春が来る、花が舞う

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 その街は、近代的な建築物も少なく、何処かノスタルジックな姿を残していた。街の中心には国宝に指定された城がそびえている。その城は、中に入れる国宝という事で有名だった。  その城の堀に値する川沿いには、まるでそこだけ時が進んでいないかのように大正情緒溢れる店が並んでいる。その中には、小さいながらも存在感を見せ付けている瓦屋根の映画館まで有る。  その川沿いを少し抜けると、丸い屋根の税務署が有り、市電が走る橋に出れる。市電は今日も大勢の客を乗せて、橋を渡り城の前の停留所で人々を下す。  今、一人の少女が安全地帯に入り市電がやって来るのを待っていた。袴姿にブーツのおかっぱのその少女は、決して目立つような美人では無いが、素朴な印象を与える出で立ちだった。その背中には、一本の日本刀が鞘に収められてぶら下がっていた。  やがて目的の路面電車が来たのか、少女は足元に置いていた革製の鞄を手にした。市電の行き先は大学病院前。少女は短い黒髪を艶めかせて定期券を見せていた。今彼女が乗り込んだ市電は先程見た物よりも空いている。それでも座席は全て埋まっていた。  少女は一両しかないその車両の真ん中辺りに立った。この市電は、進行方向前のドアが入り口で後方が出口となっている。乗り込んだ客は後方に流れる事で乗り降りの秩序を保っていた。  少女が外を見ると、街の様子が見えて来た。この電車は城の周りをぐるりと周って北へと向かう。城を囲うのは寂れた茶屋やレンガ造りの小学校に裁判所まで有った。天守閣を後ろに市電は坂を上り出した。途中市電は小刻みに停留所に停まり、客を吐き出し飲み込み、また進んだ。  そして少女の目的の駅に着いた。少女は軽やかに電車を降りた。結構登った事が良く分かった。市電にそのまま乗れば、大学病院に連れて行ってくれる。しかし少女の目的はそこでは無かったようだ。  少女は停留所を離れて歩き出した。ブーツが軽やかな音を鳴らす。ふと、道端のガス灯の下を見ると白い物が積まれていた。雪だ。まだ雪が残っているのだ。少女はそれを当たり前のように見やると、そのまま進路を変えなかった。  少し歩くと、開けた台地に出た。そこから城を見ると、その土地の高さが分かった。恐らくここ等辺で一番の高さを誇るだろう。  少女が歩む道を、セーラー服姿の学生が自転車に乗りながら先に進んで行った。しかしその速度は、坂道な事も有ってか速いとは言えなかった。そのセーラー服の少女の口からは白い息が漏れていた。  袴にブーツの彼女はその自転車を少し憐れに見ながら歩みを進めた。  目的地は直ぐに分かった。まるでそこに穴が空いているかのうようにセーラー服や学ランや袴姿の学生達が吸い込まれて行った。市立深司高等学校。木造三階建ての校舎の屋根は蒲鉾状で、雪を自然に落とすような作りになっていた。その正門には、トンボの姿をモチーフにした校章が埋め込まれていた。松元の高校の中では一番古い物の一つだ。少女はそこに向かっていた。 「鸞羽(らんう)、おはよう」  鸞羽と声を掛けられた彼女は、おかっぱ頭をそちらへ向けると微笑んだ。 「おはよう」  鸞羽は校門を潜ると、校舎に向かわずに裏の方へと出た。体育館を突っ切ると、その先に小さな長屋を改造したような道場に出た。弓道場や柔道の為の畳部屋が一直線に並んでいる。しかしそれ等には人の気配は無かった。ブーツを脱いだ鸞羽は誰もいないそこを横切ると最も奥の扉を開いた。  ガラガラと音を立てて少し建付けの悪い引き戸が開いた。 「鸞羽、遅いわよ」  鸞羽が入るなり上品な声が彼女を責めた。鸞羽より少し背が高い少女がそこに立っていた。袴でもセーラー服でも無く若葉色の小袖を着ている。黒髪は艶やかで長く、鸞羽は何処か良い匂いがするような感じがした。 「文音(ふみね)が早過ぎるのよ」鸞羽は何処か拗ねたような口調で返した。  萌子文音(もえこふみね)は鸞羽の同級生だ。まるで日本画から抜け出たような真っ白い肌に少し冷たいイメージを持ってしまう切れ長の目が印象的だ。鸞羽とはそのタイプは全く異なるだろう。
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