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「うわあ……グロテスク」  三時のお茶を終えた後の台所にて、娘の朔夜が低く呻きを上げる。  眉を顰めた彼女が紅樺色の目で凝視するのは、シンク内に置かれたステンレス製の桶の中身。  そこに張られた氷水の中では、大量の小魚が隙間なくひしめき合っていた。  ピクリとも動かず、氷水の中でただ揺らぐだけの無数の小魚。  生気の抜けた無数の鈍色の目はそれぞれに、桶の中から茫然と虚空を見詰めている。  その光景は、言われてみれば確かに、不気味とか不穏とかグロテスクだと思われても仕方のないものかもしれない。  思い返せば、かくいう私も、幼い時にこの光景を目の当たりにした時は、あまりの恐ろしさに泣いてしまったものだ。  そんな、実に素直な感想を述べた娘に対し、「姉さん」と非難めいた低い声で呼び掛ける者がいた。息子の(マドカ)だ。 「叫んだら、父さんが起きる。あと、その感想は魚に失礼」 「あ、ごめん」  マドカに窘められて、朔夜がすかさず天井を仰ぐ。  彼女が気に掛けるのは、二階にある夫婦の寝室で、そこでは我が家の大黒柱が、今も眠っている筈だ。 『気管支と腹の具合は問題なし。ですが、発熱のせいで、どうにも頭が冴えず、体に力が入らなくていけない。それに悪寒もあります』  今朝、覇気のない顔で体調不良を訴えたつれあいは、食事とトイレ以外はずっと、寝室のベッドに籠もっている。  風邪の症状は酷くはないものの、抉れる前に治したいのだろう。 「もうすぐ秋分の日。ウチの男性陣は、この時期に体調を崩しがちよね。マドカは大丈夫?」  先程、朔夜が『グロテスク』と表したものを一匹ずつ、丁寧に下ごしらえをしながら、隣で同様の作業をこなす息子に尋ねる。 「今は平気」  カウンターの向こうでは、朔夜が「うわあ、水が脂と血で汚れてきた」と実況するが、それを聞き流したマドカは、端的に答えた。 (『今は』?)  まるで、『後で体調不良を起こすかも』とでも続きそうな、含みのある言い回しである。 「じゃあ、今後体調を崩さないよう、気を付けないとね」  息子の発言はなんとも引っ掛かるが、敢えて不問とし、無難な返事をしたが、胸中では、つれあいだけではなく息子にも滋養をつけさせよう、と決意したのであった。
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