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 彦三郎が再び俺の手を取った。思わずかたまると「もう食いやしねえよ」とだけ言った。  手に持っているのは手拭で、それを器用に俺の手に巻き付けた。 「あとで病院とやらに、ちゃんと行けよ」 「そんなことより彦三郎は大丈夫か?ここから出られそうか?」  俺は聞きながらスマートフォンを取り出す。  思ったより時間は経っていなかった。  避難をしなければならない。  その時だった。スマートフォンが丁度着信音をあげた。  父の名前だった。  思わず出ると「晴泰!?ああやっとつながった。お前今どこにいるんだ!?」と悲痛な叫び声の様な声で聞こえた。 「今家で、これから避難するとこだけど」  ザーザーと、父との通話は雑音が入ってしまっている。  とぎれとぎれにしか聞えないが、叫ぶように父が何かを言っているのだけは分かる。 「座敷童様は……、諦めろ。 別の…………。とにかく、晴泰だけでも……」  それは親として、当たり前の願いなのかもしれない。けれど、それは逆効果というやつだった。  スマートフォンの通話を切ると彦三郎を見る。  もう一度「出られそうか?」と聞いた。  彦三郎は頷く。  あとは札を何とかすればいい。  掃除をしている時、かなりの数の札の場所は把握していた。  まずは、と床の間の柱に貼ってある札にライターの火を近づける。  本当にそれで何とかなるのかは知らないが、他に方法が思い浮かばない。 「本当にいいのか?」  彦三郎が聞く。 「それが無ければ、俺は角脇家の座敷童じゃなくなるぞ」  また問答か。そんなものはとっくに自分で決めているのだ。 「もしかしたら、ここは無事乗り切れるかもしれない」  その時に――。彦三郎は含める様に言う。 「お前の責任ってことになるぞ」  彦三郎の言った内容は、それこそいまさらだ。 「それが?」  そう言いながら俺は、柱に張り付いていた焼け焦げた札を、無理矢理剥がした。  二枚、三枚と剥がしていく。  今まで何をしても剥げやしなかった札が思いのほか簡単にはがれていく。 「どうだ? 感じ違うか?」  彦三郎に聞くと「そんな何枚かじゃ大して変わらねーよ」と言われる。  そんなものかと思っていると、低い妙なおとがする。  とても嫌な音だった。 「こりゃあ、地響きってやつだな。」  彦三郎が言う。 「札を地道に外してる時間は無い。今すぐ逃げるぞ!」  土砂崩れがすぐに起きる。  まるで先の事が分かっているみたいに彦三郎が言った。  事実分かっているのだろう。  彦三郎は土砂崩れ死んだのを見たのだ。俺も夢でこの音を聞いた気がする。  俺はとぎれとぎれの夢でしかみていないけれど、彼はこんな暴風雨を見たことがあるのだろう。
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