猫のいる家

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aa64f1b8-9d31-4ef4-96e3-f5070da27330 (六)  四月二六日、初めてミーちゃんを外へ出した。そして猫用の出入り口を開放した。その日、ミーちゃんは庭を散歩したのか、私が帰ってくると庭先にいた。きちんと猫の出入り口から出入りしていた。そして翌日のことであった。ミーちゃんはどこへ行ったのか帰って来なかった。「ミーちゃんはやはり外へ出たかったんや」と思った。だから特別な感情はわかなかった。猫にとってやはり自然の中でのびのびとするのが一番よかったのかも知れない。  ところが、ミーちゃんの家出に関心を持つ人間が現れた。園さんと原口であった。原口はミーちゃんを探すと言って、夜に私の家まで来て懐中電灯を持って山を登っていった。私も後を追ったのだが、懐中電灯なんか持ってない。しかも山の中である。途中で原口とはぐれてしまい、結局下山した。原口は「ミーちゃん」と言いながら山を越えて山向こうの集落まで探しに行ったらしい。結局ミーちゃんは見つからなかった。  私は早速「ミーちゃんいなくなった」と園さんにメールした。園さんから連絡があった。 「ミーちゃん帰ってくるのでは---」  「ミーちゃん野良猫になってしまったのかな?生きていけるのかな?」  そして日曜日に私が教会にいる時に、連絡があった。  「お母さんが言ってたけど、雄猫は去勢手術しないと家出するらしいです」  私は去勢手術をしたかったのだけれども、それも可哀想だと思ってしなかったという旨を園さんに伝えた。  「こうなったら新聞広告やなあ」  原口の提案でミーちゃんの写真入りの折り込み広告を近所の家の新聞に三百枚入れた。そこに電話番号が書いてあったので、ある日近所のおじさんから電話があった。  「なんか、探していた猫のような猫が近くをうろついていたよ」  私と原口は塾を放り出して、その電話をくれた家まで車で出かけた。人の良さそうな典型的な農家のおじさんが電話をくれた人であった。我々は猫の写真を見せた。  「ああ、確かにこの猫や。もう野生化してるかも知れないなあ」  そして周辺を探し回ったのだが、結局見つからなかった。しかしミーちゃんは生きているらしい。とりあえずは安心した。また、ミーちゃんを見たというのも私の家から一キロぐらいの場所だ。一縷の望みは残ったが、私は複雑な思いであった。  「家猫は元々野生の生き物なんだ。だから野生に戻ってよかったんじゃないか?」と思った。  家には猫の餌用のトレイと猫のトイレが残された。  そしてミーちゃんがいなくなってから丁度一ヶ月後の五月二五日に奇跡が起こった。                  *  その日は金曜日で塾は9時まであった。夜遅くに家へ帰ると、何か鳴き声がする。始めは何の声かわからなかった。  私は家の電灯をつけて周囲を見渡してみた。すると食器棚の上に何か見たことがあるような物がこちらを向いている。そして小さく「ニャー」と鳴いた。ミーちゃんであった。慌てた私は原口に電話した。  「もしもし、大変や。ミーちゃんが帰ってきた」  電話口の向こうで原口も驚いているようであった。  「悪いんやけど猫用の餌をコンビニで買ってきてくれないか?」  「わかった」  しばらくすると原口が到着した。ミーちゃんは原口の買ってきた餌に少しだけ手をつけた。そして何かを警戒しているように食べるのをやめた。  「ミーちゃん、原口君やで。忘れたんか?」  ミーちゃんはそれでも警戒を緩めなかった。  その後、園さんにも写メを撮って「ミーちゃん帰ってきました」と知らせた。  とにかく、こうして帰ってきたミーちゃんとの二人だけの生活が始まった。  (七)  ミーちゃんが帰ってくると、私は猫の出入り口を閉鎖した。今度こそ逃がしてはいかないと思ったからだ。実際、家出する以前ならしきりに外出したがる子供のように外へ出たがっていたミーちゃんであったが、もう外へ行きたいというそぶりは見せなかった。外で余程怖い目にあったのであろう。ガリガリに痩せて最初は餌を食べなかったが、やがて食べるようになってきた。  今までこの猫を可愛いと思ったことはなかったが、帰って来ると急に可愛らしさが募ってきた。  「お前、一ヶ月間苦労したんやろなあ。おっさん、最後まで飼うたるからな」  私はこの猫の前では自分のことを「おっさん」と呼んで、以降可愛がった。トイレ以外でウンチをしても叱らなかった。  学習塾の夜は遅い。朝は十時頃に出勤し、いつものようにお祈りをする。それから一日の教材研究を行い、四時か五時頃から授業が始まる。生徒達は部活動なんかがあって遅くしか来られないからだ。そして九時頃に授業が終わって、家へたどり着くのは九時半頃である。その間ミーちゃんは広い家で一人待っている。食事は一日分をトレイに入れて水も一日分を入れて家を出る。だからミーちゃんと接触できる時間は少ない。それでもミーちゃんは私が帰ってきたら真っ直ぐに玄関まで飛んできて足に体をスリスリしてくる。大変なのは朝出かける時で、この時はミーちゃんは「また一日放ったらかしにされるのか」と思って大声で「ニャーニャー」と鳴く、否、泣く。そして私が帰ってきたら早速ミーちゃんの水とキャットフードを換えてトイレを掃除する。その繰り返しだ。猫を中心にして家での生活が回り始めた。  私が夕食を作って食べているとミーちゃんも欲しそうにする。そこで私は猫と会話する。  「ミーちゃん、これはおっさんのご飯。ミーちゃんのご飯はさっきあげたやろ?」  そして夕食を終えて私は猫を膝の上に乗せて借りてきたDVDを視る。その間、ミーちゃんは膝の上で喉をゴロゴロ鳴らし、時々猫のフミフミをする。ミーちゃんは爪が尖っているから少々痛いが、我慢する。そして猫を抱いてビデオを視ている時が至福の時間となっていった。あんなに嫌いだった猫なのに、一ヶ月の放浪から帰ってきてからは可愛らしくて仕方がなくなった。  時々ミーちゃんの写メを撮って園さんに送る。園さんは大喜びしてくれる。  「今日は猫のフミフミをいっぱいしました」  「猫も暑いのか、クーラーをつけたら飛んできます」  など、とりとめもない猫の話題を写メとともに送った。  このような生活が暫く続いていた時、私は教師時代の友人の教師と香港へ行くことになった。相変わらず私こと「おっさん」と猫は「家族」として暮らしていた。話し相手のいない私はしょっちゅう猫に声をかけた。  先ず香港は二泊三日の旅であったが、朝一番の飛行機で発つために関西国際空港で一泊することになった。だから三泊四日家を空けることになる。そこでミーちゃんにたらいに水を汲んで与え、餌のトレイにはキャットフードをいっぱいにして出かけた。そして香港から帰ってくると、ミーちゃんはトレイの餌を平らげていた。所謂「猫分け」もせず、淋しく三泊四日も過ごしていたのだ。  「ミーちゃん、これ全部食うたんか?ごめんな。おっさんこんなもんでええやろと思って腹空かしたままにしてしもた。今から新しい水と餌あげるからな」  そう言うとミーちゃんは「ニャー」と鳴いて私の足にスリスリをしてくる。猫には新しい水と餌を与えた。ミーちゃんは何事もなかったかのように、また膝の上に乗り喉をゴロゴロ言わせていた。  この年の夏は暑かった。猫でも三日だけ暑い日があると聞くが、そんな尋常な暑さではなかった。熱中警報が出ており連日「外へは出ないでクーラーを効かせて家の中にいて下さい」と天気予報で言っていた。地球が温暖化していることを実感させる暑さであった。そんな暑さの中でもミーちゃんはご主人の帰りを家で待っていた。私が帰ってくる車の音を聞くと玄関まで飛んできて外へ出ようとした。ただ、外へ出ると言っても遠くに行くのではなく、玄関先まで少し出てなぜか草を食むのが常であった。  そして土曜日は猫と一日いられる日であった。日曜日は教会へ出かけるので朝から夕方までいない。だから土曜日になるとDVDを視ながら猫と過ごした。ミーちゃんは風呂にも洗濯場にもついてこようとした。そのたびに私こと「おっさん」は話しかける。  「ミーちゃん、おっさん今からお風呂やからなあ。淋しいけどちょっと待っとき」  「おっさん、今からコンビニへ行って昼飯買ってくるからな。直ぐに戻ってくるからな。心配せんでもええからかしこーに待っときよ」  「おっさん、今から洗濯するからな。ここは洗濯場やからミーちゃんは台所へ行っておき」  そして月の最終日曜日は私が教会でピアノを弾くことになっていたからホテルに泊まる。ミーちゃんはお留守番だ。そんな時には二日分の餌を与えて家を出る。  こんな日が過ぎていき、やがて十月になった。気候も良くなってミーちゃんにとって暑い日は過ぎていった。  ミーちゃんはきちんとトイレで大小便をしていたが、そこは猫なので食べたものを吐くことがあった。それは仕方のないことなので吐くに任せていた。時々掃除をした。そして十一月一日、ミーちゃんの様子がおかしくなった。  (八)  ミーちゃんは大食漢であった。香港へ行った時も、その間にトレイに山盛りにしたキャットフードを完食していた。しかし十一月に入った一日にミーちゃんのトレイを見ると餌をほとんど食べていなかった。私はキャットフードが古かったのかな?と思ってキャットフードの上にキャットフードを付け足した。しかしミーちゃんは手をつけていないようであった。そうしてなぜかミーちゃんの呼吸がゼーゼー言っているように聞こえた。「少し大袈裟かな?」とは思ったが、犬猫病院へ連れて行くことになった。  私は電話で原口を呼び出した。昔、ミーちゃんを犬猫病院へ連れていったことがあったが、なかなか猫籠に入らずに二人してようやく入れたことがあったからだ。  「ミーちゃん調子悪そうやから犬猫病院へ連れて行くの手伝って。あの猫は嫌がってなかなか籠に入らないからな。お礼に朝と昼は俺が奢るから」  原口がやってきた。ミーちゃんは予想に反して猫籠にすんなりと入った。そしてん猫籠を原口の車に載せて犬猫病院へ急いだ。この時まではミーちゃんも腹の上に乗ってきて喉をゴロゴロ鳴らしていたし、猫のフミフミもしていたので私も事態がそれほど深刻だとは思ってもみなかった。三十分して犬猫病院へ到着した。猫を見るなり医者は言った。  「ああ、これはかなり弱っていますねえ。ご飯を食べていますか?」  「いや、二~三日前から食が細くなってきました」  「いや、この弱りかたでは二~三日ということはないです。もっと食べていないはじです」  「一体どうしたのですか?」  「原因は分からないのですが、肺に水が貯まっています。手術する必要がありますが、手術の際の麻酔に耐えられる体力があるかどうか心配ですね。どうします?このまま家へ持って帰って死なせますか?」  勿論、そんなことは望んでない。この猫はまだ四歳なのだ。  「いや、手術して下さい。できるだけのことはやってあげて下さい」  「わかりました。ではしばらく預かって手術します。明日の十時頃に電話して下さい」 この時は私はミーちゃんがそれほど重い病に罹っているとは思ってもいなかった。心配なのはお金のことであった。猫には保険がきかないのだ。  日曜日は教会であったが、礼拝中の十時きっかりに犬猫病院へ電話した。電話口の向こうで医者が告げた。  「手術は成功しました。後は餌を食べたら大丈夫です。それまで預かりましょうか?」 私は翌週の土日に大学時代のサークルのOB会を控えていた。しかし医者が預かってくれるなら安心だ。お金はかかるが仕方ないだろう。  「では、預かって下さい。九日の金曜日に面会に来ます」  そして月曜日になってから医者から大変な電話がかかってきた。  「肺に水が貯まった原因が分かりましたよ」  「一体何だったのですか?」  「リンパ腫です。所謂白血病です。だから短くて一~二ヶ月、よく持って一年ですね」 「え?本当ですか?」  医者は淡々と話したが、私は頭を鈍器で殴られたようなショックを受けた。この猫と十年は一緒に暮らそうと思っていたのにもう命の火は消えようとしている。「ミーちゃん」そう言って私は泣き崩れた。不思議なことに母が死んだ時も父が死んだ時も泣かなかったのに、なぜか涙が止まらなかった。                  金曜日、ミーちゃんに面会に行った。猫用の檻に入れられていた。  「餌も食べました。もう大丈夫です。月曜日に来て下さい」と医者から言われた。  「はい、お願いします」  この時は、「この猫との生活もあと一年か?」と思った。そして土日は大学時代のサークルのOB会へ行った。  月曜日の午前、いよいよミーちゃんの退院の日だ。私は今度は原口を誘わずに一人でミーちゃんを受け取りに行った。医者は簡単に猫籠にミーちゃんを入れた。昔、皮膚病に罹ってミーちゃんを診察に連れて行った時には大暴れしてなかなか籠へは入らなかったのだが、いとも簡単に入ったので、私は少し安心した。心なしか少し痩せたような気がする。  猫をもらう時に医者は言った。  「これは抗がん剤です。一つは毎日、もう一つは二日に一回飲ませてあげて下さい。あと、これは化膿止めの薬です。この抗がん剤を飲まなければ一ヶ月しか持ちません。猫缶などを買って、混ぜて入れて下さい。この猫は薬を飲むのをかなり嫌がりますから」  確かにこの猫は皮膚病で連れて行った時も薬を嫌がった。口を大きく開いて無理矢理喉の奥に入れるのだが、無理なようなので餌に混ぜて飲ませることにした。帰りの車の中で猫籠を助手席に乗せてミーちゃんと話しながら帰った。  「ミーちゃん、今日は鳴かないんやなあ。前に皮膚病で連れて行った時に、お前大暴れしたんやで。おっさん困ったわ。しかしおとなしいなあ。今からお家へ帰るからな」  車が家に到着すると猫籠を持ったまま玄関の鍵を開けて中に入った。ミーちゃんは元気そうに走り始めた。これなら一年くらいは持つだろう。そう思っていた。それよりも薬だ。飲んでくれるのかなあ?そう思ってスーパーで猫缶を買ってきた。この猫はいつもキャットフードしか与えられてないのでご馳走である。猫缶を開ける前に薬をすり潰して猫缶に混ぜて与えた。ミーちゃんは飢えていたのか、家に帰って安心したのかがつがつと餌にありついた。薬を入れるのに成功したのだ。私はその足で職場である学習塾へ出かけた。  原口には口頭で猫が元気なことを報告した。園さんにも写メを送った。  「帰ってきたミーちゃんです。薬を餌に混ぜて与えるのに成功しました」と付記しておいた。  翌日も朝十時に塾へ出かけた。ミーちゃんはなぜか狭いところへ入りたがった。あんなに嫌がった猫籠に入ろうとしていたので私は驚いてしまった。そして帰ってくると、すぐに猫缶に薬を混ぜた。しかし今度はミーちゃんはそれに口をつけようともしなかった。  私は嫌な予感に襲われた。医者が言った一言が脳裏を駆け巡った。  「もう一度肺に水が溜まれば最後です」  そして水曜日の朝、ミーちゃんは玄関先で食べたものを吐いていた。餌にも手をつけようとはしなかった。私は仕方がないので口を思いっきり開き、喉に抗がん剤を入れようと試みた。しかし、余程それが嫌だったのか、ミーちゃんは涎を出しながら薬を吐き出した。  「ミーちゃん、薬飲まないと一ヶ月で死んでしまうんやで。嫌か?」  ミーちゃんは台所を歩き回った。しかしすぐに疲れてしまったのか、私の膝の上に乗ったかと思うと、ストーブの前に陣取った。そしてほとんど動かなかった。小さな声で「ニャー」と鳴いた。  「これはおかしい」  私は嫌な予感に襲われた。予感は的中した。ミーちゃんは歩こうとしたのだが、よろよろの歩き方しかできなくなり、やがて蓋の開いたままの衣装ケースの中で荒い息をし始めた。  「ミーちゃん、大丈夫か?一年間は生きるんやで。おっさんを残して死んだらあかんで」  そう言ったが、衣装ケースに入ったまま動かなかった。息は相変わらず荒いままであった。なぜかこちらを見ずに顔を背けている。ミーちゃんの苦しそうな息づかいだけが見える。  その日の昼頃、私は塾へ行くと、その日の家庭教師(私の塾は家庭教師の派遣はしてなかったのだが、以前勤めていた学校の教師に頼まれて家庭教師をしていた)用の教材を持って家へ直帰した。ミーちゃんは相変わらず衣装ケースの中で苦しそうに息をしていた。恐れていたことが起こったのである。肺にまた水が溜まったのだ。後は死を待つだけになってしまった。  私は猫の臨終に立ち会ったことなどなかったが、最後まで居てやろうと思った。  ミーちゃんを撫でながら話した。また、園さんにメールを打ち、原口に電話をした。 園さんへのメールでは  「わーん、ミーちゃん可哀想です。ミーちゃん!」と打ったら  「どうしようもないみたいですね」と返ってきた。  原口へも電話を入れる。  「ミーちゃん調子おかしいわ。こりゃあかんわ」  「ほんまにそんなに危険な状況なのか?」  「これは今日中持ちそうにないなあ」  「わかった。仕事が終わったら行く」  そしてミーちゃんに話しかけた。  「ミーちゃんごめんな。おっさんがいつもいなくて淋しい思いさせたなあ」  「ミーちゃん、おっさんミーちゃんが一ヶ月経って戻って来た時嬉しかったんやで」  「ミーちゃん、もう少し生きると思っていたのになあ」  「もうゴロゴロもスリスリもできへんのよなあ。猫のフミフミもできへんのやなあ」  「息してるな。苦しいんか?」  心なしかミーちゃんは少しだけかすれた声で「ニャー」と鳴いた気がした。  「おっさん、今日はミーちゃんと一緒にいてやるからな。心配せんでもええで」  私はこの猫を天国に送ってやろうと思って信じているキリスト教の賛美歌を歌い始めた。普通のキリスト教の教えでは動物は土に帰るだけだと言われているが、なぜかミーちゃんは天国へ行くような気がしたからだ。  私は歌い始めた。  「主よ、みもとに赴かん、登る道は十字架に、ありともなど悲しむべき、主よみもとに赴かん」なぜが涙が溢れてきた。母や父が死んだ時も涙など流さなかったが、なぜか涙が頬を伝った。  そして丁度五時に、ミーちゃんは伸びをして少し鳴いた。  呼吸が止まった。  ミーちゃんは天国へ行ったのだ。私はミーちゃんを撫でてやって原口に電話を入れた。  「ミーちゃん死んだわ」  「ほんまか?もう少し生きると思っていたのになあ」  園さんへもメールを入れた。  「ミーちゃん亡くなりました」  「そうですか。何と言っていいかわかりません。可哀想です。後もう二ヶ月は生きると思っていたので少し安心していたのですが---」  家庭教師に出かける前に原口がやってきた。ミーちゃんを撫でながら泣いていた。  私は亡骸を猫籠に入れて言った。  「よく頑張ったな。明日おっさんと一緒に市役所へ行こうな」  本当はミーちゃんを埋めてやりたかったのだが、残念ながら私は母が作った十字架の場所を知らない。そこで市役所へ連れて行けば二千円で引き取ってくれるというので市役所へ連れていくことにした。  こうして幸せなミーちゃんとの二人だけの生活は終わった。明日からまた一人暮らしだ。
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