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「おー……」
数日冷蔵庫の中で保管しておいたタッパーの中に入ったぬかの中から、漬けておいたキュウリを取り出す。元より水分が抜けたのか随分と小さくなったそれを、まな板でとん、とんと薄切りにして小さめの皿に盛っていく。狭い台所に広がる少し酸っぱさを孕んだ匂いが、鼻を通って食欲を刺激する。
「……出来てる……のかな」
皿を一旦適当な所へ置き、すぐ横にある独り暮らし用炊飯ジャーから炊いておいた白米を掬って茶碗に盛った。コメ特有の甘い香りと一緒に立ちのぼる湯気が、引っ掛けている親指を包んでいじめてくる。熱い。
昨日近所のスーパーで買って来たこの米は、いつも買っている地場ものではない。青森かどこかのブランド米だ。本当は私は米なんて正直どこ産のものでも良いと思っているタチだし、わざわざ値の張るブランド米を買う気なんて全くもって無かったのだ。……だけれど、「同居人」、いや、本当は「居候」とか言うべきなのかもしれないけど、そいつが口うるさく米のブランドについて文句を垂れるもので、仕方なしに買ってしまった。
件の「同居人」は、入居当時からずっと使っている私のベッドの上に、可愛げもなく腕を組みながらあぐらをかいている。仏頂面だ。熱い白米でもぶちまけてやろうかな。
「ヴァンピス、出来た」
「~~おっっっっそい!!」
その紅い目をかっと見開いて、彼女――ヴァンピスは人差し指を私の顔面に向けて来た。
「カサマツはホンッとに不器用なんだから! そんなんだからトモダチの一人もいないんでしょっ」
「誰の金で飯食ってんだか……まいいや。ちゃんと座って、ほら」
彼女の白髪を引っ張るようにして、無理矢理ベッドからヴァンピスを引きずり降ろす。うあぁ、と情けない声を漏らす尊大な童女の前に、白米の入った茶碗と、出したての漬物を入れた小皿を置いた。冷蔵庫からコンビニで買った緑茶を出してきて、そのまま机上に置く。ヴァンピスは緑茶が嫌いなので飲まない。
「よし。手と手を合わせて?」
『いただきます』
幼稚園生ばりの挨拶をして食べ始める。ヴァンピスは常識を知らない。日本においていただきますを言わないというのはまだ日本人でないから仕方ないが、こいつは米のブランドにうるさい癖に箸もまともに使えないのである。レンゲを拳で握ってガツガツ白米を喰らっている。
「ねえカサマツ、生姜無いの?」
「生姜? 何でまた」
「ウマいのよ、これが。いいから持ってきて」
機嫌を損ねるといけないから、言われたとおりにチューブ入りのものを持って来た。手渡したそれを受け取ったヴァンピスは、漬物の入った皿の端に多めに生姜を押し出した。
「付けて食べるのよ」
「……まあヴァンピスが言うなら美味いんだろうね。じゃあちょっと付けて……うん、いただきます」
普段食べないそれを口の中に運んでみると、酸っぱい位の程よい塩味の中に、アクセントになって生姜の味が効いていて、なるほど、こりゃあ飯が進む訳だ。
「美味しい」
「でしょ? じゃあ私も……うん、初めて漬けたにしては上出来だと思うわ。ごはんも美味しいし。やっぱりこの世界のご飯は美味しくいただいてこそね!」
肩を小さく跳ねさせながら、ヴァンピスはその可愛らしい体の小ささとから想像もつかない程の速さでご飯をぱくぱくと食べ進めていき、あっという間に「ごちそうさま!」の挨拶を言った。私はまだ半分も食べていない。
「……で、カサマツ。その……」
食べ終えたヴァンピスは身体をもじもじさせて、私の目を思わせぶりに見てくる。紅く光る瞳。時刻は夜9時。
「あぁ。ちょっと待ってよ。まだ私食べ終わってないんだから」
そう言うと、彼女の『牙』はLEDの白い光に照らされててらりと光り、瞳の輝きも増した。
血を欲している。
勘の良い人間にはもう判ってしまっていたかもしれないけれど、名前からも想像のつく通り彼女は言わば吸血鬼だ。夜が近づくにつれ、彼女は生き血を摂取しなくてはいけない。誰が私の元にこんな厄介な童女を連れて来たのか分からないが、夜中の散歩中に町内のゴミ捨て場に投げ置かれていた彼女は私の首筋に飛び掛かってきて、以後こんな風に同棲的なことをしつつ暮らしている。
「ふぅ。ごちそうさまでした」
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