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09
ボランティア委員としての最初の仕事は、街のゴミ拾いだった。
クラスごとに区域が分けられており、私たちのクラスが割り当てられたのは、須和公園からワンダーランドまで、とのことだった。
とはいえ、地元民でない私には須和公園もワンダーランドもまったくぴんとこなかったので、迷いのない足取りで歩き出した加納くんの少し後ろをついていくことにする。
「面倒くさいけど、頑張ろうね」
あいかわらず二人きりは気まずかったので、なんとか沈黙を避けようとそんな言葉をかけてみれば、「面倒くさい」と加納くんは私の言葉を繰り返してから
「じゃあなんでボランティア委員なんかなったの」
そんな冷ややかな質問が返ってきて、私は早くも先ほどの発言を後悔する。
「あ、えっと」加納くんは私の答えなんて聞かなくてもわかっているみたいだったけれど
「桜井さんに、頼まれて」
「断ってもよかったじゃん。面倒くさいんなら」
「でも桜井さん、引き受けてくれる人見つからなくて困ってるみたいだったし……」
もごもごと言い訳するみたいに喋りながら、どうして言い訳しないといけないんだろう、なんてぼんやり思う。クラスの誰もやりたがらないボランティア委員を引き受けたのだから、褒められていいはずのことなのに。加納くんといると、なぜか罰の悪さばかり押し寄せてくる。
「ごめんね」
そのまま喉元までこみ上げてきた罰の悪さに、思わず謝罪の言葉が口をついて
「なにが?」
「いや、その、私なんかが相手で悪いなって」
言ったあとで、私はまたすぐ後悔した。こういう卑屈な言葉を加納くんが嫌うことは、もうわかっていた。
案の定、加納くんは眉を寄せてこちらを見た。なにか言いかけたようだったけれど、もういいや、と思ったのか
「晴也と遊ぶ時間減るんじゃねえの」
とくに否定も肯定もせず、加納くんは視線を前方に戻して話題を変えた。私はちょっとほっとしながら、「そうだね」と頷く。
そんな話をしているうちに、前方にはパチンコ店が見えてきた。看板にはワンダーランドの文字があって、ああ、ワンダーランドってあれのことか、と私は頭の隅で思う。
「でも大丈夫だよ。土日は遊べるし。それより、加納くんのほうが」
ふと先日聞いた遠山さんたちの会話を思い出して
「大変でしょう。生徒会もあるし。彼女とデートする時間とか、ないんじゃ」
「彼女?」
加納くんが怪訝な声を立てながらこちらを向いた。きょとんとして、「明稜高校の」とまで続けると、加納くんもその単語ですぐに思い当たったように、ああ、と呟いた。
「かすみのことか」
続いて出てきたのは、やっぱりその名前だった。
「べつに彼女じゃないけど」ため息混じりの声が続く。
パチンコ店を過ぎた途端、加納くんは今まで見向きもしていなかった道ばたのゴミを拾い始めた。きっちりしてるなあと思いながら、私も彼に倣い、落ちていた空き缶を拾っていると
「なに、彼女って誰が言ったん?」
「え、と、噂で……明稜の女の子と加納くんが、いっしょに歩いてるところ見たって」
「まあそりゃ友達だし、いっしょに歩いたりぐらいはするけど」
「付き合っては、ないんだ」
「付き合ってない。そもそも、あいつ」
そこで加納くんはまた前を向き直って、彼の表情が見えなくなった。
「ずっと他に好きなやついるし」
理由はわからない。今、話題に出ているかすみさんについて、当然ながら私はなにも知らない。加納くんと中学の頃から仲が良いという同級生の女の子。それだけの情報しかない、遠い存在だ。
けれどなぜだか、そう告げた加納くんの声に、胸がざわりと波立つような、妙な感覚がした。
「そう、なんだ」
つい先日も感じた気のするその感覚に戸惑いながら、ぎこちない相槌を打つ。それでこの話題は終わるかと思ったけれど、加納くんはさらに言葉を続けた。
「完全な片思いらしいけど。その相手、カノジョいるし」
「……それでも、ずっと好きなんだ」
「諦めきれないんだと。どうしても」
私の知らない女の子の話。なのに、加納くんの口調はひどく近くに聞こえた。私の友達のことを話しているかのような、私にこの話を聞かせたいのだという意思を感じる口調だった。
それに気づいたら、さらに胸が波立った。聞かないほうがいい、と頭の奥のほうで声がした気がした。話題を変えたかったけれど、私が口を開くより、加納くんが言葉を継ぐほうが早かった。
「晴也とも仲良かったよ、かすみ」
その名前が出てくることは、もうわかっていたような気がする。
「むしろ中学の頃は、俺より晴也のほうが仲良かったけどな。瀬名と付き合いはじめてからはあんま会ってないみたいだけど」
「……そっか」
私はそんな相槌を打つぐらいしかできなかった。
はるくんの交友関係が広くて、女の子の友達も多いのは知っていた。中学の頃だってそれは変わらなかったはずだし、今更はじめて知る事実というわけでもない。
だけど胸の奥は嫌なざわつき方をしていた。加納くんの口調のせいかもしれない。それが、私と無関係ではないことを告げるような口調に、聞こえた。
「かすみさん、って」
「うん」
「どんな子だったの?」
道ばたの空き缶を拾おうとしていた加納くんの手が止まった。静かな目がこちらを見る。
「――会う?」
返ってきたのは思いも寄らない言葉で、私は一瞬ぽかんとしてしまった。
え、と困惑した声がこぼれる。
「会うって……かすみさんと?」
「うん。かすみも瀬名に会いたいって言ってたし」
「え、わ、私に? なんで?」
「高校で晴也に彼女できたって話したら、会ってみたいっつってたから」
予想していなかった展開に、私はすっかり困惑してしまう。加納くんの口調は、軽い世間話のようでもなかった。本気で、私とかすみさんを会わせようとしているみたいだった。それが単純に、かすみさんが私に会いたがっているから、というわけではきっとない。
加納くんの意図がわからず、私が返答に迷って黙り込んでいると
「瀬名はさ」
加納くんは屈めていた腰を起こし、身体ごとこちらに向き直って、言葉を継いだ。まっすぐに真正面から見た加納くんの顔は、いつものように平淡でどこか冷たい。
「晴也のこと、どんだけ知ってんの」
私はなにも言えず、加納くんの顔を見ていた。
――はるくんのこと。
好きな食べ物。好きな服装。好きな髪型。好きな女優さん。
はるくんが今好きなものは、知っている。それで充分だと思った。それさえ知っていれば、はるくんの好みに合わせられる。はるくん好みの彼女に、なれる。過去のことなんて、どうでもいい。私が好きなのは今のはるくんで、私は今、はるくんの彼女なのだから。
「知らないだろ、なにも」
知らなくていい、と思っていた。いや、きっと、知らないほうがいいと、思っていた。
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