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「ねぇねぇさーこ、可愛いって食べれるの?」
ナツの言うことにはだいたい情報が足りない。
放課後。荷物をまとめて立ち上がり、一緒に帰ろうとして後ろのナツに声をかけたら、ナツが座ったまま聞いてきた。
「……作れるとは思うけど」
CMか何かで聞いたことのあるフレーズ。最近は鬼のような化粧技術とかに対して言われることもあるやつ。
「可愛いっておいしいの?」
食べられることはもう前提で話を進めるつもりらしい。
「可愛いお菓子はおいしいよね」
私の返答もだいぶ雑だ。今日は気分が乗らない。
「何か今日テキトーじゃない? さーこ疲れてる?」
バレた。ナツは意外とこういうのに敏感だ。意外と。
「うん、ちょっとね」
実際、ここ数日嫌なことが続けざまに起こってストレスが溜まっている。親と喧嘩したり、英語のテストで不定詞のtoを入れ忘れまくって大減点されたり、昨日なんて土砂降りの中で盛大に転んだ。
転んだときにぶつけた腰が今もまだ痛む。痛いところをさすっていると、ナツがそれに気づいたらしい。
「あ、もしかして……」
「うん、違う」
そういう日なわけではない。誰かナツにデリカシーを教えろ。
「疲れてるときは甘いものだよ! クレープ食べに行こ! いぇーい!」
掛け声とともに立ち上がるナツ。自分で言っておいてクレープでテンションが上がったらしい。
「ナツが食べたいだけでしょ」
「そうとも言う!」
えへへーと笑いながら、ナツが先に教室を出る。私は後からついていく。
ナツ、最初の質問を忘れてるんじゃないだろうか。
「で、可愛いって食べれるの?」
忘れてなかった。
学校から駅までの道を、ナツと並んで歩いていく。この時間からもうほんのりと空が赤らみ始めているのが、秋の深まりを感じさせる。
「それさ、どういう質問なの?」
はっきり言って意味が分からないので、質問の意図を探りにかかる。いったいどうしたら「可愛い」と「食べる」がつながるというのか。
「何か、『食べちゃいたいくらい可愛い』って言われたんだよね」
「おいそれ誰に言われた」
そういう話かよ。
小柄で顔が整っていて出るとこ出ているナツがやたらとモテるのは知っているが、そんなちょっと古臭くてキモいフレーズをアプローチに使う男が校内にいるとは思えない。そうなると、わざわざナツにそんなアホなことを言うような奴は、
「昨日駅前で声かけてきたおじさん」
ナンパしてくる学外の他人しかいない。
「え、ナツ、何もされてない? 大丈夫だった?」
ぽやぽやしているところしかないナツだから、そんな話を聞かされると思わず心配になる。
「『おじさんと何か食べに行かない?』って言われた」
「……行ったの?」
思わずちょっと小声になるが、ナツはあっけらかんと続ける。
「『時間ないからお金だけちょうだい』って言ったら千円くれた」
「おじさんは?」
「どっか行っちゃった」
何それ。
「だから今日はおじさんの千円でクレープ奢ってあげる!」
「いやいやいやいや」
知らないおじさんから巻き上げたお金でクレープを食べるのは何か嫌だ。
ていうかナツ、ナンパしてきたおじさんから安全にお金だけもぎ取るって地味にスゴくないか。どうしたらそんなことができるんだ。
「食えない奴だなぁ……」
「あれ? さーこクレープ食べれないっけ?」
「全然その話じゃない」
そんな謎の高等技術を何も考えずにやっていそうなところがいちばん食えない。
「あ、クレープ屋さんいたよ!」
ナツの指差す先、駅前の広場には移動販売車が止まっていて、ちょっとだけ列ができていた。
「結局、可愛いって食べれるの?」
まだするのかその話。
二人でクレープを買ってから、適当に座れる場所を見つけて食べている。私はキャラメル、ナツは抹茶あずき。ちなみに、私は自分のお金で買った。
「んー……」
食べちゃいたいくらい可愛い、という表現について言うなら、それは何というかこう、えー、話すには時間が早い気がする。
「クレープおいしいね」
誤魔化すことにした。
「そっちちょっとちょうだい!」
誤魔化されてくれた。
「はいよ」
顔を近づけるナツの口元に、私のクレープを寄せる。ナツはそれをぱくっと一口食べてから、自分のクレープを差し出してきた。
「ん!」
私も少しだけもらう。キャラメル味が残る口の中で、あずきの粒が潰れていく。抹茶クリームの部分は外したっぽい。
「おいしい?」
「うん。そっちは?」
「おいしい!」
頭一つ分下から私を見上げて、ナツはにへらと笑う。ショートの茶髪がふわりと揺れた。
「てことは、このクレープは可愛いのかな?」
「……ん?」
どうしてそうなった。
「可愛いはおいしいから、おいしいものは可愛いよね?」
「まず前提が違うね」
まだその一歩手前の話も終わってないのに。私が止めてるんだけど。
「あれ? 可愛いって食べれるんだっけ」
やべ、思い出しやがった。
「だから、可愛いお菓子なら食べられるし、おいしいよ」
ズラしてみた。
「……」
ナツが急に黙って、クレープをじっと見つめ出す。
「どうしたの急に黙って」
「……このクレープ、別に可愛くないなぁって」
食べかけのクレープに可愛さを感じられるんだとしたらいよいよ感性がヤバいと思う。
でもズラされてくれた。よかった。
「そっちのクレープは可愛いかな?」
「いや、そもそもクレープは可愛くないから」
並べるな並べるな。私のなんかほとんど残ってないし。
「あっはは」
「何ウケてんの」
こちらを見て急に笑い出すから何かと思ったのだが。
「やー、いつものさーこに戻ったなーって」
その優しい微笑みを見て、私は自分の勘違いに気づかされる。
『疲れてるときは甘いものだよ!』
ナツが食べたいだけではなかったらしい。いや、ナツがクレープを食べたかったことにはたぶん間違いなくて、そうやって何気なくやることが結果的に私への気遣いになっているだけ。
「はぁーあ……」
そういうところが、本当にズルい。
急にじっとしていられなくなり、クレープの最後の一口を詰め込み、立ち上がろうとして思い出す、腰の痛み。ナツとクレープを食べているうちに、いつの間にか忘れていた。
「ナツ」
「ん?」
口の中のクレープをしっかり飲み込んでから、言う。
「今度ちゃんとしたお店にクレープ食べに行こう。奢るから」
「え、いいの?!」
「うん、食べちゃいたいくらい可愛いクレープ食べよう」
「やったー! 楽しみにしてるね!」
ナツに声をかけたという知らないおじさんの気持ちも、まあ分かる。でもそのおじさんには、ナツにお金だけ渡して退散する以外の選択肢はきっとなかったに違いない。
「さーこ大好きー!」
「はいはい、それ食べて早く帰ろ。もう暗いし」
何せナツは、食べちゃいたいくらい食えない奴なのだから。
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