1 ハッカ

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 どうしよう。  今日の舞はとても自信が持てそうにない。  ああ言って、大見えを切ったものの、実際教えるとなると、ちゃんとできるだろうか。そもそもうまく焼けるだろうか。  何と言っても、貴宏が家に来るのだ。  もちろん一人ではない。拓と一緒に来る。  学祭まであまり時間がない中、五人の都合が合う日はなかった。それでも、舞が一人で焼くわけにはいかない。結局最大で集まれるのが、三人だった。  一人暮らしをしている舞の部屋で、お好み焼きを焼く練習をするのだ。  拓が真っ先に「行ける」と言って、渋い顔をした静香も、貴宏も行くと聞いて、渋々ながら「許可」した。協力のつもりかもしれない。  静香はその日は撮影で、どうしても行けないと残念がっていた。  綺羅は「僕は売り子にまわるよ」とやんわり断ってきた。綺羅は人の家に行くのも、自分の家に人を入れるのも好まないのだ。  いかにも今片付けました、と思われるのも嫌だが、もちろんだらしないと思われるのも嫌だ。小癪(こしゃく)にも、舞は普段もこのくらいは片付いていますという塩梅に、部屋を整えることに苦心した。  愛莉の冷笑が聞こえてきそうだ。  そんなことをチラリと思いながら、ソワソワとチャイムを待つ。なんだかもう一度トイレに行きたくなってきた。でも、今行ったら、チャイムが鳴りそう。  ピーンポーン  待ち構えていたはずなのに、舞は飛び上がった。  ドアの覗き穴から覗くと、貴宏と拓が立っていた。一瞬確認しただけで、舞は慌てて鍵を開ける。  拓はなぜか、直立不動で待っていた。  後ろで貴宏が、興味深そうにマンションのドアを眺めていた。  顔を出した舞に、貴宏が持っていたスーパーの袋を持ち上げた。材料は二人が調達してくれる手筈になっていたのだ。 「ああ、ありがとう」  舞が笑顔で礼を言うと、拓も慌てて持っていた紙袋を持ち上げた。ホットプレートだ。  一人暮らしの舞の部屋には、ホットプレートはない。  貴宏と拓は地元っ子の実家住まいだ。家にあるという拓が、持って来てくれたのだ。 「ごめんね、重かったでしょう?」  舞が破れそうな紙袋を見ながら労うと、拓は肩をすくめた。 「大丈夫、(たか)の車で来たから」 「入って、入って」  とりあえず、舞は道をあけ、二人を部屋に通す。  貴宏はやはり興味深そうに、キョロキョロしながら入ってきた。拓はなぜか申し訳なさそうに、身体を縮めて入ってきた。あまりに部屋をジロジロと見ている貴宏を見かねて、拓が小声で貴宏をつついた。 「おい、あまり見るな」  しかし、しっかり舞の耳にも聞こえた。  舞が聞こえていない振りをしていると、貴宏は「ああ」と今さら気が付いたというように、「悪い」と悪びれていない顔で謝った。 「俺、実家暮らしだからさ、一人暮らしの部屋が興味深くってさ」  断りを入れたからいいだろう、とばかりに、しげしげとまた観察を始めたので、舞は慌てて二人を、キッチンまで引っ張っていった。 「お好み焼きを焼きに来たんでしょう。とりあえず、キャベツ切らなきゃ」  顔も見ずに言うと、拓の戸惑ったような「おう」という返事が聞こえてきた。  一人暮らし用のワンルームのキッチンなど、キッチンとは名ばかりの、一口コンロとシンクがあるだけのシロモノだ。作業スペースなど、普通サイズのまな板も置けないくらいだ。  拓がスーパーの袋の中から、キャベツを取り出した。舞が出してきた小ぶりのまな板の上で、ザクッと半分に切ると、蛇口をひねり、洗い始めた。なかなか手際がよい。居酒屋の厨房でバイトをしているだけのことはある。  狭いキッチンは二人も並べば、いっぱいだ。貴宏は所在無げに、二人の後ろから見守っていた。 「貴、もやしも洗うから、出して」  拓が言うと、背後でゴソゴソと袋の中を探る音が聞こえてきた。  舞は早速キャベツを千切りにしながら、背後の音に全神経を向けていた。  やがて「あった」と小さな声が聞こえ、舞は思わず振り返った。袋から顔を上げた貴宏と、バチッと目が合ってしまった。  貴宏は手にしたもやしの袋を少し掲げ、舞に目顔を向ける。無言で頷いた舞は、何か秘密を共有した気分になって、胸が高鳴った。 「舞ちゃん!危ないよ!」  手元がおろそかになった舞に、拓の慌てた声が咎めた。  途端に、貴宏の顔がクシャッと笑顔で歪んだ。舞とのいたずらがバレたとでもいうような、あけすけな笑顔。不用意で、不謹慎な笑顔。  心臓が大きく跳ね、舞は前を向いた。  やっぱり好きだ。  キャベツの千切りに集中しながら、舞の頭は貴宏に埋め尽くされていった。  一瞬の衝撃的な表情だけで、人の心はこんなにも簡単に転がり落ちて行く。  どこが好きなんだろうとか、本当に恋愛感情だろうか、ということを一瞬で飛び越えてしまった。  たった一瞬の笑顔で。  わたしはこの人が好きだ。  もう、振り向けなかった。 「舞ちゃん、貴宏にも千切りさせてやって。こいつ下手くそだから、練習させないと」  拓の呑気な声を聞きながら、舞は叫び出したくなるのを必死でこらえた。
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