第2話

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第2話

ーピピピ、ピピピ。  電子音が鳴る。スマホからだ。目覚ましである。朝になったらしい。新しい一日の始まりであった。  俺はゆっくりと目を開ける。時刻は6時。冬の朝は恐ろしく寒い。まったく布団から出る気がしなかった。俺は自分の住居たる1DKの白い天井を見上げながらしばらくぼーっとした。だが、いつまでもこうしてはいられない。なんとか意を決し、俺は布団から這い出た。予想通り寒い。大分厚着をしているがそれでも寒い。急いで居間まで行き、電気を点けてストーブとコタツのスイッチを入れた。部屋が暖まるまでは数分かかる。俺は肩を抱いて震える。窓の外はまだ薄暗い。仕事は8時半からで、15分ほど前には会社に入る。通勤時間は20分なので8時前に家を出れば良いのだ。俺はこの朝の2時間ほどをのんびり過ごすのが日課だった。テレビを点け、トースターにパンを入れて、フライパンで卵を焼く。頭はまだぼーっとしていた。テレビでは朝のニュースが流れている。半分寝ている俺の頭には思うように入ってこない。見たようなニュースを流している。  そして、朝飯の準備が出来ると俺はトレイに乗せてコタツに運んだ。いつもと変わらないメニューなのでこれといった感想は無い。もはやただのルーチンだ。  そこで、俺は顔を洗っていないことに気がついた。寝ぼけて忘れていた。洗面所に向かい、ボイラーをつけて温水が出るのを待つ。水から湯気が立ったのを見て俺は腕を捲り.....。捲ったところで止まった。  俺のいつもと変わらない無味無臭の朝がはたと停止したのだ。妙なものが目に入ったからである。 「なんじゃこりゃ」  それは、俺の右手に発生してるものだった。具体的に言うと、俺の右手に謎の入れ墨が掘られていたのである。  俺はとりあえず頬をつねった。夢かどうか確認したのだ。こんな漫画みたいなことをするのは生まれて初めてだった。痛みはしっかりある。現実だった。  つまり、謎だった。まったく意味不明だった。この入れ墨は一体なんなのか全然分からなかった。昨日までただの男のガサガサの右腕だったのに突然肩まで掘られた入れ墨が現れたのだ。  しかも妙な幾何学模様で、入れ墨にしてもおしゃれさというものがまるで無い。 「ん....?」  が、俺はこの模様になんだか見覚えがあった。  そして、ここでようやく俺の頭は覚醒を始めた。ようやく、半分寝ている頭が活性化し始めたのである。  そして、昨日あったことを急激に思い出した。  そうだった。俺は昨日メチャクチャな事態に巻き込まれたのだ。仕事帰りに、突然。  なんとか事無きは得たのだが異様な出来事だった。あのデブリと駆除屋の戦いから一晩明けたのだ。  デブリは首を落とされ、その首は金色の霞になって俺に迫った。俺は叫ぶ。 「うわぁああ!!」  右手を前にかざしたが何の意味もなくそれは俺にぶつかった。ぶつかった、だがそれだけだった。 「ん?」  これといってなにも起きはしなかったのである。 「ちょっと、大丈夫?」  そんな俺に女は近寄って来た。かがみこんで俺の様子をうかがってくる。しかし、体にこれといった異変は無かった。痛みもなければ違和感も無い。至って普通だ。それはそれで妙な気もしたがとりあえず異常なしだった。 「なんとも無さそうだけどな」 「本当に? ただの死に際の悪あがきだったってことかしら。でも、それにしちゃあ妙に嫌な感じの鳴き声だったけど」  女は怪訝そうな表情だった。しかし、実際俺は何とも無いのである。  とりあえず、状況は解決したらしい。デブリはこの女が見事に討伐したというわけだ。そして、俺は何だかんだ助けられたということか。 「お、あの。どうもありがとう。助かったよ」 「ん? ああ、全然気にしないで。これが仕事なんだから。むしろ、向こうで見つけたのを逃がしたせいでこっちに来たようなもんだし。単に自分のへまの尻拭いしただけよ」 「それにしたって命は助けてもらったわけだし」 「そう? なら、その感謝はありがたく受け取っとくわ。でも、気持ちだけで良いから」 「でも、命の恩人なわけだし」 「本当に良いから。市からの仕事の一貫でしか無いから。例なら役所に言ってよね」 「ああ、そうか。分かったよ」  命を助けてもらったわけだから、仕事場の住所でも聞いて菓子折のひとつも持っていくべきかと思ったが女はきっぱり断った。なんとなくさっぱりした女だという印象を持った。  と、ザクザクと凍りかけた道路を踏み鳴らす音が聞こえた。見れば男が一人こちらに向かって来ていた。 「九条。遅いわよ」 「おや、もう終わってましたか。申し訳ない」  男はスーツで、そのの上からコートを羽織っていた。なんというか、営業マンとかそういった感じの雰囲気だった。というかうちの会社の営業担当とまんま同じような服装だった。違いと言えばこの男のスーツはやけに安っぽいといったところか。男は俺の前まで来ると軽く会釈した。 「こちらは」 「現場に偶然居合わせた一般の人よ。いわゆる被害者ね」 「おや、そうでしたか。お怪我はありませんか」 「ええ、お陰さまで」 「それはよかった」  男は柔らかい笑顔を浮かべて言った。 それから男と女はいくつか状況確認のような内容の話を交わした。なにがあったかとか結局どうなったかとかそういった話だ。業界の話のようで俺には良く分からなかった。俺はただ呆然と今しがた巻き込まれた状況を整理するので精一杯だった。何があったか、どうなったかを考えて頭を落ち着けることを繰り返していた。 そして一通り話すと男はそんな俺に話しかけてきた。 「体に別状は無いとのことですが、この後は病院に行ってください。ああ、その前に警察が来るのでその聴取も受けていただく必要もあります」  男の言ったとおりでものの10分ほどで警察が来て簡単な事情聴取が行われた。怪我がどうとか、なにがあったかの確認とか、突っ込んだ車の事故の扱いとかそういう話だった。そしてそれが終わると駆除屋の二人は去っていった。あっさりしたものだ。そして、実に手際が良かった。もう何回もこういうことを行っているのだろうと思われた。  去り際に男が男は内ポケットから名刺入れを取り出し俺に名刺を差し出した。 「医者に異常が無いと言われて家に戻って、それでも何かの異常があった場合は私にご連絡ください。ご相談に乗りますから」  名刺には『吉村デブリ駆除㈱ 朝州支店実務課第2係長 九条六之助』とあった。  そして女が、 「縁があればまたね」  と言った。軽く手を上げ笑顔だった。俺は気持ちの良い去り方であるなぁ、などと間抜けな感想を抱いたのだった。  それから、車が突っ込んだ飲み屋との保険の兼ね合いだのを済ませ、医者に行って体に異常が無いことを確認し、俺はようやく帰宅したのだった。  帰宅して風呂に入ったらそのまま俺は寝た。  そして、今だった。  医者はなんとも無いと言った。だが、残念ながら異常有りだ。昨日までなんの変哲もなかった俺の腕には前衛芸術のような模様が刻まれてしまっているのだ。なんてこった。これで銭湯に入れてもらえない、とか思っている場合ではない。  この模様がなんなのかはっきり思い出した。これは昨日のデブリの体に刻まれていた模様だ。まんまである。細かいところまでは覚えてはいないが大体そのまんまだったはずだ。そして、昨日金色のモヤにかざした手はこの右手だった。明らかにあの時に何か起きていたのである。  別に痛みがあるとかは無くいつもの俺の腕だったが明らかに普通では無い。  このまま会社に行ったら何を言われるか分かったものではない。いや、別にこれで犯罪者みたいな扱いをされるということも無いだろうが、不審に思われるのは確実だろう。説明も面倒だ。  とにかく明らかに俺の体には異変が起きている。すごく不気味だった。脂汗が額ににじむ。  俺は昨日もらった名刺を取り出した。  男は『医者に異常なしと言われて、それでも何らかの異変があったら電話しろ』と言っていた。状況はまさしく男が言った通りのものだった。  もはや迷っている場合ではない。俺は名刺に書いてあった電話番号をスマホに打ち込んだ。  電話で指示された場所は町外れの空き地にあるプレハブ小屋だった。いくつか似たようなものが建っており、その内のひとつが指定されたものだった。『吉村デブリ駆除(株) 現場事務所』とあった。ここが昨日の二人の拠点ということだろうか。どうやらここはデブリ駆除の業者が一同に集まった場所らしい。  俺はどこに停めたものか迷ったがプレハブ小屋の前に駐車した。と、停めたとたんにプレハブの戸が開かれた。 「ああ、待ってましたよ。どうぞ入ってください」  昨日の男だった。昨日と同じように安そうなスーツだった。係長だとかと名刺にはあったので事務方専門なのだろう。この若さで係長ならこう見えて実はやり手という可能性もある。 「どうも、よろしくお願いします」  俺は軽く会釈し中に入った。中では石油ストーブがガンガンに炊かれ実に暖かかった。俺は促されるままに応接用の机の前にかける。女の方は居なかった。まだ8時前だからだろう。まだ、始業時間ではないのかもしれない。  男はポットからお湯を注いでコーヒーを作ると俺の前に置いた。 「さて、では改めまして。九条六之助です。電話でも聞きましたが。やはり、妙なことが起きましたか」  九条は俺の向かえに座りながら言う。 「はい、こんな感じで」  俺は右手の裾をまくって腕に刻まれた模様を見せた。まさしくこれをどうにかしてもらうためにここに来たのである。正直、駆除屋はデブリの駆除をする仕事なのだからこんなもの見せてどうなるのかという疑問はあった。しかし、電話では九条はお任せください、と言ったのだ。ネットで調べれば吉村デブリ駆除(株)はどうもちゃんとした企業っぽかったので信用してここに来たわけである。  九条は俺の腕を見ると「ふむ」と言いながらまじまじと見つめた。それから「失礼」と言いながら模様を触ったり、顔を近づけて見てみたり丹念に様子をうかがった。専門家といった感じだ。 「さて、少し厄介なことになってるかもしれませんね。お仕事の方はどうされましたか」 「休みました。なので、今日はフリーですね」  会社には風邪ということにしておいた。 「医者じゃダメなものですか」 「まぁ、専門の医者なら処置できるでしょうけども、の辺には居ないでしょう。ですが、一応我々の専門分野ですからある程度のことは出来ます。対処出来なければそれこそそういった医者も紹介しますしね。で、結局それがなんなのかということですが....」  と、九条が言いかけた時だった。表でエンジン音。一台の軽四がプレハブの前に停まった。 「おや、梓さんも来ましたか」  出てきたのはあの女だった。女は寒そうに肩を抱きながら中に入ってきた。 「はぁああ! 寒い! どれだけ経っても慣れないわねここの寒さには」 「おはようございます梓さん」 「ああ、おはよう九条。って、あんた昨日の」 「ああ、どうも」  俺は軽く会釈する。と、女の目線が俺の右手に向いた。一気にその目が丸くなった。 「な、どうなってんのその右手。デブリが入ってんじゃないの」  そして、そう言った。俺には良く分からない言葉だった。デブリが入っている? この右手に? 一体どういうことか。 「さすが梓さん。見ただけで気づきますか」 「なに? 昨日やつ?」 「どうやらそのようです。昨日のデブリは死に際に最後の力で彼の右手に逃げ込んだらしいですね」  二人の会話は良く分からなかった。疑問符だ。なので俺は言う。 「あの、全然意味が分からないです」 「つまり、昨日あなたの目の前で倒されたデブリが今あなたの右手に宿っているということです」 「はぁ?」  俺は思わず失礼ほどすっとんきょうな声を漏らしていた。全然意味が分からなかった。 「全然意味が分からないです」  なので言った。 「まぁ、一般の方にいきなりこういうことを言っても荒唐無稽でしょうが、私たちの業界ではたまにある話です。いわゆる《神宿り》という状態ですね。昨日のデブリは《跳流》、エネルギーの状態に戻ってあなたの右手に逃げ込んだんです。そして、力が蓄えられるのを待っている。復活するためですね」 「い、いや。信じられないんですけど」 「まぁ、無理もありません。宿主の体に影響を与えることは少ないですから実感は無いでしょう。逃げ込んだ隠れ家が自分のせいでおかしくなっては困りますからね。普通は無機物に入って人知れず潜伏するものなんです。追い詰められて形振り構わず動いた結果あなたの右手に入ったんでしょう」 「そんな、本当の本当なんですか」 「ええ」  九条は柔らかい笑みを浮かべながら言った。実際信じられない。今も半信半疑だがこの右腕の妙な紋様が突然現れた説明はとりあえずつく。というかなに柔らかく笑ってんだこいつは。笑い事じゃないだろう。だが、とにかく聞きたいのは、 「じゃあどうやったらこいつを追い出せるんですか。入ったってことは追い出す方法もあるんでしょう」 「ええ、もちろん。あなたと同じような状況に陥った人は過去にも何人も居ましたからね。私どものようなものがそれを解く方法も編み出しています。そこそこ手は込みますが1時間もかからず追い出せるでしょう」 「そ、それは良かった」  俺は安堵した。ずっとこのままですとか言われたらどうしようかと思った。ほっと胸を撫で下ろす。ここに来て良かった。駆除屋というのはこういうことも行うのかと感心する。正直詐欺の類いだったらどうしようと心配していたのだ。 「でも、追い出す気ないでしょ」  が、唐突に女が口を挟んできた。片手にはコーヒーの入ったカップ。今この女はものすごく不穏なことを口走った。  追い出す気がない? なにが、どうして。  それを聞いた九条は相変わらず柔らかい笑顔だった。なぜだ。否定しないのか。 「梓さん。これはチャンスです。間違い無くこの状況は私たちに追い風だ」 「いや、でもこの人一般人でしょ。巻き込んでどうすんのよ」 「管里を追い詰めるには彼の協力が必要ですよ」 「だからこそでしょうが。危ない状況に陥ってこの人の身になにかあったら責任取れんの」 「そうならないようにするのが私の仕事です。そこは任せてください」  なにやら二人は軽い言い争いを始めた。俺の処遇について意見が割れているらしい。どうも、女の方は俺の味方で九条は敵だ。どう考えたって敵だ。話の流れがおかしい。 「お名前はなんでしたか」 「み、三好です」 「三好さん。今この町でデブリが異常頻出しているのは知っていますね」 「ええ、もちろん」  全国ニュースになっている話だ。朝州のデブリ異常頻出問題。毎日街のどこかでデブリが現れ、駆除屋が戦っている。 「三好さん」  九条はより一層優しい笑顔を深くした。優しすぎて気色が悪い。 「あなたの右手は恐らくこの事件を解決する鍵になります。どうか、私たちの仕事に協力していただけないでしょうか」  そして、九条はさも当たり前のことを言うような口調で言った。
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