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どうしよう。
今日の舞はとても自信が持てそうにない。
ああ言って、大見えを切ったものの、実際教えるとなると、ちゃんとできるだろうか。そもそもうまく焼けるだろうか。
何と言っても、貴宏が家に来るのだ。
もちろん一人ではない。拓と一緒に来る。
学祭まであまり時間がない中、五人の都合が合う日はなかった。それでも、舞が一人で焼くわけにはいかない。結局最大で集まれるのが、三人だった。
一人暮らしをしている舞の部屋で、お好み焼きを焼く練習をするのだ。
拓が真っ先に「行ける」と言って、渋い顔をした静香も、貴宏も行くと聞いて、渋々ながら「許可」した。協力のつもりかもしれない。
静香はその日は撮影で、どうしても行けないと残念がっていた。
綺羅は「僕は売り子にまわるよ」とやんわり断ってきた。綺羅は人の家に行くのも、自分の家に人を入れるのも好まないのだ。
いかにも今片付けました、と思われるのも嫌だが、もちろんだらしないと思われるのも嫌だ。小癪にも、舞は普段もこのくらいは片付いていますという塩梅に、部屋を整えることに苦心した。
愛莉の冷笑が聞こえてきそうだ。
そんなことをチラリと思いながら、ソワソワとチャイムを待つ。なんだかもう一度トイレに行きたくなってきた。でも、今行ったら、チャイムが鳴りそう。
ピーンポーン
待ち構えていたはずなのに、舞は飛び上がった。
ドアの覗き穴から覗くと、貴宏と拓が立っていた。一瞬確認しただけで、舞は慌てて鍵を開ける。
拓はなぜか、直立不動で待っていた。
後ろで貴宏が、興味深そうにマンションのドアを眺めていた。
顔を出した舞に、貴宏が持っていたスーパーの袋を持ち上げた。材料は二人が調達してくれる手筈になっていたのだ。
「ああ、ありがとう」
舞が笑顔で礼を言うと、拓も慌てて持っていた紙袋を持ち上げた。ホットプレートだ。
一人暮らしの舞の部屋には、ホットプレートはない。
貴宏と拓は地元っ子の実家住まいだ。家にあるという拓が、持って来てくれたのだ。
「ごめんね、重かったでしょう?」
舞が破れそうな紙袋を見ながら労うと、拓は肩をすくめた。
「大丈夫、貴の車で来たから」
「入って、入って」
とりあえず、舞は道をあけ、二人を部屋に通す。
貴宏はやはり興味深そうに、キョロキョロしながら入ってきた。拓はなぜか申し訳なさそうに、身体を縮めて入ってきた。あまりに部屋をジロジロと見ている貴宏を見かねて、拓が小声で貴宏をつついた。
「おい、あまり見るな」
しかし、しっかり舞の耳にも聞こえた。
舞が聞こえていない振りをしていると、貴宏は「ああ」と今さら気が付いたというように、「悪い」と悪びれていない顔で謝った。
「俺、実家暮らしだからさ、一人暮らしの部屋が興味深くってさ」
断りを入れたからいいだろう、とばかりに、しげしげとまた観察を始めたので、舞は慌てて二人を、キッチンまで引っ張っていった。
「お好み焼きを焼きに来たんでしょう。とりあえず、キャベツ切らなきゃ」
顔も見ずに言うと、拓の戸惑ったような「おう」という返事が聞こえてきた。
一人暮らし用のワンルームのキッチンなど、キッチンとは名ばかりの、一口コンロとシンクがあるだけのシロモノだ。作業スペースなど、普通サイズのまな板も置けないくらいだ。
拓がスーパーの袋の中から、キャベツを取り出した。舞が出してきた小ぶりのまな板の上で、ザクッと半分に切ると、蛇口をひねり、洗い始めた。なかなか手際がよい。居酒屋の厨房でバイトをしているだけのことはある。
狭いキッチンは二人も並べば、いっぱいだ。貴宏は所在無げに、二人の後ろから見守っていた。
「貴、もやしも洗うから、出して」
拓が言うと、背後でゴソゴソと袋の中を探る音が聞こえてきた。
舞は早速キャベツを千切りにしながら、背後の音に全神経を向けていた。
やがて「あった」と小さな声が聞こえ、舞は思わず振り返った。袋から顔を上げた貴宏と、バチッと目が合ってしまった。
貴宏は手にしたもやしの袋を少し掲げ、舞に目顔を向ける。無言で頷いた舞は、何か秘密を共有した気分になって、胸が高鳴った。
「舞ちゃん!危ないよ!」
手元がおろそかになった舞に、拓の慌てた声が咎めた。
途端に、貴宏の顔がクシャッと笑顔で歪んだ。舞とのいたずらがバレたとでもいうような、あけすけな笑顔。不用意で、不謹慎な笑顔。
心臓が大きく跳ね、舞は前を向いた。
やっぱり好きだ。
キャベツの千切りに集中しながら、舞の頭は貴宏に埋め尽くされていった。
一瞬の衝撃的な表情だけで、人の心はこんなにも簡単に転がり落ちて行く。
どこが好きなんだろうとか、本当に恋愛感情だろうか、ということを一瞬で飛び越えてしまった。
たった一瞬の笑顔で。
わたしはこの人が好きだ。
もう、振り向けなかった。
「舞ちゃん、貴宏にも千切りさせてやって。こいつ下手くそだから、練習させないと」
拓の呑気な声を聞きながら、舞は叫び出したくなるのを必死でこらえた。
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