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待ち合わせ場所にいるかすみちゃんの姿を見て、あ、よかった、と思う。
この前はるくんに買ってもらった水色のカーディガン。着ていこうかどうか迷ったのだ。
「あ、まひろちゃーん」
私に気づいて、かすみちゃんが手を振ってくれる。
彼女が着ているのは、あれとよく似た色形のカーディガンだった。もしかしたら被っちゃうかも、という予想は見事に当たっていた。髪型も被っているのだし、さすがに服まで被ったら申し訳ない、と思ってあのカーディガンはやめておいたのだけれど、やっぱり正解だった。
「わ、まひろちゃん、髪切ったんだね」
「うん。暑くなってきたから」
「かわいい! さっぱりしたね。似合うよー」
からっとした笑顔でそう言ってくれたかすみちゃんからは、とくに不快な色は見て取れなかった。あからさまに真似をしたようなタイミングなのに、というか実際真似をしたのに、かすみちゃんはそれについてはなにも触れず
「あ、そのシャツ、かわいいね。もしかして、フェール?」
私の着ているストライプのシャツを指して、そう訊いてきた。ずばりブランド名を言い当てられたことに、とくに驚きはしなかった。このシャツも、はるくんといっしょに買い物に行ったとき、はるくんに勧められて買ったものだったから。
ああやっぱり、と私は頭の隅で思いながら
「うん、そう。よくわかったね」
「だってあたし、そのブランド好きだもん。あたしもね、似たようなシャツ持ってるの。本当に気が合うね」
うれしそうに笑うかすみちゃんに、私は曖昧に笑い返してから
「かすみちゃんのそのカーディガンも、フェール?」
「あ、これ? これは違うよ。本当はフェールのやつが欲しかったんだけどね、あそこけっこう高いでしょ。私の財力じゃあんまり買えないの。だからもっと安いブランドの、似たようなカーディガン探して買ったんだ」
言われてみれば、私が持っているカーディガンとは微妙に素材や細かい形が違うみたいだった。そっか、と相槌を打てば、かすみちゃんは楽しそうに笑って
「ね、じゃあまずはフェールのお店見に行こうよ。本当に、こんな趣味の合う子に会えてうれしいな」
無邪気にそんなことを言われて、ちりと胸が痛んだ。
これかわいい、まひろちゃんに似合いそう、なんてしきりに言いながら、棚から服の掛かったハンガーを外しては私に当てるかすみちゃんを見ていると、なんだかはるくんといっしょにいるみたいだった。
はるくんはこんなふうに、かすみちゃんの買い物にも付き合っていたのだろうか。だからあんなに、女の子の集まるお店にも慣れていたのか。
「ねえ、かすみちゃん」
「うん?」
「はるくんとは、今もよく遊んだりするの?」
紺色のシャツワンピースを熱心に眺めているかすみちゃんの横顔に尋ねると、かすみちゃんは視線を動かさないまま
「え、全然だよ。高校に上がってからはぱったり。晴也、今はまひろちゃんといっしょにいるほうが楽しいみたいでさ、もう全然会ってくれないの。まあ、仕方ないよね。友情なんてそんなもんですよ」
そう言って、けらけらと笑った。かすみちゃんはワンピースが気に入ったのか、今度は服の裏側に手を入れて値札を探し始める。けれど探し当てた値札を見るなり、すぐに棚に戻していた。
「かすみちゃんは、好きな人がいるって、言ってたけど」
「うん」
「どうしても、その人以外と付き合うことは考えられないの?」
うん、とかすみちゃんは迷う間もなく、静かに頷いた。
「バカみたいでしょ。晴也にもずっと言われてたんだけどね。でもどうしたって、駄目なんだ。その人じゃなきゃ」
訊きたいことはまだ他にもあった。はるくんはなにを言ったのだろう。不毛な片思いをするかすみちゃんに。バカみたいだとか早く諦めろだとか、そんなことを言っていたのだろうか。そのたびかすみちゃんは、きっとこんなふうに静かな声で返していた。あの人じゃなきゃ駄目なんだと。
けれど喉を締め付けられるように息苦しくなって、それ以上はなにも訊けなかった。そっか、とだけ呟くと、かすみちゃんは手にしていたカーディガンを棚に戻しながら
「ね、まひろちゃんは晴也とどういうところでデートするの?」
興味津々といった目でこちらを見た。どういうところ、と私は少し考えてから
「普通に、こういうショッピングモールとかカラオケとか、カフェでお茶したり、新しく出来たお店にご飯食べに行ったり……」
「ねえ、今度あたしもいっしょに遊びたいな。あたしと二人はつまんなくて嫌みたいだけど、まひろちゃんもいっしょなら晴也も会ってくれそうだし。ね、今度三人でどっか行こうよ」
そうだね、行こう、なんて軽薄な笑顔でかすみちゃんに頷きながら、きっとそんな日は来ないのだろうということは、嫌になるほどわかっていた。
フェールのお店を出たあとは、かすみちゃんが買いたいものがあると言うので二階に上がった。てっきり本やCDかと思っていたら、かすみちゃんが向かったのは、お皿や調理器具などの家庭用品が並ぶフロアだった。その中をかすみちゃんは迷いのない足取りで進んでいくと、「あ、あった」と楽しそうに足を止める。粉ふるい、泡立て器、ケーキやクッキーの焼き型といった、普段家のキッチンでは滅多に目にしないような調理器具ばかりが並ぶコーナーだった。
「かすみちゃん、お菓子作るの?」
「うん。趣味なんだ、お菓子作り」
かすみちゃんはフェールの服を見ているときより目を輝かせて、ハート型のシリコンカップを手に取ると
「昔から大好きでね、クッキーとかスコーンとか、もう何回作ったかわかんないぐらい作ってきたよ」
「へえ、すごい。なにがいちばん得意なの?」
「ショートケーキ!」
答えは、迷いなく返ってきた。本当に得意なのだろう。よくぞ聞いてくれました、というような輝いた表情でこちらを向いたかすみちゃんは
「ショートケーキだけはね、みんなにも好評なんだ。ホールで作るから家族じゃ食べきれなくて、学校に持って行ったりもしてたんだけど、友達もショートケーキはおいしいおいしいって言って食べてくれて。晴也にも、よく食べてもらってたな」
思い出したようにかすみちゃんが付け加えた言葉に、可愛らしい動物の焼き型を見つけて、思わず伸ばしかけていた手が止まる。
「……はるくんにも?」
「うん。晴也、甘いもの好きだから、とくによく食べてもらってたよ。大ざっぱな舌してるみたいで、だいたい何でもおいしいって言ってくれたし」
「ショートケーキも?」
「うん。好きって言ってた」
「でも、はるくんって生クリーム苦手なんじゃ」
「え、そうなの? 聞いたことないけど」
びっくりした顔で聞き返されて、私は思わず、「あ、ううん」と首を振っていた。
「勘違いだったかも。生クリーム苦手って言ってたのは、別の友達だったかな」
「そうだと思うよ。晴也、おいしいおいしいって食べてたし」
あっけらかんと笑うかすみちゃんを、私はそのときはじめて、憎らしいと思った。
かすみちゃんはなにも知らない。そのとき、はるくんがどんな思いでショートケーキを食べていたのかなんて。私も、知らなければよかった。ずっと、知らないままでいられたらよかった。
やっぱりあの日、断ればよかったのだ。私はこの子に、会わないほうがよかった。いや、きっと、会ってはいけなかった。
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