女装レイヤー×陰キャオタク

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「英司ぃ! こっちこっち!」  友人の姿は、個室が並ぶ迷路のような創作居酒屋の、その最奥のボックス席にあった。とりあえず手招きに従い、太一が顔を出す個室に向かう。間接照明が照らす薄暗い個室には、パーティー用の大きなテーブルが一つ。そのテーブルは早くも満席で、両側に男女がずらりと並ぶ光景は、例えは悪いが限界オタクのカード大会に見えなくもない。  乾杯は済んでいるのか、早くもテーブルには空のジョッキやグラスが並び、参加者たちは酔客ならではの軽妙な歓談を楽しんでいる。その輪に今更割り込むのも気が引けたが、どのみち最初から部外者なのだ。気に病んでも仕方がない。  とりあえずテーブル隅の空席に腰を下ろす。手持ちの仕事はすべて片付け、久しぶりに気兼ねなく飲める夜。だが、今夜の目的は呑むことではなく、誰でもいいから女の子と良い仲になることだ。さっそく運ばれたビールで近場の人間と乾杯を済ますと、軽く口をつけるに留めてすぐにテーブルに戻す。 「遅かったな。ていうかお前、会社からそのまま来たのか? 土曜日なのに?」  隣に腰を下ろした太一が、スーツ姿の英司を見ながら嫌そうな顔をする。その太一は、今回の合コンに余程勝負をかけているのか、お手本のようなツーブロックと海外ブランドのジャケットとパンツ、革靴で全身をキメキメに固めている。顔は、友人の贔屓目をもってしても中の中といったところだが、衣服と髪形のバフが良い感じに働いて、今は中の上ぐらいには盛れている。 「言っただろ、今は忙しいって」 「へー。てかお前んとこさ、結構ブラックだったりする?」 「別に。たまたま案件が立て込んだだけ」  本来は暦通りに休日を取る東洋建設だが、トラブルが生じたときは休日でも対応を迫られる。とくに今日はムンバイの工事現場で生じた損害の後処理に追われ、さっきまで地獄のような忙しさの中に英司はいた。  そのことは事前に太一にも伝えていたが、それでも遅刻には変わりない。  今回の女性陣は、太一の同僚が大学時代に親しくしていた友人グループで、太一ですら初めて会う相手らしい。全体的に華やかな印象で、少なくとも、ご同類の臭いは全く感じられない。 「でもよかったな。早めに仕事が片付いて。ねぇ真奈ちゃん」 「ええ。私、ずーっと心配していたんですよ。このまま水沢さんが来てくれなかったらどうしよう、って」  向かいに座る女性が、唇を尖らせて相槌を打つ。いかにも女性らしい丸みのある顔立ちを、つややかな栗色の髪と、秋色の落ち着いたメイクで彩る大人の女性だ。服装もメイクも洗練された、世間一般の基準で言えば充分に綺麗な女性。少なくとも、ガチオタだった大学時代の英司なら絶対に知り合えなかったタイプの異性だ。 「ほら、彼女が俺の言ってた子。――お前の顔、ドンピシャなんだとさ」  顔を寄せ、耳打ちする太一を英司はうんざり顔で一瞥する。この男が勝手に写真を流用したことを、今も英司は許していない。ところが太一は、そんな英司をよそに真奈と呼ばれる女性に向き直ると、TVショッピングのセールスマンの口調で英司の紹介を始めた。 「――で、こいつ、見た目はチャラいんだけどかなりの奥手で。とりあえず、浮気の心配はゼロなんで安心しちゃってください」 「えー、全然遊んでる感じ。ねぇ水沢さん、今の話、本当なんです?」 「え、ええ、まぁ……」  泡の消えたビールを舐めながら、英司は曖昧に頷く。  英司は、自分をモテるタイプだとは思っていない。それは謙遜でも何でもなく、偽りのない英司の自意識だった。  大学時代まで絵に描いたようなオタクとして生息していた英司は、当時は異性とは知り合うどころか、ろくに話す機会すら持たなかった。その、青春期に培われた非モテとしての自意識は、社会に出た後も引きずり今に至る。  それでも英司は充実していた。イベントに足を運び、グッズを収集し、同人誌を描いては仲間と盛り上がった。やがてコスプレに手を染めた英司は、努力と手間とで確実に高まるコスのクオリティと、それに伴って増える反応の虜になった。もちろん、恋人が欲しくなかったかといえば嘘になる。が、せいぜい可能ならというレベルで、それほど差し迫った欲求でもなかった。  まして、英司の趣味は恋愛とは両立しづらいものだ。それも相手が非オタの場合、理解を得られる望みは皆無と言っていい。恋を取るなら趣味は捨てる必要がある。が、そもそも英司は、それだけの価値を恋愛に見出してはいなかった。  その意味で英司は、世間一般に言われる奥手とは少し違う。恋そのものに臆病だったわけではなく、恋によって支払わされる代償を恐れていたにすぎないのだから……とはいえ、年相応の恋愛経験が足りていない意味では、どっちにせよ奥手であることに変わりはない。 「水沢さんって休日は何をなさるんです?」  不意に質問を投げられ、英司は我に返る。いつの間にか隣の太一と席を交代した真奈が、肩を寄せ、じっと英司の顔を覗き込んでいた。 「へ? きゅ、休日ですか? ええと、」 「映画鑑賞。あと、ショッピングだっけか。な?」  太一に念を押され、何も言うなとの念を受けた英司は「え、ええ」と曖昧に頷く。確かに、ここでコスプレのイベントだの秋葉原で同人誌の渉猟だのと答えた日には、テーブルに吹雪が吹き荒れるのはまずもって間違いない。 「わぁ一緒! 私たち、結構気が合いそうですね」 「へぇ良かったじゃん。そうだ、何なら今から二人で出かけちゃえば?」 「はあ? 何言ってんだ太一、次は二次会、」 「いいのいいの。みんなには後で俺から言っておくからさ。お前は真奈ちゃんと二人で楽しんで来いよ。それに――」  意味ありげに口の端を歪めると、太一は「別にこのままお持ち帰りしちゃってもいいんだぜ?」と、人間を唆す悪い妖精の声で耳打ちしてきた。どうやら太一は、どうあっても英司に恋人を作らせたいらしい。 「でも、本当にいいのか? そもそも俺、ほとんど部外者だし……」 「いいんだって。実はさ、他の奴らには事前に了解を貰ってんだよ。だから気にすんなって、ほんと」 「……うん」  その後は礼儀のつもりで他の参加者に挨拶して回り、一次会が終わると、さっそく英司は真奈を連れて街に出た。時間的にデパートなどの商業施設はすでに閉店しているが、ゲームセンターやディスカウントショップは開いている。とりあえず、ぶらつくだけなら問題はないだろう。 「えーと……どこかご希望は?」 「そうですねえ、逆に、水沢さんのオススメはどこです?」 「オススメ、ですか……」  まさかアニメショップを勧めるわけにもいかず、英司は曖昧に笑う。英司がオタクだとバレた日には、紹介した太一も自動的に疑われることになる。必死に脱オタを図る太一に言わせれば、殺されても文句の言えない話だ。 「ええと……じゃあその、ドラッグストアで化粧品を見るのはどうでしょう……こう見えて僕、化粧品とか見るのが趣味でして」 「化粧品……ですか?」 「あっ、いえあのその、妹が化粧品関連の企業に勤めておりましてその、決して浮気者だとか、遊び人だとか、そういうことではなくてですねアハハハハ」  ようやく安心したのか、真奈は訝しげな顔を解く。  危なかった。自分の引き出しから、女性が喜びそうな話題を必死に探し出してはみたが、普通に考えて、男が女性向けの化粧品を話題にするのはおかしい。そもそも、レイヤーでもない限り普通の男は化粧品には興味がない。このファンデは汗に強いだとか、このアイシャドウを使えば目元により立体感を盛れるだとか、普通の男は考えもしない。  そう、普通の男なら――じゃあ普通とは何だ?  化粧の話もアニメの話もコスプレの話もイベントの話もせず例えば車だとか時計だとかビジネスの話だとかを爽やかに語り合い、二次元の推しではなく現実の女性を愛し結婚し子供を設けてその子供も愛し、推しのグッズの代わりにローンで家や車を買い、休日にはイベントの代わりに妻や子供をレジャーに連れて行く。  それを幸福だと人は言う。テレビも雑誌も銀行の窓口係も、それが男の幸福だと得意顔で宣う――修のような男は、そもそもこの世に存在しないかのように。  いや、それを憤る権利は英司にはない。唯一、あの男を幸福にできるはずの英司は、名前しか知らない女性に気に入られようと必死に媚を売り、今もこうして道化を演じているのだから。  それでも。やっぱり腹が立つ。  あの男を幸せにできない自分に、世界に、腹が立って仕方ない。  いつしか英司は、馴染みのアニメショップのある路地へと入っていた。考え事をしながら歩くうち、つい歩き慣れたルートを辿ってしまったのだろう。 「やだ、何あれ」  吐き捨てるような声に振り返る。見ると真奈が、店頭に置かれた等身大パネルにこれ見よがしの失笑を向けていた。  パネルは現在放送中のケモミミ少女騎士が主人公のアニメで、愛らしいキャラデザとは裏腹な重厚な世界観とハードなサスペンス描写が話題を浚い、早くも今期の覇権と目されている。英司も、今月末のハロウィンイベントでは彼女の仲間である謎の女騎士コスをすべく絶賛準備中だ。 「こういうの、本当にキモいですよね」 「は……」 「大体、いい歳した大人がアニメなんてどうかと思うんです。しかも見るからに男に媚びたデザインで、胸も、あれ何なんです? ありえませんよあんな袋みたいな胸! ああ気持ち悪い。ああいう絵を見ると、私、ほんと吐き気がします」 「あ……ああ、そうですか……」  刹那、英司は息を呑む。たった今、店の中から出て来たのはまさか――  が、よく見るとそれは修でも何でもなく、辛うじて背格好が似ているだけの全くの別人で、ほっと胸を撫で下ろしながらも、同時に英司は確信する。  間違いない。これは恋だ。  理屈など知らない。あの男に惚れる理由など微塵もないし、そもそも英司はゲイですらない。が、こうして街を歩きながら、つい、見知らぬ人間に面影を重ねてしまうのは、やはり、これは恋なのだろう。  ――でも俺は、そういう方法ではあいつを愛せない。  ゲイ向けDVDに抱いた無関心。性的趣味で言えば、英司は紛れもなく異性愛者だ。恋人として選ぶなら、あの男よりも断然、目の前の女性がふさわしい。将来の幸せを鑑みる上でも……だが。 「すみません」 「何です?」 「実は僕、こう見えてかなりガチめのオタクでして。あそこに置かれるパネルの子も、本当は、僕の推しなんですよね」
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