3 チョコ

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 貴宏が舞を呼び出したのは、翌日の夕方だった。 「話があるから来てくれないか」と打たれたLINEを見て、貴宏の許に駆け寄ってくる舞が、何を期待しているのか貴宏にはすぐに分かった。  それはそうだ。こんな文句じゃ、誰だって告白されると勘違いする。だけど、貴宏にはほかに言いようがなかった。  上気した頬で貴宏を見上げる舞に、まず貴宏が言ったのは、「舞は俺に好意を持ってくれているよな?」だった。  期待に満ちた舞の顔が、少しだけ翳った。  だが、それがどんなに思い上がりでも、恥知らずでも、伝えなくてはならない。  俺は応えられないんだから。  舞が警戒しながらも、頷くのを見届けると、貴宏は頭を下げた。 「ごめん、俺、舞の気持ちには応えられない」  舞はしばらく黙った後、困惑したように、ポロリと呟いた。 「……わたし告白もしていないのに」  言われて、貴宏は頷く。 「ああ。でも、駄目なんだ」  それから短く息を吸った。 「俺、ゲイなんだ」  スローモーションのように、舞の目が見開かれるのを、貴宏は半ば感動するような気持で見ていた。  絵に描いたような反応だ。 「だから、俺を好きになってくれても……困るんだ」  舞は途方に暮れているように見えた。泣いてはいない。事態と感情を整理しきれていないのかもしれない。  貴宏は、浅ましくも、自分の為に舞の反応を確認していた。  静香に言われたことが、もっともだと思ったから、舞に自分がゲイであることを告白した。  だがそれ以上に自分の為だ。拓が舞の為に自分に嫉妬することが耐えられなかった。 「……拓にも言っていないんだ。だから皆に言わないでほしい」  貴宏がそう言うと、舞の目にゆっくり焦点が戻ってきた。貴宏の目を見る。 「……拓ちゃんのためだね?」 「え?」  貴宏は恐怖に震えた。舞の目はまるで断罪者のように、強く容赦のないものに見えた。 「拓ちゃんがわたしのことを好きだから、告白もしていないのに、さっさと切ろうと思ったんでしょ」 「舞、知っていたのか?」  拓が舞のことを好きなことは、周りから見れば明らかだが、当の本人は気が付いていないのかと思った。第一、舞はそんな素振りもみせなかった。 「気づいてたよ」  舞は短く答えた。 「気づいていたから、仲良くなったのか?」  貴宏の質問に、舞は少し顔をしかめた。 「仲良くなったのは、友達だったから。それに拓ちゃんと一緒にいたら、貴宏も一緒だったから」  挑戦的ともいえる眼差しで、舞は貴宏を見上げた。 「それって……拓を出汁(だし)にしたってことか?」  拓がどれだけ舞に本気だったか、貴宏は痛いほど知っている。舞と仲良くなれたからと、喜んでいた拓の顔。  貴宏は信じられない顔で、舞を見つめた。この女は誰だ?本当に、拓が好きな舞か?  舞は微笑んだ。 「違うよ、って言っても、貴宏は信じないでしょ。貴宏は自分と拓ちゃんのことしか、考えていないもの」  そう言うと、くるりと踵を巡らせて、足早に去っていった。  舞の後ろ姿を見送って、カフェに行き、勉強をしようと課題を広げた。  だが、頭の中は真っ白だった。  何も考えることができない。  拓の顔と舞の顔、自分の言った言葉と、舞の言った言葉が、まるで合わないパズルのように、ぐるぐると頭の中を回っていた。  どのピースも全くはまらず、脳を溶かしていくような気がした。 「貴宏!」  待ち焦がれていた人の声に、貴宏は「殺してくれ!」と心の中で叫んだ。  だが実際は、のろのろと手を上げ、いつものように「ああ」と返事をしただけだった。  顔を上気させ、拓が近づいてくる。  それだけで、抱きしめて、めちゃくちゃにしたい衝動にかられた。 「お前、舞ちゃんを振ったんだって?」  貴宏は咄嗟に、舞があれから真っすぐ拓に暴露しに行ったのかと思った。 「舞が言ったのか?」  強張る声でやっとそう訊ねると、拓の顔が一瞬、間が抜けた。  それから、あわてて、首を横に振っている。 「違う!」  必死な拓を見て、貴宏は諦めたように言った。 「盗み聞きか」  途端に拓が飛びついてきた。貴宏の首を掴み上げる。 「馬鹿か、お前は」  それから、絞り出すように問いかけた。 「俺が言ったからか?俺が舞ちゃんを振れって言ったからか?」  貴宏は拓に揺すられながら、パズルのピースがひとつ、はまった気がした。  拓は舞の為に、ここに来て、貴宏を締め上げているのだ。  貴宏は急にあきらめに近い境地になった。  もう、どうでもいい。 「違うよ」  そう言うと、拓の力が弱まった。 「もともと、舞が俺を好きなのは知ってた。だから、早くケリをつけておこうと思った」  拓は複雑な表情になった。渦巻く嫉妬の中に、少しの安堵と喜びがあるのを見出して、貴宏は狂暴な気分になる。 「確かに、俺が振ってしまえば、お前の恋も芽があるかも、と思った」  わざと言った。狙いをつけて、拓の心を抉った。  瞬間、右頬に拓の拳が振ってきた。  ああ、そうだ。俺は拓に殴られたかったんだ。  椅子から落ちながら、貴宏の目の端に、綺羅の姿が映った。  あいつ、いつからあそこにいたんだ?  怒りに満ちた目で自分を見下ろす拓のところに、綺羅が駆け寄るのが見えた。  それを他人事のように、貴宏は見ていた。
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