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「あー、しんどい」
静香は舞の家から出てくると、スマホを取り出した。誰かに電話を掛けると、宙を見上げる。月が冴え冴えと明るい。
相手は何コールも出なかった。一度切れてしまったが、静香は平然ともう一度かける。相手がすぐに出ないのは予想済みだった。
二度目も長々とコールして、観念したように相手が出た。静香の顔に複雑な表情が一瞬浮かんだ。
「あ、貴宏?今、舞の家の前なんだけどさ、迎えに来てくれない?」
敢えて、居丈高に言うと、電話の向こうから殺気を帯びた声が聞こえてきた。
さすがに仏の貴宏も、今日は阿修羅のごとく狂暴そうだ。
「じゃあ、いいよ。貴宏に話したいことがあるから、そっちの家まで行くね」
しばらくの沈黙の後、貴宏らしからぬ悪態をつく声がして、それから盛大なため息が聞こえた。
何か言っている貴宏に、静香はうんうん、と頷いた。
電話を切ると、舞の家から五十メートルほど先の、コンビニに入る。十五分もたたないうちに、駐車場に貴宏の車が入ってくるのが見えた。
阿修羅になっても、やっぱりいい奴だな。
舞が好きになるのも納得だ。
静香は自虐的にそう思うと、貴宏の車に近づいていった。
「舞に告白してくれたんだってね」
乗り込むなり、静香は貴宏に言った。
貴宏は静香の顔を、チラリと見ると、車を発進させた。
「舞に聞いたのか?」
「あんたに振られて、すぐにわたしのところに来てくれたよ。わたしの胸に取りすがって、泣いてた」
貴宏はもう一度、静香の顔を見ると、少し笑った。
「よかったじゃないか。それで、今まで舞の部屋にいたのか?」
「うん」
「泊っていけばよかったのに」
貴宏がそう言うと、静香は黙り込んだ。
それからポツリと言った。
「貴宏の事がまだ好きだって」
「……」
「あんたがゲイなら、望みがないのは分かってる。でも、気持ちが消えないんだって。まだ好きでもいいかなって訊かれたよ」
「……」
「わたしは、好きな気持ちはどうしようもないから、仕方ないよって答えた」
それでも自問自答を繰り返し、どうしようもない恋心に苦しむ舞を独りにしておけなくて、静香は舞の側にいてやった。
「それで、さっきやっと眠った。それまで、ずっとあんたへの想いを聞かされてた」
静香はやっと貴宏を見て、微笑んだ。
「そんなので、一晩中いたら、舞をめちゃくちゃにしちゃうか、自分がめちゃくちゃになっちゃうよ」
「……そうだな」
かろうじて答えた貴宏に、静香はフッと笑った。
「でも、なんで貴宏は舞に言ったの?そりゃ、わたしは『ちゃんと振れ』って言ったけど、あんた拓には絶対バレたくないって、言ってたじゃん。舞にまで言ったら、バレるのも時間の問題でしょ」
静香の言葉に、今度は貴宏が押し黙った。
「なんでだろうな」
それから、ああ、と何かに気が付いたように、声を上げた。
「本当はバレてしまいたかったのかもしれない」
「どういうこと?」
「壊したくないけど、壊したい。自分からは壊せない。だから、うっかりなんかの拍子に、壊れて欲しかったのかな」
訳が分からない貴宏の言葉に、静香は「なにそれ」と言いながらも、分かる気がした。
舞と今の自分の心地よい関係を、このまま続けるのは、天国にいながら地獄にいるようなものだ。偽物だと分かっていながら、続けなくてはならないのだから。壊して楽になりたいと思う時もあるだろう。
どちらにしても、つらい道だ。
「それなら、俺の望みは叶ったはずだけど」
貴宏の言葉に、静香はハッとした。
「え?」
「綺羅に聞いてないのか?拓はもう俺の側にはいないよ」
おどけるように言った貴宏の、その痛ましさに静香は息を呑んだ。
「拓に告白したの?」
「する前に、去っていった」
貴宏は車をとめた。静香の家の前だ。
「それで?静香はどうするの?静香は舞をあきらめないんだろ?拓はやる気満々だったよ。うかうかしてると、持って行かれるよ」
容赦のない貴宏の言葉に、静香は何も言えなかった。
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