第5章 無毒のポイズナー

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「まあ、日本に本部がある学会ですからね。名ばかり国際学会のようなところはあるでしょうね」  渡邉も相槌を打つ。 「俺も地元開催ですからね。あんまり新鮮味がないです」  と、札幌在住らしい瀬戸内が苦笑する。確かに、北海道医科大学は今回の学会の開催場所だ。新鮮味も何もあったものではないだろう。東京から飛行機と電車を乗り継いできた愛里とはかなり心境が異なるはずだ。 「やっぱり、もっと大きな舞台で賞を貰いたいですか」  愛里は尋ねる。 「まあ、癌研究ではそれなりに権威ある学会ですけどね。俺はこれでは満足できないですね。もっと上を目指したい」 「私もです」  渡邉と李の返答には愛里にも共感できた。そうなのだ。まだ、愛里はスタートラインに立ったばかり。目の前にいる三人もそうだ。 「はは、皆さん熱心ですね。俺はこのまま就職するから研究生活とはお別れですけど、皆さんのやる気を見ていたら最後まで研究をちゃんとやりきらないとな、っていう気分になりましたよ」  瀬戸内は丸めて手に持っていた賞状を開いた。瀬戸内夏樹という名前の横に、今回の学会での彼のプレゼンのタイトルは『Caco-2腸管モデルを用いた抗癌剤創薬研究』だったようだ。 「Caco-2で腸管モデルを作っているんですね」 「ああ、手間のかかる細胞ですけど、in vitroで吸収動態を見るにはこいつは使えますからね。今日もこれから大学に戻って細胞の培地を交換してやらないといけないんですよ。下手に自分の学校で学会開催されると実験ができちゃうのが辛いところです」 「うわあ、大変ですね。もしかしてかなりブラックな研究室です?」 「違いない」  あはは、と笑い合う。  今の時代、会社がブラックだと騒がれることもあるが、研究室もブラックな所はブラックなのだ。研究室の外に植えられたひまわりが、深夜も明かりが点いているものだから窓を太陽と勘違いしてそちらに頭を向けて咲いてしまった、などという話もあるくらいだ。  愛里も深夜まで実験をすることはあるが、果たして自分はブラックな環境に慣れてしまっているのだろうか、と考えてしまう。  しばらく談笑していると、やがて、懇親会の終わりを告げる声が響いてきた。  愛里は三人と連絡先を交換する。共に研究に切磋琢磨する仲間であり、ライバルだ。この繋がりはいつか役に立つかもしれない。
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