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第13話
音が鳴っていた。景色が景色を塗りつぶす音。世界が世界を引きつぶす音。目の前でそれが繰り広げられていた。今まで見ていたうらぶれた北国の田んぼ道の一部が金色の草原に変わっていく。
小佐野は確かに言った。《路》が開くと。
「うわぁあああ!!」
古津鹿が小佐野に斬りかかった。淡く金色に発光する小佐野に。
しかし、それは甲高い音と共に弾かれてしまう。古津鹿の攻撃はやはり効かない。
他の駆除屋たちもやはり攻撃を試みるが全て無駄だった。全て小佐野には効かなかった。
「路が開くって....今ここでなんですか!?」
俺は九条に言った。
「分からない、分からないことだらけです。そもそも路が机上の空論なんです。それが開くとなった時になにが起きてなにが失われるのか皆目分からない。とにかく間違いないのは今あそこにはこの世のモノでは無い量の跳流が溢れていて、あの景色も明らかにこの世のモノでは無いということだけです」
九条をもってしてもこの状況は意味不明なのであるらしかった。九条の知識の中には無いことが起きているのだ。
今も駆除屋たちは果敢に小佐野に攻撃しているが全て通用していなかった。そして、小佐野の方の変化も止まった。一体何が始まるのか。
そのときだった。
-コツコツコツ
足音がした。俺の後ろからだった。足音自体はなんの変哲も無いものだ。しかし、やけに響いた。やけに耳に残った。何故だかは分からない。俺は振り返る。そこにはワゴンの後ろから一人の男が歩いてきたところだった。
別段特別な調子は無い。ただ、歩いているだけ。
よれたシャツにあせた色のズボン。黒縁めがねをかけた顔は何歳なのかよく分からない。表情は暗い。男は恐ろしく陰気だった。
その男が歩いて行った。まさしく、小佐野のところへと。それは異常だった。この状況で男がなんの躊躇も無くあの戦いの中へ向かっていくというのは。
それが意味するところはひとつだけだった。
「管里誠一郎!!!!!」
九条が叫んだ。それと同時に九条は腕を上げた。跳流術が発動する。赤い光の筋が男に向かって放たれた。しかし、
「そいつはいけねぇな」
小佐野がひとつ指を振るとそれは消え去った。
男は九条の攻撃に一瞬目を向け、そしてまた歩き始めた。
そこで、ようやく全ての駆除屋が男を認めた。男を、管里誠一郎を。
この男が全ての元凶であり、俺たちが探し求めていた男だった。
「管里....」
古津鹿も険しい表情で管里を見ていた。いや、古津鹿だけでは無い。ここに居る駆除屋全員だ。しかし、もう数は少ない十数人ほどしか残って居なかった。
「大分減ったようだな」
そして、管里は口を開いた。
「ああ、減らしといた。さすがにこんなに大勢の中にあんたが来たらまずいだろう。にしても開くなら開くって合図してくれよ。もうちょっと適当なとこに移動したぜ」
「ここで問題無いと思った。だから開けた」
「はいはい、あんたの言うことに間違いはありませんよ」
そして、管里はぐるり、と駆除屋たちを見た。これといって圧がある訳では無かった。睨まれて動けなくなると言うような、底知れない何かが宿った瞳だというような、そんなことは無い。陰気なおっさんのただの視線。それが、ある意味で異常だった。
「あんたが全ての元凶!!」
古津鹿が叫び、刀を振るう。刀身が伸び管里の足を狙った。しかし、あえなく小佐野の足に弾かれた。
「く....」
せっかく、ようやく管里が目の前にいるというのに。俺たちはなにも出来なかった。小佐野が全てを無にしてしまう。どんな攻撃も通用しない。管里を捕らえられない。俺たちはこの状況を見ているしか無いというのか。
「本当に、本当に路を開いたのか」
古津鹿は言った。純粋な疑問を管里にぶつけたのだ。
「いかにも。俺は路を開いた」
「それで《裏側》に行こうっていうわけ」
「その通りだ」
管里の返答は本当に必要最低限の内容でこの男の性格が表れているようだった。どうも俺たちと意思疎通を図ろうという気が無いように感じられた。
その時だった。
九条の携帯が鳴ったのだ。九条は携帯に素早く応答する。
「もしもし......なんですって。いや、ですが。こっちもこっちでかなりやばいです。空いている人員で住民の避難を優先させてください。くれぐれも深追いして戦闘しないように伝えてください。退避が最優先です」
九条は電話越しにまくし立てるように言っていた。
そしてサイレンが、警報発令を示す町中に設置されたサイレンが鳴り響く。
『市内の皆さん。市内全域でデブリの異常頻出が確認されました。誘導員の指示に従いただちに市外へ避難してください。デブリの出現量、範囲ともに過去最大となっています。ただちに避難を開始してください。繰り返します.....』
九条は変わらず電話で指示を飛ばし続けている。なんだ、なにが起きたんだ。
「まさか、デブリが出まくってるの? この跳流のせいで」
「そういうこった。路が開いて大量の跳流が今この街には流れ込んでる。それでそこら中で片っ端からデブリに変化してんだな」
「なんですって!」
街中でデブリが発生しているというのか。それは街の人々が非常に危険だということだ。非常時に備えて十人ほどは駆除屋が待機しているはずだが街中なら彼らだけでは対処出来ないだろう。だから、九条は退避を優先だと言っていたのか。これではとにかく逃げるしかない。路が開くとろくでもないことが起きる、と古津鹿は言っていた。本当だった。とてつもなくまずいことが起きている。
「それから......もしもし? もしもし? どうしました? 答えてください後藤さん!!
」
九条の様子がおかしい。電話が繋がらないのか。いや、まさか向こうの人間がデブリに襲われたのか。
「心配すんなよ。ただ単に人間は全部跳流になっただけだ」
「なにを言っているんですか....?」
九条は理解出来ないといった調子で小佐野を見た。
「《裏側》と繋がって、跳流も流れ込んだこの街は今恐ろしく不安定だ。半分は《裏側》になってるって言っても良い。だから、耐性の無い人間は跳流に昇華されちまうのさ」
「そんな、この街の人間がみんな消えたって言うんですか」
「そういうこった。でも、死んだわけでも無い」
九条は唖然とした。今俺たちはおのおののものや、この車に付けられた結界なんかで人間の形を保っているということか。そして、そういうことをしていない人間たちはみな跳流に変わって消えたというのか。死んだわけでは無いといっても生きているとも言えないじゃないか。
「くそ.....」
そこで、古津鹿が呻いた。
「目測が甘かった。作戦が甘かった。私たちの責任だ」
古津鹿は後悔していた。確かに状況は最悪だった。
「貴様らの責任では無い。ただ単に、我々の方がはるかに上だったというだけだ」
「なんだと」
「《神懸かり》だ。小佐野が居たおかげで、お前たちからすれば居たせいで状況は最初から一方的だったのだ」
管里はその陰険な瞳で古津鹿を見ていた。
「そもそも朝州で発生していたデブリ、その大本はこいつが作った。そして、その作られた『デブリを作るデブリ』を使って計画は進められていた。こいつは跳流を完全に制御出来る。それはすなわち、デブリも完全に制御出来ることに他ならない」
「彼女が全ての発端ってわけ」
「そして、俺の計画は《裏側》をこちらに近づけ路を開く上で最高の条件を整えることだった。そのためにデブリを蒔いた。そうして街に跳流を満たしていった。跳流が増えればそれだけ街の環境は裏側に近くなる。路を開きやすくなる。そして、その跳流を使えば世界に穴を穿つことも出来る」
つまり、デブリの異常頻出そのものがこの街で路を作るための大がかりな下準備ということか。そこまでは九条たちも予想はしていたのだ。だから、俺の右手でそれを乱して邪魔をした。
「あとは裏側をこちらに近づけなくてはならない。そのためには不確定存在の観測をこちらに向ける必要があった。そのために行ったのがお前たちのデブリとの戦いであり、先ほどの巨大デブリの精製だ」
「私たちが戦っていたことそのものが計画の一部だったっていうの」
「不確定存在は大きな跳流の流れとそのぶつかりに惹かれる。故に貴様らがデブリと戦えばこちらを観る。そして、あれほどの巨大デブリが現れ、あれだけの駆除屋が戦えばもはや観測は絶対となる。あの白い雨も空間の固定に関する術に補助的な効果をもたらすものだった。こうして、《裏側》はこちらに寄った。さきほど路を開く条件が整った。《青い月》が満ちるにはあと一日足りんがこれだけ整えば十分だ」
「なんてこと」
「その青年の右手はこちらの計画にわずかに狂いを生じさせたがな。最終的な成功は間違い無かったが遅延は必死だった。少々手を焼いた。しかしやはり少々だ。決定的では無かった」
古津鹿は唸った。つまり、俺たちのこれまでの行い全てが管里の手のひらの上だったということではないか。俺たちはずっと踊らされていたのだ。最悪の話だ。
「だが、お前たちに抗う術など無かったはずだ。路の開き方など、条件などお前たちに分かるはずも無い。デブリが出たなら誰かが襲われる。戦わなくてはならないだろう。加えれば、もしお前たちがこちらの意図に気づき抗ったとしても最終的には小佐野で強引に条件を揃えることも出来る。お前たちは限られた情報と条件の中で最善を尽くした。だが、残念ながら初めから詰んでいたのだ」
愕然とする。しかも、管里の目には口調には敵意も嘲りも無かったのだ。ただ、淡々とこの男は話した。下手すれば純粋に労ってさえいた。俺たちの健闘を讃え、敗北に同情していた。なんなんだこの男は。どういう精神構造をしているんだ。どうして、敵であるはずの俺たちにそんな目でそんなことが言えるんだ。
「ふざけるな。お前がどうしてそんなことを言える。全ての元凶のお前が!」
そして、九条は叫んだ。
「確かにな。俺が言えた立場では無い。失礼した」
管里は平然と言った。本当に、なにを言っているんだこいつは。
「なんだ。お前はなんなんだ!! お前が何人殺したと思っている。どれだけの人生をぶち壊したと思っている!! なにを平然と真人間面してやがる!!!」
九条は激情のままに術を放った。古津鹿も、そして周りの駆除屋たちもそれは同じだったようだ。武器を振りかざし、術を使い、管里に殺到する。しかし、当然のように全て小佐野にはじき返されてしまった。
「すまんな」
そして、管里はまた言った。
なんだこいつは。こんなに綺麗に、最悪の形で人を侮辱するやつを俺は見たことが無い。
「すまないなんて思ってないでしょう。あんたが私たちに対してもそんな言葉が言えるのはあんたは私たちなんてどうでも良いからだ。どうでも良いから機械みたいに必要だと思う言葉を吐き出してるだけだ」
誰もが怒り屈辱に震えながら、同時に目の前の男に畏怖に似た感情を抱いている中、古津鹿が管里に言ったのだった。
「直に見て分かった。あんたは誰ともまともに関わる気が無いんだろう」
古津鹿の言葉にさえ管里は眉一つ動かさなかった。
「いかにもその通りだ。俺はこの世の一切合切に興味が無い。いや、もっと言えば不快感を持っている。だから、まともに関わりたくないのだ」
管里は変わらない淡々とした声で言った。
「人は不快だ。ただただ不快だ。私の人生において人の存在がプラスに働いたことなど一度も無い。俺の人生に関わろうとするものは邪魔であった。親の愛は俺の人生を歪ませる。友愛は俺の生活の循環を乱す。属する組織の人間はただただ俺の毎日を拘束する。他人はただただ俺の人生において害でしかない。そして、そういった人間が作る社会というものは私にとって巨悪でしかなかった。不快な神のようなものだった」
「だから、裏側に行くことにしたのか」
「その通りだ。この星は今やそういった神が支配している。その手から完全に逃れられる場所はどこにも存在しない。どこまで行っても、たとえ秘境や極地に行っても0.数パーセントは可能性が残ってしまう。それは我慢ならない。俺はただただ、この世界が嫌いなのだ。この世界から逃げ出したいのだ。だから、俺は裏側に行くのだ」
「なんてやつだ」
古津鹿の言う通りだった。この男は異常だった。正直、裏側に行く、路を開く、そんな大層なことをするのなら大層な理由があると思ったのだ。裏側に行ってこっちでは手に入らない力を手に入れるとか、路を開いて誰かに復讐するとか、そういった異常でも人間性のある理由だと思っていたのだ。だが、こいつが裏側に行く理由は圧倒的に個人的なものだったのだ。ただただ今居る場所が気に入らない、だから場所を変えるという理由。ただただ自分の個人的な感情のため。そのためにこの男はこの街をデブリまみれにし、路を開き、住人を消したのか。今まで全国各地で事件を犯し、人を殺し、何人もの人生を破壊してきたというのか。こいつは、間違いなく俺が今まで見た人間の中で一番イカレていて、一番クソ野郎だった。
「なるほどね。つまり、あんたはなにがなんでも倒さなくちゃならないやつってわけだ」
「お前たちからすればそうだろうな」
古津鹿は管里の足を狙って抜刀した。
「おら!」
しかし、小佐野に防がれてしまった。
「ちくしょおお!!」
みなが攻撃を試みるがことごとくが小佐野に防がれる。倒す理由がこの上無いほど明確になったというのに俺たちはこの男に指先一つ届かないのか。
「管里!!」
古津鹿が叫ぶが管里は小佐野の横に立った。このままでは、
「小佐野。路を固定する」
「ああ、空間的に路を現すってことだろ。俺が杭になる」
「その通りだ。頼む」
「了解だ」
振動があった。巨大な得体の知れない振動。それは空間そのものが震えた音だった。そして、小佐野の後ろが裂けた。まさしく景色が、空間が裂けたのだ。その向こうは金色だった。こちらからはただただそれだけが見える。これが、路。向こうとこちらを繋ぐ通路ということか。
管里はその前に立った。
「これで良いのか?」
「ああ、だがまだ足りんな」
「足りない?」
「ああ」
管里が小佐野の背中に手を置いた。ミシリという音が響く。すると途端に小佐野の体が強ばった。いや、さらに光が強くなった。まるで、跳流そのもののように金色に光り輝いたのだ。
「これで良い」
「......おい、管里。これは俺のカミサマとの繋がりがより強くなったみたいな気がするんだがな」
「ああ、より路の形を確かにするには必要なことだ」
そう言いながら管里は路へと入っていく。古津鹿が刀を振るう。しかし、小佐野が弾く。そして、そのまま小佐野は管里に手を伸ばした。しかし、その手は弾かれた。路の入り口に小佐野の手が弾かれたのだ。小佐野の侵入が拒まれたのだ。
「すまんな。跳流は出ることは出来るが入ることは出来ない。そういう風に作った」
「.....ははは。管里」
その言葉を聞いて小佐野は全てを悟ったようだった。
「お前がカミサマを殺しても俺は人間に戻れないな?」
「ああ」
「お前がカミサマを殺したら、俺も死ぬんだな?」
「ああ、その通りだ」
管里誠一郎は先ほどまでとなんら変わらない、淡々とした口調で言った。
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