夏奈の弁当5

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夏奈の弁当5

 白い天井と蛍光灯が二本並んでいる、薄い掛け布団がかけられてあり、空調の効いた快適な空間で私は目覚めた。 「痛っ」  それまであった、頭痛や、めまいは嘘のようにすっかり消えていたが、代わりに頬や手に擦り傷のような痛みが走った。吹奏楽部の練習が遠くから聞こえていた。  放課後の保健室か、やっと自分に何が起こったのかが、理解できた。そんなに寝てしまったのかと、驚いたのと、倒れるまで弁当を作った自分の馬鹿馬鹿しさに呆れた。  ふと、隣に顔を向け目をやると、反射的に飛び退いた。  ゆるふわ茶色パーマが目の前に現れたのだ。 「し、白岩っ!!」 「んー?」と、目を擦りながら顔をあげる。 「ああ、元気そうだな、じゃっ」 「じゃっ、て、ちょっと待ってよ、病人を一人残して帰る気?」 「睡眠不足と疲労だってさ、それに、今は怪我人だろ?」  ハハッと笑った目尻にシワがよった。いつも笑わなかった白岩の笑顔が眩しかった。鞄を持った白岩はそのまま白いカーテンを開けた。 「白岩、今日のは……あれ、無しだから、その……弁当。もう作るのも止める、さすがにあんなダサイの見られたら、ね」  もう止めにしよう、私の負け、それでいい。 「ああ、あの弁当?」 「そそ、あのダサイやつ、あれ、間違いだから」 「お前さ、なんで、そんなにこだわるの?」  白岩は私に背中を向けたまま動かなかった。 「な、何でってそりゃ、私は天才夫婦の子供だから。私の弁当を食べた男子は私に惚れるのよ、今まで『美味しい』としか言われたことしかなかった。それが私の自慢であり、ステータスだったの、でもあんたに全部壊されたわ」 「天才は、お前の両親だろ?」  言葉を失った。自分の人生を間違えていると否定されたような気になって、目の奥が熱くなった。 「でも私には料理しかないの、小さな頃から料理しかしてない! だから『美味しい』って言われなきゃいけないの!」  自分の意思とは逆に、涙が次から次へと溢れ出る。 「それが……ぼうっとしていて、情けない。私には、お似合いよね……最後にあんなヘマするなんてね……」  自虐するように笑ってみせた、涙が頬を伝う、鼻水も出ているだろう。こんな顔、白岩に見せたくなかった―――― 「旨かったよ、今日の」 「え?」 「あれ、お前が作っただろ? だから旨かった」 「なんで? 今までのも全部――――」 「もう……頑張るなよ」  振り返った白岩に言葉を遮られた。ボソッと呟いた彼に、心の中を覗かれた気分だった。 「いいじゃん、料理の天才の子供が、料理下手でも」 「な……なんで、知ってるのよ」 「毎回両親か、その見習いさんに作ってもらってたんだろ? キラキラにしてるその手とか、香水とか、毎日料理してるように見えねぇよ」  顔を拭って爪を見た私は、両手を隠すように後ろにまわした。  白岩の言う通り、何度作っても両親に認めてもらえなかった私は、いつしか料理が苦痛になった。毎日なんか作っていない、ただ、周りの目を気にするあまり、自分を偽っていただけ。 「だ、誰にも言わないで、お願い、言われたら私……」 「言わねぇよ、ああ、あと……そんなことしなくても、俺、お前のこと好きだから」 「え?」 「だから、好きだっつってんの。お前のこと、好きだから好きだっつってんだよ」  顔が燃えるように熱くなった。 「ちょっ、ちょっと何回も言わないでよ」 「ハハハ、好きだよー、大好きだよ水広」  鼻の頭と目を真っ赤にして、涙声で照れてる私を見ながら、意地悪そうに笑う白岩を押してカーテンを閉めた。 「からかわないでっ!」 「……俺、マジだから、ずっと前からずっと」  急に真面目な声が、カーテンの裏から聞こえる。 「白岩?」  再度カーテンを開けると、誰もいない。 「バカ……」  私の声が静まった保健室に響いた―――― 「青春だねぇ」 「え?」  ベッドから立ち上がりカーテンから出ると、椅子ごとこっちに回転した保健の向井奈那子(むかいななこ)先生が申し訳なさそうに足を組んで机にもたれていた。 「ごめんね、聞くつもりは無かったんだけど、ハハハ」 「え、ええ?」  さっきより、こっちのほうが顔から火が出そうだった。 「白岩君、血相変えて水広さんを抱えて保健室来たんだよ、その時は驚いたね。ほら彼って部活動の時以外は表情が薄いじゃん? それから、俺のせいだから目が覚めるまでここに居るって聞かないから、他の先生には内緒だよって」 「先生、私……」 「いいから、青春してこいっ」 「はいっ」  微笑む先生から鞄を受け取った私は、膝の擦り傷が痛む中、勢いよく保健室のドアを開けた。 「廊下は、走っちゃダメよー!」 「はぁーい」  やっぱり、私の弁当を食べた男子は、私に惚れる――――  白岩、私も――――  こみ上げる笑いが止まらない。怠そうに帰る白岩の後ろ姿が校庭に見えた。 「あっ、いた、白岩ー!」  擦り傷の痛みも忘れて、私は白岩の背中に飛び付いた。 ――了――
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