雲海のクジラ

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 私は、落ち込むことがあったりすると、よくこのカファテリアを訪れる。  お気に入りの席は、8テーブルあるテラス席の奥から2番目。空いているときはいつも同じ場所に座る。残念ながら先客が居たので、隣の席に座ることにした。カプチーノを注文し、テーブルに頬を突きながら、外の景色を眺める。高層ビルの10階にあるこのカフェは、お昼時でも、それほど混雑しないので重宝している。  眼下には、サラリーマンらしき人達があくせくと動き回っているのが見える。脇目も降らず、一体みんなどこへ行くのだろう。上から眺めている私のような人がいることなど考えもせずに、仕事に精進しているのだろうか。  仕事、仕事、仕事。  また気分が沈んできた。せっかく久々に取れた有給休暇なのに。私の世界は、書類の束と、上司の怒号と、訳の分からないクライアントの対応で、埋め尽くされていた。  肩甲骨周りは、重石を何重にも吊るされているんじゃないかってくらい、鈍重な動きしかしない。大きく肩を入れてみるとゴリゴリと鳴る。こうして座っていても、たまった疲れが、私の頭を痺れさせる。  スローダウンした思考回路で、ぼうっと空を見る。空は、青く綺麗に澄み渡っていた。ちぎれた雲が点々と散らばっていて、良い塩梅のコントラストになっているなとしみじみと思った。  小さい頃は、あの雲の上に乗ったらどんな気分だろうとか、よく想像したな。真ん中に穴が空いている雲があったら、あの空のドーナツは誰が食べるんだろう?とかも想像した気がする。そんなどこまでも広がる天上の世界がきっとあると信じていた。  子供の頃のように、空想に浸ってみようか。ちょうど、あそこにいい感じの雲がある。小さくて細長い雲が、何重にも重なっていて、まるで鰯の群体みたいだった。風に吹かれて、まるで泳ぐように流れていく。風の方向が変わると、何匹かの白雲が、泳ぐ方向を変えていき、後から続く雲は、それに倣って、ついていく。青い空をのびのびと泳いでいるようで、気持ちよさそうだ。 なんだか、だんだん本当に魚の群体のように見えてきた。微かな揺らぎも、ヒレをはためかせているように見えてくる。  水族館の大水槽を眺めているかのように空を眺めていると、その魚の群体に、わりと大き目の入道雲が近づいてきた。ああ、と私は嘆息する。かわいそうな魚の群体は、あの雲に飲み込まれてしまって見えなくなってしまうだろう。  しばしの現実逃避もこれで終わりか――。そう思ったとき。    ザブン――。  その入道雲から、真っ白なクジラが飛び出し、大きな口を開いて、その魚の群れをまるごと食べたのだ!  私は目を見張った。  その白いクジラは、そのまま入道雲に潜り、見えなくなった。入道雲は、何事もなかったように、風に吹かれて、ゆったりと動いていた。  私は、しばし固まったが、ハッと気付いて、周囲を観察した。だが、何の騒ぎにもなっていない。眼下の、サラリーマンたちをみても、誰一人空の上に気をまわしているような人は居ないように見えた。  今のは何?幻覚?  ついに私の頭が、疲れからおかしくなってしまったのか?誰も見えていないのか?  混乱する私の耳に、ふいに声が聞こえてきた。 「お母さん、クジラがいたよ!」  そちらを振り返ると、3席ほど離れたテーブルに、20~30代の女性と、3、4歳ほどの女の子が座っていた。女の子は、母親と思われる女性の手を引っ張り、空を指さす。 「クジラだよ!」  母親は、そちらを一瞥して、ああ、と頷き、 「ねー、まるで大きいクジラみたいだね」と返した。  女の子には、今の光景が見えていたのか。母親は、どうやら女の子が入道雲をクジラのような形だと思って騒いでいるのだと勘違いしているらしい。  私は、それを見てふいに合点がいった。 空想じゃない。私達は、いつの間にか自分で視える世界を狭めていただけなのだ。小さい時には見えて、大人には見えないだけなのだ。雲の中を泳いで、空の魚を食べるクジラだって、空に浮かぶ大きなドーナツを食べる天上人だって、いるはずだ。きっと、雲の上を歩くことが出来る場所だってあるはずだ。 この広い世界に比べて、私の悩みのなんと矮小なことか! 私は、軽く伸びをして、深く息を吐いた。なんだか肩の荷がおりたようだった。  お会計を済ませ、私はステップをしながら、帰路についた。仕事が無理なら、辞めてやろう。旅に出るのもいい。そうして、子供の頃のように、心の感じるままに世界を見てみるのだ。そうして、いつか雲に乗って、魚の群れを捕まえて、あの白いクジラに食べさせてあげるのだ――。
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