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ボランティア委員として二日目の仕事は、校庭の草取りだった。
放課後、ジャージに着替えて校庭に出る。今回はクラスごとに担当区域を決められてはいなかったことにほっとして、人のいない適当な花壇の前に座る。
園芸委員が植えたらしい花の周りに、同じぐらいの背丈まで伸びてしまった雑草が生い茂っていた。うっかりしていると花まで抜いてしまいそうで、気をつけながら雑草に手を伸ばしたとき、ふと隣に誰かが座った。
「――へ?」
見ると、加納くんがいた。私は驚いて思わず手を止めてしまう。対して加納くんは気にした様子もなく、隣で草むしりを始めながら
「晴也とは」
「えっ?」
「順調ですか」
視線をこちらへ寄越すことなく、そんな質問を投げてきた。
「う、うん」私はちょっと緊張しながら、早口に頷くと
「お、おかげさまで」
言ったあとで、なんだか嫌みっぽく聞こえた気がして少し後悔する。けれど加納くんのほうは気にした様子もなく、ふうん、と相変わらず素っ気ない相槌を打って
「そりゃよかった」
なんだろう、と私は思いきり困惑しながら加納くんの横顔を見た。せっかく、今日はクラスごとに担当を割り振られているわけでもないから、私と口を利かなくても済む日なのに。なにか言いたいことがあるのだろうか。文句だろうか。
そこまで考えてふと思い当たったのは、先週の土曜日のことだった。はるくんの家に行って、明瞭高校の制服を着て――はるくんと、キスをした。
にわかに心拍数が上がる。すぐに、加納くんが知っているはずがない、いや、もしかしたらはるくんがぽろっと喋った可能性もなくはないけれど、だからといって加納くんに責められるようなことではない、絶対に、と思い直し、ひとり心の中で何度も頷いていたとき
「明日もどっか行くのか」
「え?」
「晴也と、放課後」
あ、ううん、と私は手元に視線を戻しながら首を振ると
「明日は、はるくん、補習だから。どこにも行かないかな」
「補習終わるまで待たねえの?」
「うん。明日の補習は遅くなるらしいから、先帰ってていいよって言われて」
ふうん、と呟いて加納くんはふと手を止めた。
じゃあ、と続けた加納くんの視線が、そこではじめて私のほうを向く。
「明日の放課後は、暇なん?」
「うん、とくに予定はないかな」
言ってから、そういえば暇なの久しぶりだな、なにしよう、化粧品でも見に行こうかな、とぼんやり考えたとき
「じゃあさ」
少し間があって、加納くんが言葉を継いだ。
「俺に付き合ってほしいんだけど。明日」
へ、と思わず間の抜けた声が漏れた。
顔を上げて加納くんのほうを見ると、思いのほかまっすぐに目が合って、一瞬どきりとする。
「……えっ、と」唐突な言葉の意味を理解するのに、少し時間がかかって
「明日、ボランティア委員で、なにかあるんだっけ」
「いや」
「あ、生徒会のお手伝いとか?」
「いや。ちょっと話したいから」
なんともさらりと返された言葉に、私は心底当惑して加納くんの顔を見つめてしまった。
「ちょっと、話す」と、意味もなく加納くんの言葉を繰り返してから
「それって……今話しちゃだめなの?」
おずおずと尋ねてみれば、「だめ」とみじんも隙のない即答が返ってきた。
「外がいいから」
「外って、どこ?」
「どこでもいいけど、とにかく校外。瀬名の希望があればそこでいいよ」
私はますます当惑して加納くんの顔を見つめた。けれど相変わらず、その表情からなにか感情を読み取ることはできなかった。
相当怪訝気な顔でじっと見つめていたはずだけれど、加納くんはそんなことにかまう様子はなく、瀬名が嫌ならいいよ、なんて殊勝なことを言い出すこともなく
「だから明日の放課後、付き合って」
なんだか断る余地を与えない口調で、再度繰り返した。
私は少し迷ったあとで、「わかった」と頷いてから
「でも、あの、はるくんに聞いてみてからでいい?」
「なにを?」
「行っていいかって」
言うと、「はあ?」と加納くんは思いきり眉をひそめて私を見た。
「なんだそれ。べつに晴也に許可とるようなことじゃねえだろ」
そもそもそういうんじゃないし、と呆れたように続いた言葉に、かっと顔が熱くなる。「わ、わかってるけどっ」とあわてて言い返したら声が少し上擦った。
「いちおうだよ。もし、はるくんになにか変な誤解されちゃうと嫌だし」
だって、私なら気になる。はるくんが私の知らないところで他の女の子と二人で会っていたら。なにも怪しいことなんてなかったとしても、私に黙って会っていたならきっと傷つく。はるくん、加納くんがライバルじゃなくてよかった、なんてことも言ってたし、ぜんぜん気にしてないわけじゃないんだから、はるくんに黙って学校の外で加納くんと会うなんて絶対に良くない。はるくんとの間に少しでも波風が立つようなことは避けたい。なんとしても。そう思って
「はるくんもだめなんて言うことないと思うから、いちおう伝えておくだけ。あとでごたごたしないように」
だけど加納くんは、私の言葉にふっと表情を曇らせた。
眉を寄せ、少し困ったように視線を落とす。それから
「悪いけど」
「ん?」
「言わないでほしい。晴也には」
え、と私はきょとんとして加納くんを見た。
目が合った加納くんの表情はいつになく真剣に見えて、ざわりと胸の奥が波立つ。覚えのある、嫌な波立ち方だった。
「……なんで?」
「頼むから」
私の問いには答えず、加納くんは静かな声で重ねると
「明日だけだから。瀬名に放課後時間作ってもらうのも、俺に付き合ってもらうのも。明日、一日だけでいい。それ以上誘うことはないから、明日だけ、晴也には黙って付き合ってほしい」
加納くんの考えていることは、わからなかった。今までも、ずっと、わからなかった。だけどきっと、そうしたほうがいいのだろうと思った。
はるくんには黙っているほうがいい。はるくんといっしょに買い物に行って、はるくんが褒めてくれる服を買って、次のデートに着ていってはるくんに喜んでもらって。はるくん好みの彼女になって、はるくんにたくさんかわいいと言ってもらって。これからもはるくんと、そんな日々を過ごしていくためには。きっと、そうしたほうがいい。
ただ、それだけ、奇妙な確信をもって思った。
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