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「おはようございます」 「「おそよう、父さん」」 「……」  フラフラと覚束ない足取りでつれあいが居間に現れたのは、普段の夕食の時間を少し過ぎた午後七時半のことだ。  窓の外はもうすっかり暮れているというのに、それは正解なのかと首を捻るようなつれあいの挨拶に、子ども二人も謎の挨拶を返す。  いつもならば、おかしな言葉は使うな、と冷厳に窘める父親なのに、特に何を言うでもなく、真っ直ぐに台所にいる私の所に寄ってきたところを見ると、余程風邪に参っているようだ。 「お夕食はどうなさいますか?」 「いただきます」  そうだろう。彼の腹が盛大に鳴っている。  夕食は、もう既に食卓の上だ。  ご飯、葱と根菜とツミレがたっぷり入った味噌鍋、鰯のさつま揚げ、鰯の生姜煮、生姜醤油で食べる鰯の刺身と、見事なまでに鰯尽くしである。 「いただきます」  バランスよく取り分けた料理を前に、家族四人で揃って挨拶をすると、それぞれが好きな物から箸を付け始めた。  子ども達は矢潮さんが起きるまで夕食を待っていたから、その分、お腹を空かせていたらしい。ガツガツとよく食べる。  病人のわりに、矢潮さんも食欲はあるようで、鍋もののおかわりを何度もしていた。 (よかった。これだけ食べられるのなら、恢復もすぐね)  矢潮さんもしくはマドカが寝込むと、酷い時は食事も水分も拒絶することがある。  外界からの刺激を拒むかのように只ひたすら眠り続け、そして、起き上がれるまでに恢復したら、今度はそれまで食べなかった分を補おうと、大量に食べるのだ。  逆にお腹を壊しやしないかとか、そのあまりにも荒々しい食べ方に、しまいには看病をしている私さえも取って食いやしないかと、毎度ヒヤヒヤさせられる。  だから、体調を崩したつれあいが、それでも食事をしてくれるのを見られて、安心した。 「残念です。麦焼酎や熱燗と一緒に食べられたらよかったのに」 「風邪が治ったら、また作りますよ。だから、早く良くなってくださいね」  発熱故か、それとも熱いものを食べているからか、つれあいの顔はやや赤い。  でも、まあ、酒と一緒に、と言えるくらい食欲があるのなら、体調なんてすぐに良くなるだろう。 (それにしても、やっぱり親子ね)  父子三人、食の嗜好はそれぞれ違う。  それでも、不思議なことに、特に気に入ったものはわりと似ているし(今日は三者共に、さつま揚げがお気に召した模様)、食べ方の仕方もそっくりだ。  好きな物を食べる時は、夢中で味わっているのか、咀嚼する間は無言で、口角が僅かに上がっている。  そこそこ気に入ったおかずはマメに口に運ぶし、一口が大きいところも同じ。  逆に苦手なものを食べた直後は、ご飯で口直しをしているのも一緒だ。  それでも皆、出されたものはしっかりと完食してくれるのだから、作り手冥利に尽きる。 「ねえ、朔夜、どうだった? 美味しかったでしょう、カタクチイワシ」  数時間前、桶の中のカタクチイワシを見た際に、その味を疑った朔夜に尋ねると、彼女は皿に残っていたツミレを口に運び、笑顔で頷いた。 「お父さん。今日のお夕食に使った鰯、マドカだけじゃなくて、朔夜も下ごしらえを手伝ってくれたんですよ」  食後の緑茶を飲んでいたつれあいは、日頃になく料理の手伝いをした娘に、頷いて見せる。  差し詰め、『よくやった、今後も精進するように』と云ったところか。  口下手な矢潮さんがそれを告げることはなく、朔夜もフイと彼から顔を背けたが、その耳が真っ赤に染まっていたから、彼の言わんとすることは大方伝わったのだろう。  やがて、空っぽになった皿が目立つようになった頃、矢潮さんが箸を置き、両手を合わせた。 「ご馳走さま、朔夜。ゆづるさんとマドカも、ご馳走さま。美味しかったです」  丁寧に礼を述べる矢潮さんに、私達は顔を見合わせる。  その後に返す言葉は、勿論、決まりきっていた。 「「「お粗末さまでした!」」」  私達の命を繋ぐ糧となってくれた命へ、感謝を籠めて下ごしらえをして、大切なひとが元気に過ごせられるよう、想いを籠めて料理する。  できたご馳走は、感謝と共に、残さず綺麗に、最後まで美味しく食べた。  だから、もう大丈夫。  明日はきっと元気になって、素敵な一日を迎えられる筈だ。
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