猫のいる家

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さて、十一代目のミーちゃんは糖尿病になってしまった。私が帰宅するとガリガリに痩せた三毛猫のミーちゃんに妹が薬と餌を与えていたので、「これ、どうしたん?こんなにガリガリに痩せて」と尋ねると、妹から「糖尿です」という答が返ってきた。  そして私が西宮のアパートにいると母から電話があった。  「ミーちゃん死んだよ」  それで終わりだった。  実は、何匹も猫を飼いながら、私は猫の死に直面したことはなかった。大体は母親が発見し、埋めるのも母親の仕事だったようである。  やがて、妹は家を出て神戸に住むことになった。母親は癌の発覚後、2年して亡くなった。盛大な葬儀が執り行われた。母親はクリスチャンであったのだが、葬儀は田舎のことなので世間体を気にする父親が仏式にしたのだ。猫はクロとブチだけになった。その上、妹は家を出て神戸で一人暮らしをするようになった。家には父親と猫だけが残された。  そんな折、妹が不眠に悩まされ始めた。そして近くに住む私に電話を掛けてきた。  「2週間眠ってないねん。どうしたらいい?」  そう尋ねるので現在私が通っている教会へ電話するように言った。  すると不思議なことに不眠が牧師の一回の祈りで治ってしまったのだ。  これに驚いた妹は洗礼を受けた。そして不思議なことに父親も一緒に教会へ来て洗礼を受けた。我が家は兄以外みんなキリスト教徒になってしまったのだ。そして、今の教会で一悶着あったので妹は神戸の教会へ移り、父親は島の教会に列席するようになった。妹の不眠も完全に治ってしまったようである。  田舎の建て替えた邸宅には父親とクロとブチだけが残った。  やがてクロが失踪した。近所の(と言っても五百メートルほど離れているが)おばちゃんがクロの最後の目撃者だった。おばちゃんの所へクロが来たので、おばちゃんが「もう帰る時間よ」と言ったのが最後だった。猫は時々人間に見られないように死に場所を探すらしい。この意味ではクロはまだ野生を残した猫だったようである。  (三)                   その後、私達夫婦に大きな転機が訪れた。阪神間に住んでいた私にいきなり校長が異動命令を出したのだ。島の特別支援学校だった。  なぜか妻は島へ行くことを嫌がり、結局我々夫婦は離婚した。しかし私は自宅へは帰らずに学校近くのアパートを借りて住んでいた。時々父の様子を見に帰っていた。  父は朝ご飯が済むと茶碗に残った卵をブチにねぶらせていたようであった。このブチをなぜかミーちゃんとクロはよく一緒になってよく追いかけていた。しかしそんな光景も見られなくなった。家には父と猫一匹だけになった。 そしてある夜、父が倒れた。  その日は日曜日だったと思う。私が教会から帰るので、父に高速バスのバス停まで迎えに来て欲しいと携帯で電話をした。「わかった。本四バス○○やな。今行く」と電話口から聞こえてきた。  私は父の車の到着を待っていた。しかしいくら待っても来ない。「事故でもやったかな?」そう思い、家までの2キロの道を歩き始めた。携帯にも何の連絡もないので、心配になって妹にも電話した。妹は家まで様子を見に来た。「お父ちゃんおらへんで」と言ったので、益々不安が募ってきた。  その時、偶然一台のタクシーが通りかかった。私は手を上げてタクシーに乗り込んだ。タクシーが坂を越えたあたりであろうか。父の車を発見した。なぜか同じ所を何回もグルグルと回っている。下手をすれば大事故だ。  そこでタクシーを降りた私は父に尋ねた。  「何しよるのん?」  「いや、今から本四バス○○まで行くからな」  「いや、わしが運転するから家へ帰ろう」  そうして運転を代わって家まで帰った。すると父は奇妙なことを言い始めた。  「まだ晩飯食うてないんじゃ。○○ホールへ行こう」  父の食卓には夜の食事をした跡があった。しかし私は言われるままに、今度は自分の車に父を積んで○○ホールまで行った。夜なので当然店は閉まっていた。  「あれ?なんでやってないんやろ?」父親が言う。  家へ帰り着いたら妹が帰ってきていた。そして次の瞬間、父親は後ろ向きに倒れて体を痙攣させ始めた。  「こりゃあかん。救急車や」  こうして父は医療センターに救急車で連れて行かれた。  翌日には父は一見して元気に見えた。しかし、精神科の医者が出した設問に答えられなかった。  「私が誰かわかりますか?」精神科の青木医師が尋ねる。  「うーん。わかりません」  「『あ』のつく人なんですけどねえ」  「わかりません」  「それでは百から七を引いて下さい」  「九十三」  「そこからもう一回七を引いて下さい」  「えーと。わかりません」  その後、脳の検査をして脳内に水が貯まっていることが分かった。  そして父は有料老人ホームへ入所した。それから暫くしてブチはいなくなった。 (四)  特別支援学校で卒業生を出した後、私は校長の命令で休職することになった。アパートを借りる余裕もなくなったので、父も猫もいなくなった自宅へ引っ越した。妻とはとっくに離婚していたので一人寂しく大邸宅で暮らすことになった。そして引っ越す前に大家さんから捨て猫をもらい受けた。真っ白に少しだけ茶色の混じった雄猫と真っ黒な雌猫であった。キャットフードを買ってきて与えると美味しそうに食べていた。休職中はあまり家から出てはいけないことが決まっていた。昔、休職中に海外旅行をしていて問題になった教師がいたからである。だから私はよくこのシロとクロと一緒に遊んだ。他にやることがなかったのだ。  私には原口という友人がいた。元々税務署に勤めていたのだが、わずか五年で辞めて、後は図書館で司法書士になるために勉強をしていた。彼が私の家によく遊びに来ていた。そして彼は猫を飼ったことがなかったのだが、直ぐにこの二匹の猫が気に入ったようで、膝の上に乗せてはよく遊んでいた。新しい家は従来の田舎の家とは違って猫が出入りできるようなスペースはなかったが、新築するときに猫用の出入り口もきちんと取り付けられていた。二匹の猫はここから出入りした。外にはガレージがあったが、そこはクロのいいひなたぼっこの場所になった。勿論、雌のクロには避妊手術も施した。  もう一匹のシロであるが、最初は真っ白な猫になるだろうと思っていたら、やがて黒い毛も生え始め、首周りだけが黒い猫に変貌してしまった。そしてある日、このシロが姿を消してしまったのである。私と原口はクロの鳴き声を録音して、それを聞かせながら山の中を探しまくった。しかし結局シロは見つからなかった。雄の猫というのは去勢手術をしてないと家出するらしいのであった。  シロが家を出て半年くらいが経ってから、今度はクロが死んでしまった。理由は未だに分からないのだが、家から二メートルほど下の田に落ちて死んでいた。    それから暫く経ってから私は三十一年間勤めた教員を辞めてしまった。原口は二十数年かけて司法書士の試験に合格して司法書士になった。  やがて、原口は町で事務所を開設することになったが、どうも学習塾もやって儲けたいと言い出した。そこで一二〇万円づつ出し合って、事務所の奥に学習塾を開設し、原口は数学、私は英語を教えることのなった。そしてそんな頃に近くの喫茶店のおばさんが「猫が沢山生まれたのでもらってくれないか?」と言ってきた。                    (五)  私は原口の学習塾を手伝うようになった。そして喫茶店のおばさんからもらった猫を二匹飼うことになった。白黒斑の猫と茶色の猫の兄弟である。白黒斑にはミーと名付け、茶色はトラと名付けた。  私は代々猫は外で飼っていた。そのための猫用の出入り窓も家には取り付けられていた。勿論、この二匹も外で飼うつもりであった。しかしそれに原口が異を唱えた。前の猫(クロとシロ)が一年足らずで失踪したり死んだりしたので、家猫として外へ出さずに飼おうと言い出したのである。私は猫を室内だけで飼ったことなどなく、猫は外で思いっきり遊ばせてやるべきだと考えていたので反対した。しかし原口は猫用の戸を閉め切ってしまい、中で飼うことになった。  そしてそうこうしているうちに私と原口の関係が悪化し始めた。最初の原因は猫であったが、実際はそれだけではなかった。私は実は給料をもらわずにただ働きだったのだ。  そしてそんな折、猫が家の中でウンチをしてしまった。ミーかトラかどちらがやったのか不明であるが、私は掃除をしようと言った。しかし彼は無視してウンチの匂いのする中で猫と遊んでいた。  「俺、猫叱るから、あんたも叱ってくれよ」  「わかった」  そう言って彼は猫を叱ったのだが、私と叱り方が全く違っていた。私は思いっきり二匹の猫をウンチに近づけて頭を叩いたのだが彼は指ぱっちんをしただけであった。猫から嫌われたくなかったからであろう。しかしこの一件により、私は猫から嫌われるようになった。  「こんな猫いるか!」  そう思って私は猫を捨てようと画策した。二匹を車に乗せてどこか遠くへ捨てようとしたのだ。そこへ原口がやってきた。  「おい、何してるんや?」  「いや、猫を捨ててしまおうと思ってなあ」  「何?俺でも怒ることはあるんやぞ」  「ああ、勝手に怒ったらええ。ところで、この猫は誰のものや?」  勿論、本当に捨てる気なんかなかったが、原口に見せつけるためにやったのだ。その後彼は一人で猫のウンチを掃除してくれた。  やがて原口は、毎日猫に猫缶を与えるようになった。猫缶の代金は私が出した。  大体、昔の猫というのはご飯に煮干しを乗せて味噌汁をかけて餌として与えていたのだ。それにカリカリのキャットフードもある。猫缶なんて贅沢だ。その上、原口は猫缶を始末しようとせず、私の家に放り出したままどこ吹く風だったのである。家は瞬く間にゴミ屋敷と化してしまった。   *  そうこうしているうちに、今度はミーちゃんとトラが喧嘩を始めた。かなり大規模なバトルである。雄同士なのだから当然である。そしてミーとトラは「フー」と言いながら激しくもみ合った。大体、喧嘩では必ずミーちゃんが勝つ。常日頃から爪を研いで鍛錬していたのだ。原口はパニックになった。  「わー、こりゃ大変や」  パニックになっている原口に対して私は悠然と言った。  「猫やから喧嘩くらいするよ」  しかし原口は何とかしようとして、トラ用の部屋を用意させた。たまたま空き部屋があったので、トラの部屋になってしまった。そして原口は毎日私の家へ来てはミーと少し遊ぶとさっさと二階のトラの部屋へ引っ込んだ。そう。猫缶を持ってである。一つの部屋が無茶苦茶になった。  そして、その上にミーとトラが皮膚病にかかってしまったのだ。私の金で犬猫病院へ連れて行った。何千円も取られた。獣医は言った。  「雄同士ですねえ。喧嘩しませんか?オシッコでマークつけませんか?」    そしてこの頃よりトラが私のことを怖がり始めた。部屋から出してやっても、すぐに逃げて捕まらなくなった。ミーちゃんは広い家で飼っているので、そんなことはなかったが---。    そんなことをしながら私は塾で四年間ただ働きをした。もう我慢の限界であった。また、彼は家に上がり込む時に「お邪魔します」の一言もなく、帰る時も「さようなら」の一言もなかった。彼に一体「日本の常識」があるのか?    そしてある日、私は二度ほど反撃に出た。 一度目は「塾へは行かない」と言ってふて寝したのだ。そうしたら彼は寝室にまで入り込んできて腕組みをして見ている。私は給料ももらってないし、その上にあんたの非常識で参っているのだ。そこで私は言った。  「昼頃には行くから安心せえ」  そして昼頃に行って、いつも昼食を食べる食堂で勝手に遠くに腰掛けて昼食を注文した。いつもなら二人で向かい合って昼食を食べていたのだが---。  その後、彼は言った。  「俺が一緒に働きながらどれだけ気を遣っていると思ってるねん?」  「(気を遣っているのなら家に勝手に上がり込むような真似はやめろ)」  二度目は私が完全に「切れて」帰ろうとした時であった。私は塾の近くの喫茶店にいた。そして彼に携帯で電話し「帰るからな」と告げた。彼がやってきて何か言ったので私は切れた時の切り札の言葉を出した。  「やるのか?」  この言葉が出ると「切れている」ということは彼も知っている。だから切れやすい私に対して「気を遣っている」と言ったのだろう。  大体私は怒るのに遅い傾向がある。その場で言えばいいものを(勿論、家で怒鳴ったこともあったが、それをやると二匹の猫が自分が叱られたと思って逃げるので徐々にやらなくなった。しかし二匹、特にトラは私を明らかに恐れていた)後になって腹が立ってくるということがよくあった。そんな時には電話で文句を言う。  ある日のことである。私は事の次第を警察に相談した。 警察ははっきりと言った。  「問題は鍵のことなんですが、灯籠に鍵を置くのだけはやめて下さい。必ずあなたが開け閉めして下さい」  こうして、暫くしてから彼はきちんと私がいるか確かめて、インターフォンを押して玄関から出入りするようになった。そしてトラを彼の家で引き取ることになった。私が何回も「この猫は誰の所有物?俺のなら捨ててもいいな」と言ったからだ。  このようにして彼の傍若無人ぶりは徐々になくなっていった。  そして、その頃に父が亡くなった。父はタバコをよく吸っていたので肺気腫であった。お金がなかったので戒名などつけず、葬儀はキリスト教式で簡素に行われた。近所の人は呼ばず、身内だけの葬儀であった。  さて、問題はまだ残っていた。四年間も私はただ働きだったのだ。   (五)  ある日のことである。塾をやり始めてまもなくのことだった。私がジャスコで買い物をした帰りに突然「その子」が手を振ってきた。その子は私がいつも昼食を食べに行っている喫茶店で働いている女の子である。後で分かったことであるが、年齢は私よりも二十二歳も下である。少し大柄な娘であるが、太ってはいない。背は私が一六二㎝で彼女が一五八㎝であり、まあ中肉中背といったところである。なぜかいつもマスクをしていて、それを外すことは滅多になかった。だから誰にも素顔をみせようとはしていなかった。私もマスクの下の素顔を少ししか見たことはない。しかし敢えて隠すような顔ではない。否、それどころか大変可愛い。  その子は横断歩道で信号が変わるのを待っていた私に横断歩道の向こうから急に手を振ってきたのだ。  「可愛い!」  そう思ってこちらも手を振った。  ところで、いつも昼食を食べる喫茶店であるが、そこは精神障害者の授産施設でもあった。だから格安でご飯を食べたりコーヒーを飲んだりできた。彼女はそこで働いていたというよりは社会復帰をめざして「作業」をしていたのである。園仁美さんという名であった。  ある日、私が上海へ行ってきたので、その子にプレゼントをあげた。真珠でできた携帯ストラップであった。そんな値のはるものではなかったが、彼女が受け取ってくれるか不安だったので、店の人に尋ねた。  「あのー。園さんって、プレゼントなんかもらったら喜んでくれる子?それとも『こんなの気持ち悪い』と言って投げ返す子?」  「いやー。普通やと思うで。呼んでこようか?」  暫くしてその子が厨房から現れた。  「これ、上海へ行ってきたのでプレゼントやけど、受け取ってくれますか?」  直ぐに反応があった。  「嬉しい!有り難うございます!」  そして、トラを原口に引き取ってもらう日の前後にその子が突然昼食を食べようとしていた私のところへやってきた。  「あのー。どこかへ一緒に行きませんか?」  「いいよ。」  「それからメールアドレスを教えて欲しいんですけど」  「いいですよ。園さんも教えて下さい」  こうしてメールアドレスの交換をした。トラが原口の家へ引き取られる少し前のことである。 その週の土曜日、私は安いビジネスホテルに泊まっていた。翌日に教会へ行くためである。そこへ突然彼女からメールが来た。  「あのー、つきあって欲しいんですけど」勿論断る理由なんかない。私はバツイチであるが、今はだれともお付き合いなんかしてない。  「勿論、OKですよ」すると直球で彼女からメールの返信が来た。  「よかった。私もう大人なのに子供っぽいから『だめだ』と言われるかと思っていた」  「でも、こんなおっさんで本当にいいのですか?」  「○○さん、『おっさん』という感じが全然しないんですけど」  そして次に彼女から来たメールに私は腰が抜けるほど驚いた。  「あのー、つきあってくれるというのは結婚を前提にしてでしょうか?子供なんか欲しいなあ」  「(え?こりゃ何と返事したらいいんだ?)」少し思案してから私は返事をした。  「僕はバツイチで結婚となったら少し考えてしまいます」また直球で返事が来た。  「いいですよ。つきあってくれるだけで嬉しいです」  その後、多分彼女の親が反対したのであろうが、「一緒にどこかへ行くこと」は実現しなかったが、私が昼食にその喫茶店まで行くと必ず彼女が出てきて手を振ってくれるようになった。その後、こちらからは誕生日のプレゼントや東京へ行ってきた帰りのプレゼントなどを送り、彼女からはバレンタインデーのチョコレートや誕生日のプレゼントなどをもらった。そして、そうこうしている間に彼女が猫の写メを送ってきたので、私はミーちゃんの写真を送り返した。彼女は反応した。  「ミーちゃん可愛い!」  こうして猫の写メをその後も何回も送った。                  *  先述したように、私は給料を一切もらわずに塾で英語を教えていた。これが争いの種であった。そこで私は先ず一人でもフリーターでも入れる労組に入会した。そこで賃金が未払いだということを申し伝えた。しかし労組の返答は冷たかった。  「塾を作る時にお金を共同でだしてんでしょう?それならあなたは共同経営者です。確か『家賃や光熱費を引くと赤字』だと言ってましたね。それじゃ給料は受け取れないでしょう」  そこで、私は今度は広島で司法書士をしている大学時代の先輩に電話を入れた。また、法テラスから弁護士も紹介してもらった。  先ずは広島の先輩は呆れたように言った。 「なんじゃあ?設立当初のお金は同じ額を出したんじゃろうが。それなら儲けは折半じゃ。そんなもん当たり前じゃろうが。もし何か言ってくるようじゃったら兵庫県の司法書士会に不服申し立てをすりゃーいいんじゃ。そんな働かせ方させたらいかんぞ。給料払わないんなら出るとことへ出たらいいんじゃ。給料の未払いは絶対に勝訴するけんのう」  また、弁護士にも相談した。法テラスから紹介された弁護士で、簡潔に給与の未払いのことについて伝えると言った。  「その司法書士さんは一体何で儲けてるんですか?」  「登記なんかほとんどないので大半は成年後見です」  「それなら簡単や。家庭裁判所へ行ったらいいんや。成年後見の話は家裁から来るから、そんな問題を抱えてるとなると成年後見の話は一切来なくなるよ」  そしてある日、私は原口に言った。  「四年間の給料が未払いなんで弁護士に相談した。先ずは塾のお金と事務所のお金を百二十万づつ出しているけど、僕は塾だけやから半分の六十万は貸したことにしよう。借用書を書いて印鑑を押して印鑑証明をくれ」  原口は驚いて言った。  「わかった。でもわしも霞食って生きるわけにいかんから去年の分の給料は払う。それから毎月少ないけど利益の一部を給料として払う。それでええんか?」  「いや、あと借用書を書いて六十万は借りたことにしてもらう」  「えー?そんな金ないよ」  「わかった。じゃあ、裁判所へ行くまでやなあ」  「わかった、わかった。裁判なんかやられたら成年後見の話も来なくなる。わかったから御免。そうしよう」  こうして給与は払ってもらえるようになった。 こうして彼との間にあったわだかまりは徐々になくなっていった。そして、ミーちゃんを残してトラを引き取る日がやってきた。彼は猫かごを持ってきてトラをかごに入れて持って帰った。こうしてミーちゃんと二人だけの家族になってしまった。トラが引き取られて行った後、私は業者を呼んで猫で汚れた家を清掃してもらった。 トラを引き取ってもらってからも原口はミーちゃんを見るために私の家を毎日訪れた。  ミーちゃんは私よりも原口になついていて、彼の車の音がすると玄関へ飛んで行った。そして彼の膝の上で喉をゴロゴロと鳴らし、猫のフミフミを始める。一体この猫は誰の猫なんだ?いや、どうも私は猫に嫉妬しているようである。それはいけないなあ。  園仁美とのメールのやり取りはその後も続いていた。決まって話題は猫のことである。よっぽどミーちゃんが可愛いらしい。そして原口はミーちゃんの様子を見るためだけ、夜に私の家に来た。そんな日がしばらく続いた。   *  私は自分にあまりなつかないこの猫が嫌いだった。どうせトラを引き取るのならこいつも一緒に引き取ってくれたらいいのにと思っていた。だから家で一人になると猫に当たり散らした。しかしミーちゃんはトラと違ってなぜか私にもなついているように見えることもあった。原口が来ていない時は私の膝に喜んで乗ってきて喉をゴロゴロ鳴らしていた。  また、園仁美ちゃんはこの猫が気に入っているようなので何回も写メを送った。齢五十にもなるというおっさんとは思えないような文面だ。  「今日は物思いにふけるミーちゃんです」  「気持ちよさそうですね」  「ミーちゃんです」  「目、クリクリですね」  「今日はミーちゃんは------でした」  「いつもとっても可愛いミーちゃんの写メ有り難うございます」  まあ、こんな感じである。そして二〇一八年の四月頃から園さんがなぜか喫茶店に来なくなった。病気だから調子が悪くなる時はあっても不思議ではない。そして、それからはメールでのお付き合いとなった。メールでの話題は決まってミーちゃんのことであった。  「寝ているミーちゃんです」  「気持ちよさそうですね」  「膝の上のミーちゃんです」  「ミーちゃん男だけど可愛い」  私は彼女とのコミュニケーションのためにミーちゃんを利用していた。それだけであった。だから格段ミーちゃんを可愛いとは思っていなかった。  やがて原口は家に来なくなった。私は最後に彼に言った。  「この猫は外へ行きたくしているから外へ出すよ。そしてもしも死んだとしてもそれが寿命やから仕方ないよね。俺の猫やからね」  「それは分かってる」原口も納得したようだった。しかし間もなく事件が起こった。ミーちゃんが家出してしまったのだ。
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