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第4話 広島菜
広島菜
前に来たのは熱い夏の日だった。
冬には広島菜が美味しいからとあの時言ってたな。
風の凪いだあの夜に君を抱いたのが最後だった。
手の中を滑り落ちた恋の結末。
袋を開けたらその日のうちに食べないと
青さが売りの漬物で熱々の白飯を、
くるりと巻くんよと微笑んだ君の唇。
君がいなけりゃなにを食べても同じなんだけど。
「 届いたよ、
いつもの広島菜 」
「 え?注文してくれたの? 」
「 うん、だって正月前にはいつも頼むだろ? 」
「 あぁ、そうだな…… 」
「 新潟から新米も届いてるから今晩は白い飯でさぁ。
だから、
風呂入ってこいよ 」
「 ありがとう、じゃあ 」
「 あ、そうだ。
手紙来てたよ
珍しいな今どき封書って 」
「 そう。わかった……後で見とくよ 」
「 うん、恭介の机の上に置いたから 」
会話もあまり弾まないままで、俺は浴室に向かった。
掃除されてきちんとシャンプーやリンスの用意された浴室。
面倒見の良い同居人。
こんな不自由ない生活があれからもう五年も続いてる。
人には寂しがり屋だと言われている俺は、あの日愛した男と別れてからすぐにこいつと知り合った……
焦らされて蒸れるような夏の後、
迸る若い欲情の勢いで半ば雪崩れ込むようにまじ合った仲は、
同居までには半年もかからなかった。
好きなことを優先ばかりして決まった仕事もないが面倒みの良い美明(よしあき)と、
ものぐさなそれでも稼ぎは人の倍ある俺との生活は、
多分、美明の気遣いのおかげで、波風も立たない。
それに不満はない。
ないけど……
何か、きっかけがあったら脆く欠けると俺は…………
風呂に浸かり、両手の掌で湯を掬うと俺はそのお湯を顔にかける。
同時に思わず伏せた水面に映る自分の顔に、
何故だか昔の思い出が重なった。
穏やかな愛より、焼けるような短い恋を
求めてはいけないのか?
今更と思いながらも、
冬のあの日の名残を遺すあの漬物の味が忘れられない。
初めて知った身を焦がすような恋と、
初めて味わったあったかい夕飯と。
いつもよりすこし長めになった風呂を出て、
食卓の用意をする美明の視線から逃れるように入った自室。
髪を乾かしながらふっと机の上を見ると、
陰りもなく真っ白な封筒が置いてあった。
離れた位置からも見えたその封筒の宛名書。
なぜ……?
何故今なんだ。
こんな気持ちになってる俺に何故、今、お前から手紙が来るんだ。
何年も、
穏やかな愛に包まれて、
なんの疑問も後悔もない時には、
なんの便りもよこさなかったのに。
なんで今……
俺の宛名が書かれた手紙を手に取ることもなく自室を出て、
食卓の前に座る。
「 あっつあつで、先ずは広島菜 だよな 」
俺よりもその漬物がずっと好きになったらしい美明は真っ先に青々とした広島菜 を箸に摘むと、
早速熱いご飯を器用に巻いて。
佳津……
その器用な箸先に、
俺は昔の恋人の名前をかみしめた。
何日か経った週末の金曜の夜。
俺は美明に出張だと嘘をついて品川から新幹線に乗った。
週末から出張なんて、
五年も一緒に暮らしてて、
そんなわけがあるわけもないことなのに、
美明は俺を笑って送り出す。
「 そっか、大変だな。
帰り、お土産な! 」
何処に行くとも言ってないのに、俺もわかったとまた、嘘を重ねた。
あの封筒を持って、
未だ読んでいないあの手紙を持って、
俺は何のために広島に行くのだろう?
ふっと気がつくともう列車は名古屋駅に着くところだ。
小腹が減っているのに気がついて、ホームで買った弁当の包みを開ける。
すっかり冷たくなったタワラ型の白飯。
それを口に入れて、
あ、この間の、
違って……
と気づいた俺は弁当の蓋を閉じて、
ちょうど着いた名古屋駅のホームに降りた。
何で気がつかなかった?
俺は急いで美明に電話をかけた。
だが、
何回か掛け直しても電話は通じない。
上りのホームに駆け込んでおそらくこれが最終だろうと来た東京行きの新幹線に俺は飛び乗った。
家に帰る私鉄は最終電車の時間も過ぎて、
乗り換え駅から深夜バスで自宅のそばの駅まで辿り着く。
バスの中からも美明には連絡がつかなかった。
すっかり寝静まった路地から三階の俺たちの部屋を見上げると、
真っ暗な部屋、その前のバルコニーに人影が見える。
家に居たんだ
ふっと安堵しながら共用の階段を静かに登る。
暗闇の中で、僅かに見えたのは美明が手に持ったスマホの明かりだろうか。
靴を脱ぎ、コートを椅子の背にかけても美明からはなんの迎えの言葉もない。
俺は腹に一つの決意を抱えてバルコニーへのサッシの前に歩み寄る。
電灯はつけなかった。つければ闇の中の真実が遠くに逃げてしまうような気がしたから。
サッシを引くと、
背を向けたままの美明から静かな声が
師走の冷えた空気を遮った。
「 今年、違う店から取った 」
「 うん、気がついたよ、
味が違ってたから 」
「 最初出した時、
気がつかなかったから…… 」
「 ごめん、さっき、わかった。
今までと違う味だったって 」
「 遅いよね……今頃気がついて
鈍いよね……
だから気づかせてあげようと、、
思ったのに 」
うなじから肩に流れるストレートな髪が揺らぎ、
美明が深く俯く。
「 あの、手紙も?お前なのか? 」
「 違う……
あれは本当にポストに届いたやつ 」
「 そうか、 」
「何で行かなかった?
何で、帰ってきたの? 」
「 あの手紙は、
読んでない 」
え?と言いながら美明はやっと俺の方を振り向いた。
「 俺ね、
毎年恭介の名前で広島菜 は注文してた。
今年は違う店に注文した。
俺の名前で。
それで、前の店には手紙を書いた。
去年までのお礼と今年はもう店を変えますって書いて 」
「何で、
何でそんな事を? 」
「 未練がさ、
知ってたんだよ、俺 。
恭介はあの人にまだ気持ちがあるんだって 」
「 …… 」
「 だから、手紙を書いた。
店って言ったけど、違う、
あの人宛に。
忘れてくださいって
恭介をもう忘れてって 。
そうしたら、あの人から手紙が来た。
恭介にね、
だから俺は、もう、恭介が自分で決めればいいって
そう、思った。
手紙を読んで、恭介が決めればいいって……
なのに恭介ったら、広島菜 の味が変わったのもわからないくらい、
手紙に動揺してただろ?
俺、もう…… 」
俺の前でまた俯いた美明のうなじは痛々しいほど細くて真っ白で、
痩せたな
と気がついた俺は抱き寄せる手をもう躊躇することはなかった。
こんな思いをさせてたのか……
諦めきれない、情けない俺の代わりにこいつはそれを全部受け止めて、
五年間も、
心の奥底に溜めていたんだ。
でも、なんで五年目の今年に?
あぁ、そうか。そうなのか……
一緒に住むことになった時に言った言葉を。
「 五年経ってまだ一緒にいたいって思ったら、
俺、恭介の籍に入ってもいいよ 」
親もいない親戚も疎遠、愛した人とも別れ一人になった俺の心に家族になるという淡い灯火を置いた言葉。
なんで忘れていたんだろうな……
俺は忘れていてごめんという気持ちよりも強く強く美明を抱きしめた。
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前回のマグロ漬け丼に頂きましたミニコメに愛を込めて、、、
俺の“鮪”にお前の“自然薯”かけて…って妄想が(笑)
⇨
うちの冷蔵庫の中の長芋が泣いているw
ハヨ、鮪買ってこいw
(自然薯のようには粘りがなくて残念)
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