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静香のスマホが鳴った時、綺羅は静香と一緒にいた。
静香がスマホの画面を一瞥するなり、表情が緩んだので、舞からだな、と分かった。
静香はすぐに電話に出ると、その緩んだ顔が突然変わった。深刻な顔で相槌を打っていたが、急に遮るように言った。
「待って。フランス語の教室に来て。そこで聞く」
そして電話を切ると、綺羅の方を見ようともせずに、足早に去って行こうとする。
「待って。今の舞ちゃんでしょ?フランス語の部屋なんかに行って、どうするの?」
綺羅が慌てて止めようとすると、静香がすごい形相で振り返った。
「僕、なんかした?」
その鬼気迫る顔に、思わずそう訊くと、静香は低い声で吐き捨てるように言った。
「あいつ…貴宏が舞を振ったって。今から舞に会って来る」
憎々し気に言うその様子に、綺羅はきょとんとした。
「なんで怒ってるの?静香が貴宏に、ちゃんと振れって言ったんでしょ?」
「そうだよ!」
「じゃあ、怒るなんておかしいでしょ?」
静香は綺羅の襟首を掴み上げた。
「分かってるよ。でも舞が傷ついてる」
「だって、それは……」
「うるさい!」
静香の大声に、周りの人が振り返った。
静香は完全に我を失っていた。思い通りになったはずなのに、なぜそんな顔をするのか、綺羅には理解できなかった。
静香に理不尽な態度を取らせる舞に、綺羅はモヤモヤした気持ちを抱いた。それが嫉妬というものだと、綺羅は分からなかった。自分の事は分からないのだ。
立ち尽くした綺羅を一瞥すると、静香は走り去ってしまった。
静香を追って、フランス語の教室がある棟に向かおうと足を向けかけたが、綺羅はくるりと違う方向を向いた。
今は、静香と舞を見たくない。
フラフラと外に出ようとすると、カフェに貴宏がいるのを見つけた。一人で勉強をしている…ように見える。
しかしよくよく見ると、資料や課題のプリントが広げてあるだけで、貴宏は一つも動いていない。ページもめくられていないし、シャーペンも持っているだけだ。
心ここにあらず。
それはそうか。貴宏は今、舞に重大な秘密を打ち明けてきた。貴宏の事だ。告白もされていないのに振ったということは、自分がゲイであることを打ち明けたのだろう。
それは舞に対して誠実で、正しい行いだったと綺羅は思う。しかし拓に対しては、必死で隠していたものが露見してしまう。口止めすれば、拓には伝わらないだろうと思っているとしたら、それはとんだ間違いだ。
それは貴宏だって分かっているだろう。
だから綺羅は、貴宏が静香の要求に応じるわけがないと思っていた。静香は甘いが、貴宏は分かっている。
自分ががんばれば必ず叶うというのは夢物語だし、自分に誠実であることが正しいとは限らない。
それはすぐに証明された。
貴宏を呼ぶ拓の声が聞こえた時、貴宏は観念しているように見えた。
何を言っているのかは聞こえなかったが、拓が貴宏を殴りつけ、貴宏が倒れた時、そのぽっかりと開いた目を見て、「ああ、貴宏は拓に殺されてもいいと思っている」と思った。むしろ、拓がそこまでの事をしたことに、悦びを感じているように見えた。
嫌だ。
気が付いたら綺羅は走って拓に飛びつき、拓がそこまで落ちて行くのを食い止めた。
その時見上げた貴宏の目。
恨めしそうな貴宏の目に、綺羅はぞっとした。
この目を知っている。
僕の目だ。
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