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「綺羅」
呼ぶ声が聞こえて振り返ると、舞が柱から半身を出して、手招きしていた。
昭和か。
呆れながらも近づいていくと、手を引っ張られて、人気のない教室に連れ込まれてしまった。
「どうしたの?」
舞らしからぬ行動に、眉を寄せて尋ねると、舞はじっと綺羅を見つめて、口を開いた。
「静香に好きだって言われた。恋愛対象としての好き」
舞は妙に具体的に説明した。
ついに告白したのか。自分に相談がなかったことを、少し残念に思いながら、「それで?」と促す。
「分かった、いいよって言った」
「そうなの?」
静香が告白したことには驚かなかったが、舞の答えには驚いた。
舞はその気がなかったし、そもそも舞は貴宏が好きで、あきらめきれないんじゃなかったのか。
「静香が望んでいる恋愛と、わたしが思っている関係が、一緒ではないかもしれないけど、それでもいいならって」
舞は言いながら、まだじっと綺羅を見ている。思えば、舞はずっと綺羅から目を逸らさなかった。恥じらいに顔を背けてもいい話なのに、何かを見逃さないように、じっと見ている。
綺羅が眉をひそめると、舞は「あのね」とゆっくり言った。
「綺羅はいいの?」
「え?」
「綺羅は静香とわたしがつきあってもいいの?」
「……なんで、そんなこと訊くの?」
「綺羅が静香を大切に思っているから」
「なにそれ」
舞の言いように、綺羅は尖った声を出した。
なんだ、それ。何様のつもりだ。決死の想いで告白した静香の気持ちはどうなる?つまり、僕が駄目と言ったら、つきあわないのか。
「僕がつきあうなって言ったら、つきあわないの?」
けんか腰にそう言っても、舞は動じなかった。そう言われるのが分かっていたかのようだ。
頷くと、真剣な面持ちで続けた。
「わたしは静香の事が大好きだから、静香がわたしと付き合うことを望むなら、そうしようと思ったの。でも、綺羅と一緒にいた方が、静香は幸せなんじゃないかな、と思う」
「静香は舞と付き合いたいんでしょ。じゃあ僕と、ってなるわけがないじゃん。だいたいそんなこと言えるなんて、静香のことそんなに好きじゃないんだよ。そんなの恋愛感情とは言えないのに、つきあうなんてどうかしてる」
「恋愛感情かどうかなんて、分からない。でも、静香とは一緒にいたい。静香に幸せになってもらいたい!」
食い下がる舞の必死さに、ふと綺羅は冷静になった。舞は必死になっていた。確かにその情愛が、何の情愛でも構わない気がした。
「でも、舞、貴宏は?あきらめきれないんじゃなかったの?もう気持ちはないの?」
途端に、舞は苦しそうな顔をした。
「ううん、まだ貴宏の事考えると、胸が苦しくなる。でも、それはどうしようもないことだもの」
彼はわたしとは、どうしても相容れない。
前を向きたい、と舞は言った。
舞の必死な目に、綺羅は息を吐いた。
静香の事は確かに好きだ。愛していると言ってもいい。たぶんこれからずっと、静香を見続けて行くだろう。
「あのね、舞」
この気持ちをどう言ったら、いいだろう。
「僕は確かに静香が好きだよ。でもね、だからどうにかなりたいわけじゃない。むしろ、触れたくないんだ」
綺羅は昔から、本当に大切なモノには触れられなかった。大事なものは、触らずに、そっと眺めているのが幸せだった。
触れたら汚れてしまうから、綺麗なままでずっと見ていたい。
「人でそう思ったのは、初めてだけどね。だから、初恋なのかもしれない」
綺麗な静香は触れずに、ずっと見ていたい。彼女の人生を、喜びも、苦しみも、迷いも、そしてそのたどり着く先も。
「どうでもいい人とは、寝れるんだけどね」
先日も貴宏とやったし、と口を滑らせ、舞が目を白黒させるのを見て笑うと、ひどく澄んだ目で遠くを見た。
「静香だけは触れられない」
静香が舞との恋愛に苦しんでいる様を見ていても、綺羅は幸せだった。少し困らせてやろうと思って、拓や貴宏でかき回したりもした。
「僕は静香に幸せになってほしいわけじゃない。静香を見ていたいだけだよ」
それから、いたずらを発見した子どものような顔をして、ニヤリと笑った。
「だから、静香にちょっかいを出すためだけに、舞を襲っちゃうかもよ」
今度は、舞も固まったりしなかった。少し笑って、ため息をついた。
「つまり綺羅は、マゾで変態で臆病者なんだね」
そりゃあ、静香は渡せない。
すっきりした顔で手を振って去っていく舞を見送ってから、綺羅は教室を出た。
我知らず、ため息が出る。
確かに舞に言ったことは真実だが、好きな人に触れないという業が、幸が不幸かと問われれば、不幸だと思う。不運と言ってもいい。虚しいという思いは、拭えないだろう。
「馬鹿じゃん?」
ドアを出て、曲がろうとしたところで、声が振ってきて、綺羅は驚いた。
拓と貴宏が立っていた。
「盗み聞きしてた」
拓がしれっと言う。
「最低」
綺羅が言い捨てると、拓は肩をすくめた。
「触れるかもしれないじゃん。触ってみればいいのに」
デリケートなところに触れられて、綺羅はカチンときた。
「拓ちゃんの頭は、ほんとお花畑だね」
言われても、拓はどこ吹く風。舞の去って行った方を見て、うっとりしている。
「舞ちゃん、大人っぽくなったよな?」
なんなの?
目顔で貴宏に問いかけると、貴宏は笑って肩をすくめた。
「だいたい、二人はいつ仲直りしたのよ」
八つ当たり気味にそう訊くと、拓が頭を掻いて答えた。
「なんとなく。貴、俺の事好きなんだって」
知ってた?と、反対に尋ねる拓に、綺羅は目を見張る。
「知ってた」
唖然として、オウム返しに綺羅が答えると、拓は「やっぱりか」と腕を組んだ。
「みんな、知ってたんだよな」
綺羅はまだ驚いたまま、貴宏を見る。貴宏は困ったように笑っている。
「それで、二人は付き合ってるの?」
気を取り直して、そう訊くと、拓はとんでもないと手を振った。
「まさか。俺、まだ舞ちゃんの事好きだし」
「……あ、そう」
恐る恐る貴宏を見る。
しかし、もうあのあきらめたような目ではなかった。吹っ切れたような、清々しい顔。
「拓ちゃん。結構、残酷な事してるって、分かってる?」
訊くと、拓は神妙な顔で頷いた。
「分かってるけど、仕方ないじゃん。俺は舞ちゃんが好き。でも親友を失くしたくはない」
「……舞は静香が持って行っちゃったけど……」
「うるさい!」
拓は吠え、「俺はあきらめない!」と拳を突き上げた。
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