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 はるくんの補習がある日の放課後に、かすみちゃんと待ち合わせをした。はるくんには、他校の友達に会いに行くとだけ伝えてあった。 「まひろちゃん、今日なんか雰囲気違うね」  アイスティーにガムシロップを入れながら、かすみちゃんは正面に座る私を見て言った。そうかな、と私が返すと、うん、とかすみちゃんは力を込めて相槌を打って 「なんていうか、女の子らしい。チークもピンクだし。かわいい」  そう言うかすみちゃんの頬にのっているのは、今日もオレンジだった。明るい彼女の笑顔に、やっぱりよく映えている。 「髪も、そんなふうにピンで留めるとかわいいね。短くてもそういうアレンジ出来るんだ」  あたしも真似しちゃおうかな、と笑ってかすみちゃんが自分の髪に触れていたとき、店員さんが私たちのテーブルにやって来た。  かすみちゃんの注文したフレンチバニラと、私の注文したショートケーキが淡い黄色のテーブルクロスの上に置かれると、わあ、とかすみちゃんは顔を輝かせる。そうして携帯を取り出し写真を一枚撮ってから 「前にね、こういうふわふわのフレンチトーストが作りたくて調べたの。そしたら、焼く前に一晩ひたしておくといいんだって」 「一晩も?」 「うん。やっぱり、おいしいものを作るには手間がかかるんだねえ」  ではいただきます、と手を合わせてから、かすみちゃんはスプーンを手に取った。フレンチトーストの上にたっぷり載せられているバニラアイスをすくって、おいしそうに口に運ぶ。ふにゃりとほころぶ表情は、本当に幸せそうだった。  私もフォークを手に取って、生クリームの載ったスポンジに沈めながら 「この前ね、私もショートケーキ作ったんだ」 「えっ、そうなの? うまくできた?」  私は鞄から携帯を取り出すと、切り分ける前に撮っておいたショートケーキの写真をかすみちゃんに見せた。おお、とかすみちゃんは声を上げて私の手から携帯を受け取ると 「すごい! きれいだね。まひろちゃん、上手だよ」 「でも、スポンジが思ったようにふくらまなくて。いまいちだったの」 「そう? 充分おいしそうだけどなあ」  言いながら、かすみちゃんは携帯を私に返すと 「晴也にもあげたの?」  そう訊かれて、私は手元に視線を落とした。ううん、と首を横に振る。 「あげなかった。ぜんぶ自分で食べちゃって」 「そうなんだ。今度作ったときは晴也にもあげなよ。ぜったい喜ぶよ」  そうだね、と相槌を打って、私はショートケーキを口に運んだ。ミルクの風味が濃く、口の中に広がる。おいしいけれど、少しくどくも感じる甘さだった。 「ねえ、かすみちゃんは」 「ん?」 「ショートケーキ作ったとき、いつもどれぐらいはるくんにあげてたの?」  うーん、とかすみちゃんは少し考えてから 「だいたい四分の一ぐらいだったかな。誕生日にはホールであげたりもしてたけど」 「はるくん、ぜんぶ食べてくれたの?」 「うん。晴也、本当に甘いもの好きみたいで、感心するぐらい食べてたよ。だからまひろちゃんも、お菓子、じゃんじゃん作って晴也にあげちゃうといいよ。いっぱい食べてくれると思うから」  芯からまっさらな笑顔でそんなことを言うかすみちゃんは、本当になにも気づいていないのだろう。はるくんにショートケーキを差し出すかすみちゃんも、きっとこんなふうに無邪気に笑っていた。だからきっと、はるくんも食べるしかなかった。かすみちゃんが気づかないよう、できるだけおいしそうに、少しも残さないように。  かすみちゃんが、笑ってくれるように。 「……かすみちゃんって」 「うん?」 「はるくんのこと、どう思ってたの」  かすみちゃんはきょとんとした目で私を見て、何度かまばたきをした。「え、どうって」不思議そうに首を傾げ、ちょっと考えてから 「いい友達だったよ。話しやすくて、よく相談にのってもらったり」 「かすみちゃんが、片思いしてた人のこととか?」 「うん。まあ、それについて相談したら、毎回同じこと言われるだけだったけどね。七歳も年上の人に相手になんかされるわけないって。そもそも彼女もちだし、不毛だって」  意外ときついんだよあいつ、とかすみちゃんはおかしそうに笑ってから 「でもまあ、今はあのとき晴也が言ってたことが正しかったって、痛感してるんだけど」  ふいに放り出すように言われた言葉に、私はかすみちゃんを見た。目が合うと、かすみちゃんはちょっと恥ずかしそうに笑って目を伏せる。そうして握っていたスプーンを置くと、おもむろに傍らの鞄を開け、中からなにかを取りだした。 「見て、これ」  差し出されたのは、二つ折りにされたきらびやかなカードだった。表紙には、大きな花のイラストと、ウェディングの英文字。 「もらっちゃった、先週」 「……結婚式の、招待状?」 「うん。結婚するんだって。あたしの好きな人」  私は顔を上げてかすみちゃんを見た。びっくりだよね、とかすみちゃんは乾いた笑い声を立てて 「まだ二十三なんだよ? その人。そんな大学卒業してすぐ結婚なんて思わないもん。もう少し猶予あるかと思ってたから。まいっちゃった」  どんな反応をすればいいのか、咄嗟にわからなかった。思わず黙ったままかすみちゃんを見つめていると、気づいたかすみちゃんが「あっ、ごめん」とあわてて重たい空気を散らすように笑って 「困るよね、こんな話されても。やめよう、やめよう」 「はるくんは」 「え?」 「はるくんは、知ってるの? このこと」  かすみちゃんはきょとんとした顔で、ううん、と首を振った。 「知らないよ。最近全然話してないし」  気づけば、テーブルの上に置いた右手をぐっと握りしめていた。ついさっき聞いた、かすみちゃんの言葉を思い出す。意外ときついんだよ、とかすみちゃんが語るはるくん。私にはうまく想像ができない。私は、優しく笑うはるくんしか知らない。見たことがない。これから先もきっと、私はそんなはるくんしか見ることができない。 「……話したいんじゃ、ない?」  かすみちゃんがふっと真顔になって私の顔を見つめた。その人のこと、と私は続ける。 「かすみちゃん、ずっとはるくんに相談してたんでしょう」  でも、とかすみちゃんは戸惑ったように 「今はまひろちゃんがいるんだし。あんまり甘えるのは」 「いいよ。はるくんだって話したいと思う。私は全然、気にしないから」  私と付き合いはじめてからは、はるくんはかすみちゃんと全然会っていないと言っていた。私とはるくんが付き合いはじめたのは高校にあがってすぐだから、中学校を卒業して以降、二人が会うことはほとんどなかったのではないだろうか。 「はるくんも、かすみちゃんに会いたいと思う」  力を込めて重ねると、かすみちゃんはようやくちょっと表情を崩した。  考え込むような間のあとで、「……いいの?」とうれしさを滲ませた声で尋ねる。  うん、と私は勢い込んで大きく頷くと 「はるくんも喜ぶよ、きっと」  その言葉を口にした瞬間、ちりっと胸の奥が痛んだ。目を伏せるとまぶたの裏が熱くて、ごまかすようにケーキを食べる。口の中に広がる甘さはやっぱり少しくどくて、飲み込みにくい。 「ありがとう、まひろちゃん」  やわらかな声が聞こえて、私は首を振った。そのひだまりみたいな声も笑顔も、どんなに髪型や服装を寄せても、これだけはちっとも真似できない。 「……かすみちゃんって、はるくんと似てるよね」 「え、そう? 顔が?」 「ううん、しゃべり方とか笑い方とか、全体的な雰囲気とか」 「ほんとに? はじめて言われた」  たしかに晴也ちょっと女の子っぽいもんねえ、とおかしそうに笑うかすみちゃんを見ながら、違う、と私はついさっき口にした自分の言葉に心の中で首を振る。かすみちゃんが、じゃなくて、はるくんが、かすみちゃんに似ているのだ、きっと。
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