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インターホンのカメラに映った人物を見て、綺羅はため息をついた。
昼間に「で、どうするの?」と追い詰めた時の、静香の顔を思い出す。あの時の自分の気持ちが分からない。静香を煽って、どうしたかったのか。こうして結果が戻ってきても、綺羅はやっぱり分からなかった。
ドアを開けて、迎え入れる。
「どうしたの、静香?ずぶぬれじゃん」
「家まで貴宏に送ってもらったんだけど、一人になりたくなくて、ここまで走ってきた」
本降りになった外を見て、綺羅は呆れた声を出す。
「馬鹿じゃん?」
「うん」
静香は素直に頷いた。
「舞のところに泊めてもらえばよかったのに。きっと泊めてくれたよ」
静香はうつむいたまま、首を横に振った。
「無理。襲っちゃう」
僕に襲われるかもとは思わないわけね。
綺羅はあきらめて、静香をソファに座らせると、バスタオルで頭を拭いてやった。バスタブにお湯も張る。
風邪をひくから風呂に入れと言うと、静香は素直に風呂に入った。こんなに健気で素直な静香を、例えば拓が見たとしたら、仰天するだろう。
静香は綺羅のスウェットを着て出てきた。二人の身長はほぼ同じだ。まるで自分のもののように、しっくりと着ている。
「で?どうしたって?」
訊きながらも、大体予想はついている。その顔を見た時から、有言実行したのだと思った。貴宏との直接対決だ。
「貴宏に舞をちゃんと振れって言った」
「それで舞が自分のところに来るなんて……」
「思ってないよ。思ってないけど……」
ぐずぐずと静香は沈んでいく。外での強気とは裏腹に、落ち込んでここに来ると、いつもこんな調子だ。その弱々しさに、綺羅はちょっとやられてしまう。
「静香、慰めてあげようか?」
静香を隣に座らせ、そう訊ねると、静香はちょっと顔を上げただけだった。
「男とは出来ない」
すげなくそう言う。
「女だったら?」
今度は顔を上げて、じいっと見てきた。そしてやっぱり首を横に振る。
「好きな女としかしない」
綺羅は両手を上げた。それから、ぽんぽんと静香の頭をたたいた。
「ぶれないねぇ、静香は」
そして毛布を静香に投げてよこすと、自分はそそくさとベッドに潜り込んだ。
「そこで寝て。おやすみ」
静香が毛布を広げる音がする。途中で「あ」と静香の声が聞こえた。
「もしかして、綺羅って……」
「……」
「綺羅?寝ちゃった?」
探るような静香の声を聞きながら、綺羅はひたすら寝たふりを決め込んだ。
とにかく干渉してくる家だった。綺羅の上には姉が三人もいる。すぐ上の姉でも、六歳も年上で、遅くに生まれた綺羅は、格好のおもちゃだった。だいたい「綺羅」と言う名前も、姉のうちの一人が付けた。「キラキラ星」の「綺羅」だ。
両親はセンスがいいと褒めちぎり、そのまま出生届に書いた。
名前を付けた人形のように可愛がられ、三人で綺羅を取り合うようになった。どうにか自分色に染めようと、綺羅の機嫌を取ったり、脅したり、三人はあれこれ画策した。綺羅はといえば、今日は誰の言うことをきけばいいか、戸惑うこともしばしばだった。
日によって、男の子になったり、女の子になったり、違うのだ。三人が三人とも好みが違ったので、誰の人形かによって、性別も服の趣味もコロコロ変わった。
それは、綺羅がだいぶ大きくなるまで続いた。そして、中学三年生の時に、綺羅は自ら部屋にたくさんの鍵を付けた。
もう、たくさんだ。
内側にズカズカ入ってくる奴を、全部締め出してやろうと思った。
姉たちは諦め、興味を失った。
自分というものを勝ち取った綺羅だが、さてそれからどうしていいか分からなくなった。
自分が何者か分からない。どうしていいか分からない。男の姿が正しいのか、女の姿が正しいのか、分からない。結果、綺羅はどっちつかずの人間になった。
いや、人間かどうかも怪しい。綺羅は人という生身である自分に抵抗があった。食べ、排泄し、考え、欲情する。
何と浅ましく、気持ち悪い。
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