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1)
司祭のジュリアンは庭の手入れに熱心な人である。
教会の裏にある広大な薔薇園で、昨日も今日も、いや、彼はこの教区に赴任してからずっと、庭仕事に精を出しているのだ。
かと言って、教会の仕事を疎かにしているわけではないから、誰もそのことについて文句は言わない。
それに、彼が来てからというもの、薔薇の花は生き生きとして、馥郁たる香りを放ち、前任者の頃とは見違えるほど美しい庭になっているのだ。
ジュリアンの勤務する、トリニティ分派の教会はシカゴ某地区にある。ここは、30年ほど前はシックカーゴ(病んだお荷物)と揶揄されたほど、荒んでいる地区だった。
誘拐されたか単に家出したのか、10代の少年が次々といなくなってしまう、という大事件があったところである。
その事件は解決したのか、少年たちは無事だったのか、昔からの住人に尋ねてみても、はっきりした返事は帰ってこない。皆、日々の暮らしに精一杯で、自分に関係ない出来事は忘却の彼方なのだ。
去る者は日日に疎し。
消えた人間のことは海馬の片隅に残っていても、毎日誰かがお題目のように、その名を唱えてくれないと忘れてしまうものだ。血の繋がりがあろうとなかろうと関係ない。
およそ人生における重大事は、今日一日平穏無事に過ごせるか、三食きちんとありつけるか、それだけなのだ。
それは物心つく前の子供だろうと、プレップスクールに通っている将来有望な学生だろうと、明日お呼びがあるような死刑囚だろうと。自分の人生以外は全て大した問題ではない。
ところが、過去の事件はとっくに風化していたはずなのに、最近、住人たちの心が再びざわつくような事件が、この地区では起きていた。
それは、立て続けに何人かの人が失踪するという事件。
しかも、今回の行方不明者は、町に昔から住む有力者や名士といったお年寄りたちだ。長年、地域を牛耳って来て、自分たちに都合のいい法解釈で、ひと財産築いて来たような人たちだから(そのこと自体は悪いことじゃない。ズルいだけだ)、生活に困って自発的に失踪した、というわけでもなさそうだ。
そんな町だが、ジュリアンが2年前に赴任してきてからというもの、地区のご婦人方は急に身なりを整え始め、礼拝やバザーといった類の活動は、以前より活発になっていた。
ご婦人方だけではない。殿方たちも、昨夜の酒が抜けきらないままのひどい匂いを放ちながらも、日曜礼拝は欠かさないようになったのだ。
それは、ひとえにジュリアンのおかげである。
彼の美しい容姿、優しいふるまい。押し付けがましくなく、わかりやすいお説教。全てが魅力的で、教区の人々の心を捉えていた。
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