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ひっそりと暗い通路を歩いてくる人間の質感を、アンドロイドのセンサーが捕捉した。あきらかに若い女の軽い足音だった。
女は辺境星域救助クルー用の淡い黄色を基調としたスーツを着用していた。首から肩、胸元にかけて装着されたショール型代謝機能AIのLEDが銀色に明滅している。それは過酷な環境下でも生き長らえるための、いわば生命維持装置だった。
アンドロイドは、女がこんな場所を歩いている理由と正体を瞬時に導きだした。
<こんにちは、ミス火星>
男性の声に近い中音で語りかけた。
女は俯きかげんの頭をあげた。愛らしい顔立ち、つややかなミルクティ色の髪。ミルクティ色の頭髪がそのまま<ミス火星>の象徴として太陽系界に知れ渡っていたが、親し気にニックネームで呼んでいいものかどうか、アンドロイドは逡巡していた。
<ご協力感謝します、ミス火星>
アンドロイドは言葉をえらんだ。最高峰の栄誉に輝く美の女王には忖度しなければならない。アンドロイドの人格対応グラデーションが機能していた。
<あなたのような方がエンケラドスへ救助へ向かわなくてもよろしいのでは?>
膨大な賞金獲得と華麗な将来を約束されたミス女王がリスクを冒す意味が理解できなかったのだ。アンドロイドにとって、宇宙船乗りが未知の星域を探査する危険性を認識することはできても、経験値の浅い生身の女性が遭難船の救助に向かうなど—しかも行き先が熱水衛星エンケラドスとは—自殺行為と同義語だった。
「撮影のためよ。これもビジネスなの」女はあっさりと答えた。「タレントが無謀な冒険をして視聴者に共感してもらうのは、今も昔も変わらないのよ」
これでもか、これでもかといった虐待シーンを演出し、ラストは無事に任務を全うして感動を与える。それが有名タレントの宿命なのだ。現在はその舞台が遠い宇宙に広がったにすぎない。
<そうでしたか。それは失礼しました。成功をお祈りいたします>
アンドロイドはそれ以上の詮索はしなかった。
遠隔モニタが撮影用機材を積んだコンテナ群を感知したからだ。
人工知能搭載のヒト型サイボーグが五体、ショール型代謝機能AIを装着した人間の男女の三名ずつが急接近している。
撮影クルーの情報をデータベースと照合しなければならない。それがアンドロイドの仕事だ。
<こんにちは、太陽系放送ネットワークの皆さま・・・>
ミルクティ色のつややかな髪をした女は、搭乗ゲートを入るところだった。
しかし、そのゲートは撮影用に用意された搭乗ゲートではなかった。
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