第5章 無毒のポイズナー

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「そうですよ。発表はもう完璧ですか」  今回の学会の発表時間は十一分と決められている。十一分になった時点でタイムキーパーによってベルが鳴らされ、発表を終えるよう促される。十一分より短くても長くても良くない。  愛里はホテルの部屋に戻ったら明日の発表の練習をするつもりだった。もう散々練習したが、念には念を、だ。 「大丈夫です。俺、本番に強いタイプなんで」  笹島は林原の磊落(らいらく)な様子に苦笑している。 「今回の『国際腫瘍制御科学学会』は、その名の通り、世界中から悪性腫瘍――癌の研究をしている人達が集まってくる。発表すればいい経験になるだろうし、気になる発表を聞けば勉強になると思う。それに学生の君達でも賞を受賞する機会はある。素晴らしい成果を期待しているよ」  学会で賞を取る。それは確実に研究者としてプラスだ。  そして、賞を取るということは発表した研究が認められたということだ。今回の学会であれば、研究が癌に対して有用と考えられる、ということだ。  研究者としての自分のため、そして癌に苦しむ人のため。  嫌でも父の顔が愛里の脳裏に浮かぶ。  自分の研究が果たして父を助けられるか。その答えはNoだろう。薬が作られるまでには十年以上かかると言われる。ましてや、基礎研究段階の愛里の研究が成就するのは何年先のことか想像もつかない。悔しいとは思わない。今の研究は父のためではない。ノーベル賞のためだ。そう、割り切っていても、未練がましく希望を抱いてしまう。もしかしたら、愛里の見付けた物質を投与すれば、父の癌が治るのではないか。治らないにせよ、快方に向かうのではないか。 「神楽坂さん、大丈夫ですか? もしかして、酔いました?」 「え……いや、まさか。少し考え事をしていただけです」  隣に座る颯太の問いかけに我に返る。どうやらぼうっとしていたようだ。 「明日の発表のことですか」 「それもありますが、そうですね……父のことを少し」 「あ……」  悪いことを聞いてしまった、という顔を颯太はしていた。颯太は、愛里の父、清彦の病状を知っている。隠す必要は感じなかった。 「気にしないでください」  颯太に笑いかける。 「その……頑張りましょう。俺、神楽坂さんの発表、楽しみにしてますから」 「私も福豊くんの発表をちゃんと聴きに行きますね」
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