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「え?舞ちゃんの家で?」
舞が「家でやろうよ」と言った時、思わず確認してしまった。声が裏返っていなかったかと、拓はドキドキした。
拓たち五人は、大学祭でお好み焼の屋台をしようという話になった。広島出身の舞が提案したのだ。
ついては、広島焼の練習をしなくてはいけない。その練習場所に舞が自分の部屋を提供してくれたのだ。
舞の家は大学から自転車で十分の所にある、大学生向けに建てられたワンルームのアパートだ。
少し軋む階段を上りながら、拓は紙袋に入れたホットプレートを抱えなおした。重くはないが、紙袋が耐えうるか微妙だった。今にも持ち手が取れそうだ。
前を行く貴宏が、興味深そうにキョロキョロと辺りを見回している。当たり前の階段に、通路。特別見るものはないと思うのだが。
「何見てんだよ。不審者だぞ、それじゃ」
若干イライラして拓が咎めても、貴宏は気にするふうもなく、観察を続けている。
「いや、夜、あの階段上って家に帰るの、舞は怖くないのかな、と思って」
ホラ、と貴宏は通路の電灯を顎でしゃくった。
「あれじゃあ、たいして明るくなさそうだし」
小さな電球がむき出しについているのを見て、拓も仕方なく頷いた。
「確かにな」
貴宏のこういう細やかな気遣いが、憎たらしい。拓は舞の部屋を訪れることに舞い上がって、そんなこと気にも留めなかった。
そうこうしているうちに、舞の部屋の前に着いた。心の準備をする間もなく、貴宏が無造作にチャイムを押す。
待て、心の準備が、という拓の内心の叫びもむなしく、ピンポーンという音が中から聞こえた。
しばらくしてドアが開けられた。
拓は急に、舞ではない人が出てくるのではないかという、恐怖心に見舞われた。
だが、もちろんそんなわけはなく、慌てたように出てきた舞に、迎え入れられた。
細めのジーンズにざっくりしたニット。広めの襟ぐりから、細い首がのぞいている。
完璧だ。
拓は直立不動で固まってしまった。
いつの間に後ろに回ったのか、拓の背後で貴宏が忍び笑いに体を震わせているのを感じた。
こいつに打ち明けたのは、時期尚早だったかもしれない。
相変わらずぶしつけに舞の部屋を見回す貴宏を小突いて、拓と舞は下ごしらえを始めた。
舞と並んで、キッチンで作業をする。
舞のリズミカルな包丁の音を聞きながら、キャベツの葉の間に指を入れ、丁寧に洗う。洗い終えたキャベツの水をよく切り、舞に手渡しする。
拓は居酒屋の厨房でバイトをしている。下ごしらえはお手のものだ。
また舞がリズムを刻む。
リズムと共に、拓も天に昇って行くような心持になった。
そのリズムが、急に乱れた。
舞が何かに気を取られたのだ。
「舞ちゃん、危ないよ!」
考える前に、拓は声を上げて、舞を止めた。
それは、舞の怪我を止める為なのか、貴宏へ気持ちが流れて行くのを止める為なのか、拓自身も混乱して分からなかった。
目の端に、貴宏の方を向いている舞の横顔が見えた。その顔が、バネが付いているかのように、前を向いた。
そのまま、何もなかったかのように、再び舞はキャベツを刻み始めた。
拓は取り繕うように、呑気な声を出した。
「舞ちゃん、貴宏にも千切りさせてやって。こいつ下手くそだから、練習させないと」
舞は顔を上げると拓を見た。それから、貴宏の方を振り返る。
「やってみる?」
貴宏は肩をすくめた。手に持ったもやしを拓に渡すと、あと少しとなったキャベツを刻み始めた。
貴宏は決して下手ではない。
舞が切るよりは、ほんの少し太めのキャベツが、舞の切ったキャベツの横に山になっていった。
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