気狂いの爪先に

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「っ……ん、ぅ……ぁ、んんっ……」 貪るように、食い尽くすようなキスだった。 吸いつかれた舌は食いちぎられるかと軽く恐怖したし、逃げを打とうとすれば後頭部をガッシリと押さえつけられる。 歯の裏側まで舐められて鼻にかかった声が思わず出れば、彼が音もなくほくそ笑むのがまた癪に障った。 「分かったか」 ようやく解放された唇で懸命に酸素を取り入れていると、得意気な声が聞こえてきたが無視だ。 何を分かれというのだ。結局キスされただけじゃあないか。 「指」 指し示されたのは左手。しかも指……おい。 「君なんだい、こりゃあ……」 いつの間に着けられたのか。 左手の小指の隣、すなわち薬指に光る銀色。 「ん。結婚指輪、ってやつだが」 鎖を象ったようなその不思議なデザイン。そして真ん中に埋め込まれたのは深紅の石……ルビーだ。 まるで満月の元で輝く人狼の瞳のような。 「け、結婚!? 」 気が付けば彼の左薬指にも同じようなデザインのシルバーリング。 埋め込まれた石。それは深い深海の蒼を思い起こさせるサファイア。 「どうだ。お前の瞳の色だ」 吸血鬼の瞳の多くは確かに青みがかっている。 満足気に微笑みながら、己の指輪に唇を寄せる表情はさながら欲しくてたまらないモノを手に入れたガキそのものだ。 ……まさか『互いの瞳の色の石のリングを』なんて言うんじゃあないだろうなァ。 似合わないぜ。そんなキザな真似は。 「本当はお前の身体の一部でも持ち歩きたいのだがな……まぁ代替品だ」 「ヒッ……、想像以上に病んでるじゃあないかよぉ!」 怖い。怖すぎるっ、この男。 んで底冷えするほど怖い事を言い出すこの人狼に、震えるほど恋焦がれてしまっているオレが一番イカれているのだろう。 「病んでない。欲しいだけだ」 「それを病んでるっていうんだよ……世間ではな」 病んでいようがいまいが、もうどうでも良くなってきたけどな。 「でも。婚約者どうすんだよ……」 さすがに女と男を取り合うのは嫌だぜ。 むしろその女くれ。どうせ美人だろうから。なんて言ったらぶん殴られるかなァ。 そしたらあいつはその数倍、頭おかしい事を言い出した。 「どうするも何も……婚約者はお前だが?」 「いやいやいや。だから」 そういうのは良いから。 「本当だ。最初から伏せていたが婚約者はお前の事で、ちゃんと父親や周りの許可は取ってある……その準備の為に俺は今まで生きてきたんだからな」 「え、え? えっ、うそ? え!?」 待て待て待て待て。全く分かんない。オレの許可は!? オレの意思! 親からンなこと聞いた事ないぞ! 「口止めした。お前に逃げられたら困る」 「な、な、な……っ」 オレの思考を読んだような言葉に、口をぱくぱくさせることしか出来ない。 なに、オレがおかしいのか? 魔界でもさすがにエリート一族の異種族婚、しかも同性……なんて聞いた事ないぞ。 「人間界じゃあるまいし法律とかないだろ」 「思考先回りするんじゃあない! じゃあ、あの後オレの前から姿を消したのは……」 すると彼は無駄に良い顔をアンニュイに陰らせて、小さなため息をひとつ。 「お前との結婚の交換条件が、親父の跡を継ぐことでな……これが予想以上に大変だったな」 ふむ。確かにあの人狼族の王の立場を目指すなら、脳天気な子供時代は過ごせそうにないだろう。 「言っただろ……大人になったら、お前を迎えに行くからって」 「えー……え?」 ごめん、知らない。覚えてないよ! ンなガキの頃の事。 いやいやいや。あからさまなジト目されても……。 「まぁいい。これからちゃんと覚えておけ。俺はお前の夫だ……分かったな?」 うん。分かんないし、突然すぎて覚悟もなんも出来てない。 でも薬指に嵌っている輝きは確かにそこにあるものだし、相変わらずオレはあいつの腕の中にいるし。 ……なんだ。これ、オレが覚悟決めなきゃダメなやつなのかよ。 「で、でも。オレは子供なんて産めないぞ!」 やっぱり世継ぎ問題とか、あるだろ? いくら周りが認めたとしても、これから子供くらいは言われるだろうしなぁ。 しかし彼は返した言葉はひとつだった。 「……それなら問題ない」 と。 瞬間、オレの心と脳みそのに『嫌な予感』と言う名のモヤモヤが差し込んでくる。 案の定、強く睨み上げるとサッと逸らされる視線。 「問題ないィ? ンなわけあるか! ……おいおいおい。ちょっと待て。君なんかまだ隠し事あるだろ!! おいっ、目ぇ逸らしてんじゃあないぞッ! おいってば」 「何モ、隠シテナイ」 「突然カタコトになってんじゃあないぜ! こら!」 ―――それから数十分に渡る、オレの忍耐とブチ切れ連続の尋問によりこのクソ犬っころの、最大のやらかし……というより仕打ちが明らかになった。
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