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 えー、と自動販売機の前で小さく声を漏らす。  まだ日が高い中での草取りを終え、渇いた喉を潤したくてやってきたのだけれど、そこには無情にも売り切れの赤い文字ばかりが並んでいた。今日はいちだんと暑い日だったから、喉が渇くのはみんなも同じだったらしい。 「すご。こんな売り切れてんのはじめて見た」  隣で加納くんがちょっと感動したような声で呟く。相槌を打って私は肩を落とすと、財布を鞄に入れた。じゃあコンビニかな、と考えてそう提案しようとしたとき 「じゃ、コンビニ寄って行こ」  加納くんが同じことを言ったから、うん、となにも考えずに軽く頷きかけた。そのあとで、はっと思い出し、「あ、あのっ」とあわてて口を開く。 「私、ローソンがいいな。駅前の」 「なんで。遠いじゃん」 「えっと、なんか、ローソンの飲み物が飲みたくなって」 「売ってるもんなんてどっちも変わんないだろ」 「そんなことないよ、ほら、プリンアラモードラテとかセブンにはないし!」 「喉渇いてるときにそんなもん飲もうとしてんの」  私が言葉に詰まっていると、ああ、と加納くんはなにか思い出したように呟いて 「あいつならもういないよ」 「あいつ?」聞き返しかけて、思い当たる。 「え、藤井さんのこと?」 「そう。もうバイト辞めたから」 「えっ?」  素っ頓狂な声を上げる私にかまわず、加納くんはさっさと踵を返して歩き出した。あわててその隣に並びながら、なんで加納くんが知ってるの、と困惑して尋ねかけて、ふと思い出す。数日前、加納くんに藤井さんの名前と高校を訊かれて教えたこと。 「まさか」私は呟いた。 「加納くんが、なにかしたの?」 「べつに。知り合いに北宮高校のやつがいたから、そいつに教えただけ」 「教えた?」 「藤井ゆうこってやつがバイトしてるって。北宮ってたしか進学校だしバイト禁止だろ。だからわざわざこんな遠くでバイトしてたんだろうし。そいつ、すげえ真面目なやつだから、たぶん先生にも言ったんだろ」  淡々と告げられた言葉に、私はあっけにとられて加納くんを見た。 「ここ一週間通ってたけど、一回も見なかったし。もう辞めたんだろ、たぶん」 「それ……私のために?」  加納くんは一瞬だけ黙って、だけどすぐに素っ気ない声で、「べつに」と返した。 「俺が気に食わなかっただけ」  私は咄嗟になにを言えばいいのかわからなくて、少し前を歩く加納くんの背中を見つめた。お礼を言ったらなんだか嫌な顔をされそうで、だけどこれから気兼ねなくあのコンビニに通えるのだと思ったらうれしくて、とりあえず心の中で、ありがとう、と言っておいた。  放課後をはるくんといっしょに過ごすことがなくなった代わりに、加納くんと過ごす時間が増えた。主にボランティア委員の活動のためだけれど、そのあといっしょに帰ることも多くなった。  あの日以降、加納くんの態度が劇的に優しくなったなんてことはなくて、あいかわらず口調は素っ気ないし、私がなにか卑屈なことを言えば、やっぱりあからさまにイラッとされる。けれど、前ほど怖くはなくなったし、自然に話せるようにもなってきた、と思う。たぶん。  加納くんの言っていたとおり、学校近くのコンビニにあの子の姿はなかった。  ほっとしながら飲み物を買って外に出たところで、同じクラスの桜井さんに会った。桜井さんは、私と隣にいる加納くんを見てすぐに察したように 「今日もボランティア委員の活動だったんだね。お疲れさま!」  と、とても感じの良い笑顔で手を振って、私たちと入れ替わりにコンビニに入っていった。あの爽やかさも私には真似できないなあ、なんて思いながらその背中を見送っていると 「瀬名、さいきん桜井と仲良いよな」  加納くんがふとそんなことを言った。 「うん、まあ……」私は頷きかけて、ちょっと迷う。  はるくんと別れてから、私は昼休みお弁当を食べる場所に困るようになった。はるくん以外にいっしょにお弁当を食べてくれるような友達もいなくて、だけど教室でひとりで食べているところをはるくんに見られるのは嫌だったから、とりあえず外に出て人のいない場所を探して歩いていたのだけれど、そこでたまたま桜井さんと会った。それでなんとなく流れでいっしょに食べることになって、以来、桜井さんたちのグループとなんとなく仲良くさせてもらっている。  だけどそれは。 「仲が良いっていうか、同情してもらってる感じで」 「は?」 「ほら、私がはるくんと別れたから。かわいそうに思って、それで優しくしてくれてるんだよ。桜井さん、いい子だから」  言うと、加納くんは遠慮なくあきれた顔でこちらを見た。 「瀬名さあ」ひとつため息をついてから、表情と同じだけあきれた口調で口を開く。 「そういう考え方に問題があるんじゃねえの」 「え?」 「瀬名に友達ができない原因。みんな、瀬名が思ってるほど嫌な人間じゃないよ」  口調は変わらず素っ気ないのに、その言葉は思いがけなく優しく響いて、不思議なほどすとんと胸に落ちる。それがなんとなく悔しくて、軽く眉を寄せて黙り込んでいると 「そういや、遠山が瀬名に会いたがってたよ」  話題は変わったはずなのに、一続きの会話みたいに加納くんは言った。 「遠山さん?」 「前に瀬名が文書整理手伝いに来てくれたの、すげえうれしかったって。また来てくれないかなって。そういや、あれ以来全然手伝い来なくなったな。もう来ないの?」  なんともしらっとした口調で加納くんが訊くので、私は思わず眉をひそめて加納くんを見た。「だって」口を開くと、思いのほか恨めしげな声が出た。 「加納くんが嫌な顔したから」 「俺?」 「うん。私が手伝いに行くって言ったら、迷惑そうな顔したよ。それで、もう行かないほうがいいかなと思って」  ああ、と呟いた加納くんの声は、とくに動揺するでも罰が悪そうでもなく 「また瀬名、人の機嫌とるためにやりたくもないことやってんのかと思ったから、なんかイラッとして」  あいかわらず、みじんもオブラートに包んでくれない言葉は剛速球で心を殴りつけてくる。だけど反論できないのが悔しくて、私は黙ってペットボトルのふたを開けた。そうして口につけようとしたところで 「でも遠山は喜んでたよ。ほんと助かったって。また来てほしいってさ」 「そっか」 「だから瀬名、生徒会入れば?」  へ、と私はペットボトルから口を離して、加納くんのほうを見た。 「どうせ放課後暇になっただろうし、ちょうどいいじゃん。なんか予定詰まってたほうが、いろいろ考えなくて済むんじゃねえの。あいつのこととか」  それは、今たしかに実感している。最初は、放課後に時間をとられて面倒くさいとしか思っていなかったボランティア委員の活動が、今は正直ありがたい。  はるくんとのデートの予定がなくなってしまったら、部活にも入っていない私の放課後はびっくりするほど暇で、途方に暮れてしまうほどだった。そんな中、ボランティア委員の活動があることだけは救いで、これすらなく本当に放課後の予定が真っ白だったならと思うとぞっとする。はるくんがいなくなってしまったという現実を、ひたすら突きつけられるだけの放課後だったに違いない。  だから、加納くんがくれた提案はとても魅力的に思えたのだけれど 「……でも、加納くんはいいの?」 「なにが」 「だって、ほら、その」  私は思わず言葉に詰まって、口ごもる。  思い出す。文書整理を手伝うと言ったとき、加納くんにあからさまに嫌な顔をされたこと。なにか理解ができないものを見る目で、加納くんは私を見た。先生に褒められたいとか遠山さんたちに感謝されたいとか、そんな理由でやりたくもないことをやりたがる私が不快だったのだと今はわかるけれど。 「こういうの、嫌なんだよね? 人の機嫌とるために、生徒会入るとか……」  言ったあとで、これこそまさに加納くんの嫌がるご機嫌伺いだったのではないかと気づいて、すぐに後悔した。  加納くんの表情を見るのが怖くて、私はあわてて地面に視線を落とす。そうして断罪を待つみたいに思わずペットボトルをぎゅっと握りしめていたら 「俺はうれしいけど」  思いがけず穏やかな声が返ってきて、私は顔を上げた。  え、と聞き返しながら加納くんのほうを見ると 「瀬名が生徒会入ってくれたら。そしたら、放課後もいっしょにいられるし」  加納くんの横顔もその声と同じくらい穏やかで、私はすっかり戸惑ってしまった。  黙って手元のペットボトルに目を落とす。先日、加納くんが公園でくれたのも、これと同じミルクティーだった。  どうして知っていたのだろう、とぼんやり思う。私が、このミルクティーを好きだって。 「……加納くんは」 「なに」 「なんで、私が好きなの」  いつだったか、うざいかなと思いつつもはるくんにしてしまった質問。はるくんは嫌な顔なんてせずに答えてくれたけれど、加納くんはきっとそうはいかない。わかってはいたけれど、訊かずにはいられなかった。だって、どうしてもわからない。こんな私のどこに惹かれるのか。  案の定、加納くんは眉をひそめて私を見た。だけどもう仕方がない、と私は変なところで開き直って加納くんの目をじっと見つめ返す。自己評価の低さは、これまでの人生で染みついてしまっているのだ。 「だって、私見てたらイライラするんでしょう。なのに好きって、よくわからないんだもん。だから加納くんの気持ち、まだあんまり信じられない。私のどこが好きなのか、教えて」  私の勢いにちょっと圧倒されたみたいに、加納くんは私から視線を逸らした。言葉を探すように宙を見つめたあと、ふいになにか見つけたみたいに私を見る。 「顔」 「え」 「顔がドストライクだったってことでいいんじゃねえの」  私が露骨に不満な顔をすると、加納くんは苦笑いを浮かべた。 「もっと真面目に」 「真面目なんだけど」 「うそ。あり得ないよ」 「なんで。かわいいと思うけど」  一瞬、息が止まった。  心臓が変な跳ね方をして、速度を見失う。はるくんのおかげで聞き慣れていたはずなのに、加納くんの声で響いたその言葉は、なんだか未知の言葉みたいに聞こえた。  瞬く間に顔に熱が集まってくる。きっと赤くなっているのがわかって、あわてて顔を伏せた。 「ま、まさか」 「つーか、かわいくなった。晴也と付き合ってから。悔しいけど」  頬に触れると冗談みたいに熱くなっていた。そのことに気づいた途端、よけいに動揺して息が止まりそうになる。  落ち着こうと思ってミルクティーをひとくち飲んだら軽くむせてしまって、もうだめだ、と思う。これじゃあバレバレもいいところだ。もう恥ずかしくて加納くんの顔を見ていられなくて、思いきりうつむいたまま早足に歩き続けていたら 「かすみがさ」 「え?」  唐突に出てきた名前に、思わず顔を上げていた。 「会いたいって言ってたよ」 「え、私に?」 「うん」 「……そっか」  私は自分の足下に視線を落とした。 「私も会いたいな。かすみちゃん」  自然とこぼれた言葉は、きっと本心だった。そう思えることが不思議だった。しばらくは、その名前を聞くだけで気持ちが沈んでしまっていたのに。今はまた、あのおひさまみたいな明るい笑顔が見たいと思った。また、おしゃべりがしたいと思った。今度ははるくんの話ばかりじゃなくて、かすみちゃんの話とか私の話をしてみたい。そうしてもっとちゃんと、友達になれたらいい。 「はるくんとかすみちゃん、うまくいくかな」 「さあ。かすみのほうは全然その気ないみたいだし、厳しいんじゃねえの」 「え、そんな……」 「うまくいってほしいのかよ、振られた相手に」 「そりゃまあ、どうせ振られたんなら、うまくいってもらったほうが」  そんな話をしているうちに、目の前には駅が見えてきた。うちの高校の交通の便の良さは評判で、駅まで歩く時間は十分もない。それが私がこの高校を選んだかなり大きな理由でもあるのだけど、最近はもう少し遠ければよかったのに、なんて思う。  だって、そうすれば。 「短いよな」 「うん。……え?」  あまりに私の考えていたことを読み取ったようなタイミングだったから、なにも考えずに頷いてしまったあとで、はっとする。  加納くんのほうを見ると、あいかわらずの無表情でこちらを見つめる彼と目が合った。だけど最近は、少しずつわかってきたように思う。今も、目の奥にはちょっと楽しそうな色が見える。 「な、なにが?」 「瀬名といっしょに帰れる時間が短いなと思って。瀬名は?」 「え?」 「さっき瀬名も同意してたじゃん。なにが短いって?」 「えっ? え、えっと、私は、その」  即座に切り返されて、思わず口ごもってしまう。視線をぐるぐる彷徨わせながら、自分の髪を意味もなくいじっていたところで 「あ、その、髪! 私の髪、そういえば、だいぶ短いなって、思って」 「なんだそれ。自分で短くしたんだろ」 「そ、そうなんだけど、まだ慣れなくて、ふとしたときに短いなあって思っちゃって、なんか違和感が」 「また伸ばすの?」 「うん、たぶん……あっ、その、私やっぱり長い髪のほうが好きだなって思ったから! いろいろアレンジもできて楽しいし、それに長いほうが寝癖も隠せて楽だし、だから、だから伸ばそうかなって」  あわてて捲し立てるみたいに理由を並べた私を、加納くんはちょっと不思議そうな顔で見た。  ふうん、と怪訝気に呟いたあとで、ああ、となにか思い当たったみたいに 「べつにそんな心配しなくても、勘違いとかしないから」 「へ?」 「俺が長い髪好きだって言ったから伸ばすんだな、とか思わないから。そこまで自惚れてません」  あきれたような口調で言われて、「あ、うん、そっか……」と私はまた意味もなく髪をいじりながら、もごもごと呟いた。  あれ以来一度も切っていないから、ショートにした髪は少し伸びてきた。だけどまだ、毛先を巻くのは難しい。  あの日言ってくれた加納くんの言葉は、本当はずっと心の奥に染みこんでいる。  だけど、勘違いじゃないとは伝えたくない。まだ。 「まあ、俺はうれしいけど。瀬名が髪伸ばしてくれたら」  ――だって、これじゃあ本当に誰でもいいみたいだ。いつか加納くんに言われたように。  加納くんには、そんなふうに、思われたくない。  そう思うのに、こちらを向いた加納くんがめずらしく笑っていて、ふいに心臓がきゅっと締め付けられたみたいに息苦しくなる。喉の奥に弾けたのはたしかに覚えのある甘さで、だけど今はまだ気づかない振りをしたくて、ふうん、なんて生意気にもちょっと素っ気ない相槌を打ってみた。上擦った声には動揺が全然隠しきれていなくて、きっとバレバレだっただろうけれど。 end.
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