮かべて立ち上がった。「よし!このあとみんなで
お祭りを見に行こうぜ。ここから10分歩いて行くと子どもたちが集まっている大きな広場がある。そこでキャンディーやクッキーを売ったり、音楽に合わせてみんなでダンスしたりするんだ。誰でも参加していいんだって」
それを聞いたとたん、尺八の顔が青ざめた。「子ども・・・!高い声で大騒ぎするから苦手なんだ」「そんなこと言うなって、静かなやつもいるかもしれないし」「そうだよ。一緒にダンスしよう」アダムとジェーンに説得され、尺八はしぶしぶうなずいて最後の一切れを口に入れた。
アダムが店内で会計をしている間、三人は本棚に置かれた小説を手に取って読んでいた。ふいに母親に連れられた金髪の幼い男の子が尺八のもとへやってきて、何事か話しかけた。驚いた彼は読んでいた本を床に落としてしまった。バーバラがそれを拾い上げて元あった場所に戻し、ジェーンが男の子と遊んでいると、アダムが彼らを呼んだ。親子に手を振り、店を出る。
「ああびっくりした。子どもはやはり苦手だ。ジェーンの方が彼らに慣れている」尺八の言葉に、ジェーンが照れくさそうに笑う。「うちは10歳の弟が
一人いるから。家では毎日ケンカしてるけど」「それほど仲がいいということだな。微笑ましい」尺八は彼女に向かってウインクをしてみせた。
広場に着くと、大勢の子どもたちがキャンディーやチョコレートを買おうと
一軒のお店の前に集まっているのが見えた。屋根はオレンジと緑のしましま模様で、透明なびんにはお菓子が口いっぱいまで詰められている。
ブルーと薄紫のシャツを着た金髪の兄妹が、両親と一緒に列に並んでいる。
その時、妹が道に落ちていたペットボトルを踏んで転んでしまった。幸い顔は
打たなかったが、ひざに切り傷ができた。
ジェーンが駆け寄って薬を塗る間も、彼女は一度も泣かなかった。尺八が
そっと頭をなでると、満面の笑みを見せた。それを見た彼の心に、初めて子どもに対する愛情が湧いた。 「(ああ、子どもはこんなにかわいらしいものなのか。見ているこちらも笑顔になる。気持ちが安らいでいくのが分かる)」
女の子の両親がやってきて、「ありがとうございます」と日本語でお礼を言った後、二人に向かって手を振りながら帰っていった。
「子どもってかわいいでしょ?」とジェーンがにっこり笑う。「そうだな。
あの子は静かで我慢強い。両親や周りの人に好かれて育っている」と返すと、
「私、子どもたちにできたての食事を作ってあげたいって考えてるんだ」と
小声で言った。「どうして?」と聞くと、彼女は少しさびしそうに笑いながら
話し始めた。
「両親が共働きだったから、小学生の時から一人で時間を過ごすことが多かったの。たまに来てくれる伯父さんが、梅干しおにぎりやトマトスープを作ってくれて。一緒に食べるのが、楽しかった。だから私も、子どもたちにそういうことをしたいって考えてるんだ」ほおを赤くしながらそう言うと、ジェーンは尺八の手を握る。
彼が驚いていると、突然会場内のスピーカーからタンゴが流れ始めた。
周りを見ると、軽快な音楽に合わせて楽しそうに踊っている人たちの姿がある。「踊ろう」とジェーンに声をかけられ、噴水の近くに移動する。
彼女と動きを合わせながら、そっと腰に手を回す。目が合うと、ジェーンは
満面の笑みを浮かべた。心拍数が上がるのを感じ、手に汗がにじむ。
「ジェーン」と声をかけると、「何?」と返される。「この旅に出てから、お前と行動を共にすることが増えたと感じている。いつも明るく、前向きな
お前は、俺にとって支えになっている。これも初めての経験だが、俺はお前のことを好いている」淡い茶色の髪をかきあげながら照れくさそうに言う尺八に、ジェーンは驚いて目を丸くする。母親と同じブルーの瞳が、大きく見開かれた。
「本当?」「ああ。ドライフルーツの店に行った時に、俺の過去を話しただろう?」「うん」「自分のことを知ろうとしてくれてるのが分かって、嬉しくなったんだ。そこからだな」そう言いながら彼女に顔を近付けた時、音楽が
終わった。
アダムとバーバラも踊っていたらしく、額に汗が浮かんでいる。にぎやかな声が聞こえたかと思うと、四人の周りに子供たちが集まってきた。幼稚園から小学生までの20人だ。
こげ茶色の癖っ毛を持つ男の子が、アダムの前にサッカーボールを持ってきて「一緒にやろう」と言った。アダムはボールをけり上げて、男の子にパスを出す。男の子は向かってくる相手をかわしてゴールまで一気に走る。しかしキーパーに止められてしまった。
肩を落とす男の子に、「もう一回やろう。尺八、今度はお前も入れよ」と
アダムがにっこり笑って言う。尺八がキーパーとしてゴールの前に立つと、
アダムは再びボールを高くけり上げる。男の子はそのパスを受け取り、ゴールに向かって撃った。
あまりの強さに、尺八はしりもちをついてしまい、ボールはゴールの中に入った。「足の力の強さにびっくりした」と言いながら男の子の頭をなでる。「楽しかったぜ」とアダムも言うと、男の子は満面の笑みで「ありがとう」と呟いた。
バーバラたちのほうを見ると、女の子たちとスケッチブックにお絵かきをしていた。楽しそうに犬やクマなどの絵を描くバーバラの顔を見て、アダムは
ほっとした。
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