第5章 無毒のポイズナー

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第5章 無毒のポイズナー

 癌(がん)――悪性腫瘍(しゅよう)とも言われるその病はまさに体を刻一刻と蝕んでいく時限爆弾のようなものだ。  癌は様々な要因で発症するが、多くが遺伝子の異常によって引き起こされるとされている。生物の体を構成する細胞ひとつひとつにはDNAが入っている。これは、生物の設計図と言ってもよく、細胞はこのDNAを元に増殖する。このとき同時にDNAも複製される。  だが、何度も何度も複製を繰り返すうちにDNAには異常が生じることがある。何度も使われてボロボロになった設計図が正しく読み取れないのと同じだ。  そうなったら本来の設計通りの細胞は作られない。どこかに欠陥のあるものができてしまう。ただ、このような異常は生体内ではよくある話だ。数十兆個の細胞で構成されている人体全体では、実は、毎日数千個単位で遺伝子の病変は生じており、それでも健康な人の場合は一般に、体内に生じた遺伝子が病変した細胞を、何らかの仕組みによってコントロールすることに成功している。  コントロールとはすなわちアポトーシス――欠陥を持った細胞の自殺である。不要なものは自ら死んでいく。それこそが命を最上の状態に保つための手段なのだ。だが、そのプログラムされた細胞死が何らかの原因で起こらなくなったとき。次々と欠陥を持つ細胞が増え続け、正常な細胞を浸食していく。その浸食は臓器全体に及び、まるで寄生虫のように宿主を乗っ取っていく。  書き換えられた設計図が生むのは欠陥住宅。その家が崩壊するのは時間の問題だろう。まさに時限爆弾――これが癌だ。  癌細胞は貪欲な細胞だ。  自死することがない。無限に増殖する。正常な細胞が得るはずだった栄養すら全て吸い取っていく。最終的には自らの破滅を招くとも知らずに、貪り続けるのだ。命の灯火を。
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