あの日出会った・・

1/1
前へ
/1ページ
次へ
ある朝、私はいつもと同じように会社に向かう。その日の朝はとても寒く 天気には恵まれていたが地面はガンガンに凍っていた‥。 会社に着き私はいつもと同じように 車を降り会社の玄関に向かおうと歩き始める。 だけどバランスを崩してしまい 転倒し歩けなくなり‥。 近くにいた人に助けてもらい椅子のとこまで運んでもらった。 そして私は父に電話をし近くの病院へ‥。 けれど診察の結果、右足を「骨折」と 診断され、ここでは手術は出来ないと言われ救急車で大きな病院へ運ばれていろんな検査をし、その日に右足の手術をした。「全治3ヶ月」。 「剥離骨折」という名前の複雑骨折に似てるほど骨が粉々になっていた。 そして靭帯も切れていた。 一回では手術が出来なかったため 一週間~10日くらいの間で2回目の手術をした。 私は骨折してから約1ヶ月半病院で 過ごした。 最初はあまりにショックで毎日泣きたいくらい、夜は特に救急車の音などに反応して不安で心配でたまりませんでした。 なかなか夜は寝れないですし これからのことが不安で心配で… でも、お見舞いに来てくれる両親や 親戚の人や職場の友人などに励まされる時もあり、運のいい日は嬉しい出来事もありました。 それは節分の朝に病室の窓からですが 山からきれいな朝日を見ることが出来ました。 その朝日のパワーに勇気と希望をもらって前より元気になりました。 もう1つ嬉しいことは朝日の写真をNHK私の旬というテレビの写真コーナーに投稿してテレビに写真が載ったこと、そして入院中に投稿した写真や退院してからブーケの写真を投稿したところまたまた写真がテレビに載ったので嬉しいかったです。 今までホームページにしかたまにしか 載ったことがなかったので・・。 何だか夢のように嬉しかったですし 励みになりました。 そして2回目の手術の後に少しずつ リハビリも始めていきました。 何とか未来に希望の光が少しずつ見えてきました。 6月に友人の結婚式で祝辞も頼まれていたので、頑張ってリハビリして友人の結婚式に出席するぞ!と目標があったのでより頑張れました。 そして病院は1ヶ月半で退院しました。まだ右足はつけないので退院してからの生活が思っている以上に大変でした。 特にトイレ、お風呂など…。 そしてリハビリと骨の経過をみながら 少しずつ足も荷重し松葉づえで歩けるように毎日練習をしました。 ようやく足をつけて自分の足で歩けるようになり無事に友人の結婚式までに歩けるようになって良かったです。 よい結婚式を迎えられてスピーチを無事に終え花嫁さんからブーケをもらい、とても素晴らしい結婚式で良かったです。 そしてある時、気づいたのです。 骨折したあの日私が出会った男性…。 手術をしてくれた私の主治医の先生のことが好きということに…。 初め出会った時は何か見たことあるけど何とも思っていませんでしたが 優しくて親身になって話を聞いてくれる姿にだんだんと主治医の先生のことがじわじわと好きになっていました。 退院してからも診察日が近づくと 嬉しくてたまりませんでした。 会うとドキドキよりもどちらかというと安心感があり優しくていつも親身に聞いてくれる先生に会うのがいつも楽しみでした。 運命のジンクスの条件にもいくつか 当てはまっていたので、もしかしたらこの人が運命の人かも…と思ったことがありました。が、その主治医の先生をスマホで調べてみると…。 Facebookで写真が…。 写っていたのは先生一人でしたが 左手の薬指に指輪が…。残念。 そして暫くして私の担当だった主治医の先生は遠くに転勤になりました。 私はショックでした。でも本物の運命の人が現れる前の前兆だったのかもしれません。 私の運命の人…。 いつか必ず出会うその時まで…。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加