5 ブドウ

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「綺羅」  呼ぶ声が聞こえて振り返ると、舞が柱から半身を出して、手招きしていた。  昭和か。  呆れながらも近づいていくと、手を引っ張られて、人気のない教室に連れ込まれてしまった。 「どうしたの?」  舞らしからぬ行動に、眉を寄せて尋ねると、舞はじっと綺羅を見つめて、口を開いた。 「静香に好きだって言われた。恋愛対象としての好き」  舞は妙に具体的に説明した。  ついに告白したのか。自分に相談がなかったことを、少し残念に思いながら、「それで?」と促す。 「分かった、いいよって言った」 「そうなの?」  静香が告白したことには驚かなかったが、舞の答えには驚いた。  舞はその()がなかったし、そもそも舞は貴宏が好きで、あきらめきれないんじゃなかったのか。 「静香が望んでいる恋愛と、わたしが思っている関係が、一緒ではないかもしれないけど、それでもいいならって」  舞は言いながら、まだじっと綺羅を見ている。思えば、舞はずっと綺羅から目を逸らさなかった。恥じらいに顔を背けてもいい話なのに、何かを見逃さないように、じっと見ている。  綺羅が眉をひそめると、舞は「あのね」とゆっくり言った。 「綺羅はいいの?」 「え?」 「綺羅は静香とわたしがつきあってもいいの?」 「……なんで、そんなこと訊くの?」 「綺羅が静香を大切に思っているから」 「なにそれ」  舞の言いように、綺羅は尖った声を出した。  なんだ、それ。何様のつもりだ。決死の想いで告白した静香の気持ちはどうなる?つまり、僕が駄目と言ったら、つきあわないのか。 「僕がつきあうなって言ったら、つきあわないの?」  けんか腰にそう言っても、舞は動じなかった。そう言われるのが分かっていたかのようだ。  頷くと、真剣な面持ちで続けた。 「わたしは静香の事が大好きだから、静香がわたしと付き合うことを望むなら、そうしようと思ったの。でも、綺羅と一緒にいた方が、静香は幸せなんじゃないかな、と思う」 「静香は舞と付き合いたいんでしょ。じゃあ僕と、ってなるわけがないじゃん。だいたいそんなこと言えるなんて、静香のことそんなに好きじゃないんだよ。そんなの恋愛感情とは言えないのに、つきあうなんてどうかしてる」 「恋愛感情かどうかなんて、分からない。でも、静香とは一緒にいたい。静香に幸せになってもらいたい!」  食い下がる舞の必死さに、ふと綺羅は冷静になった。舞は必死になっていた。確かにその情愛が、何の情愛でも構わない気がした。 「でも、舞、貴宏は?あきらめきれないんじゃなかったの?もう気持ちはないの?」  途端に、舞は苦しそうな顔をした。 「ううん、まだ貴宏の事考えると、胸が苦しくなる。でも、それはどうしようもないことだもの」  彼はわたしとは、どうしても相容れない。  前を向きたい、と舞は言った。  舞の必死な目に、綺羅は息を吐いた。  静香の事は確かに好きだ。愛していると言ってもいい。たぶんこれからずっと、静香を見続けて行くだろう。 「あのね、舞」  この気持ちをどう言ったら、いいだろう。 「僕は確かに静香が好きだよ。でもね、だからどうにかなりたいわけじゃない。むしろ、()れたくないんだ」  綺羅は昔から、本当に大切なモノには触れられなかった。大事なものは、(さわ)らずに、そっと眺めているのが幸せだった。  触れたら汚れてしまうから、綺麗なままでずっと見ていたい。 「人でそう思ったのは、初めてだけどね。だから、初恋なのかもしれない」  綺麗な静香は触れずに、ずっと見ていたい。彼女の人生を、喜びも、苦しみも、迷いも、そしてそのたどり着く先も。 「どうでもいい人とは、寝れるんだけどね」  先日も貴宏とやったし、と口を滑らせ、舞が目を白黒させるのを見て笑うと、ひどく澄んだ目で遠くを見た。 「静香だけは触れられない」  静香が舞との恋愛に苦しんでいる様を見ていても、綺羅は幸せだった。少し困らせてやろうと思って、拓や貴宏でかき回したりもした。 「僕は静香に幸せになってほしいわけじゃない。静香を見ていたいだけだよ」  それから、いたずらを発見した子どものような顔をして、ニヤリと笑った。 「だから、静香にちょっかいを出すためだけに、舞を襲っちゃうかもよ」  今度は、舞も固まったりしなかった。少し笑って、ため息をついた。 「つまり綺羅は、マゾで変態で臆病者なんだね」  そりゃあ、静香は渡せない。  すっきりした顔で手を振って去っていく舞を見送ってから、綺羅は教室を出た。  我知らず、ため息が出る。  確かに舞に言ったことは真実だが、好きな人に(さわ)れないという(ごう)が、幸が不幸かと問われれば、不幸だと思う。不運と言ってもいい。虚しいという思いは、拭えないだろう。 「馬鹿じゃん?」  ドアを出て、曲がろうとしたところで、声が振ってきて、綺羅は驚いた。  拓と貴宏が立っていた。 「盗み聞きしてた」  拓がしれっと言う。 「最低」  綺羅が言い捨てると、拓は肩をすくめた。 「(さわ)れるかもしれないじゃん。触ってみればいいのに」  デリケートなところに触れられて、綺羅はカチンときた。 「拓ちゃんの頭は、ほんとお花畑だね」  言われても、拓はどこ吹く風。舞の去って行った方を見て、うっとりしている。 「舞ちゃん、大人っぽくなったよな?」  なんなの?  目顔で貴宏に問いかけると、貴宏は笑って肩をすくめた。 「だいたい、二人はいつ仲直りしたのよ」  八つ当たり気味にそう訊くと、拓が頭を掻いて答えた。 「なんとなく。貴、俺の事好きなんだって」  知ってた?と、反対に尋ねる拓に、綺羅は目を見張る。 「知ってた」  唖然として、オウム返しに綺羅が答えると、拓は「やっぱりか」と腕を組んだ。 「みんな、知ってたんだよな」  綺羅はまだ驚いたまま、貴宏を見る。貴宏は困ったように笑っている。 「それで、二人は付き合ってるの?」  気を取り直して、そう訊くと、拓はとんでもないと手を振った。 「まさか。俺、まだ舞ちゃんの事好きだし」 「……あ、そう」  恐る恐る貴宏を見る。  しかし、もうあのあきらめたような目ではなかった。吹っ切れたような、清々しい顔。 「拓ちゃん。結構、残酷な事してるって、分かってる?」  訊くと、拓は神妙な顔で頷いた。 「分かってるけど、仕方ないじゃん。俺は舞ちゃんが好き。でも親友を失くしたくはない」 「……舞は静香が持って行っちゃったけど……」 「うるさい!」  拓は吠え、「俺はあきらめない!」と拳を突き上げた。
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