女装レイヤー×陰キャオタク

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 それから三十分後。英司は会社の前にいた。  何となく会社に戻ってしまったのは、このまま家に戻る気になれなかったからだ。オタクをカミングアウトしたことで、真奈に散々な人格否定を受けたせいもある。が、それ以上に今は、とにかく頭を冷やしたかった。日常が染みつく空間で、あの感情が一時の高揚による勘違いではないことを、今一度、再確認したかったのだ。  セキュリティを抜け、エレベーターでいつものフロアに上がる。時刻は間もなく十一時にさしかかるところだが、こんな時間でもオフィスには明かりが灯っている。ただ、さすがに人はまばらで、人のいない一角は明かりが落とされ薄暗い。  それでも見慣れた日常の光景には違いなく、英司は自分の机に座ると、月曜に回すつもりだったレポートのチェックをはじめた。  折しもスマホが着信を告げる。見ると、太一の番号だった。 「もしもし」 『何やってんだ英司てめぇ!』  電話口から飛び出したのは、案の定、怒髪天を衝く怒号だった。 『初日でオタバレとか気でも狂ってんのかよ! おかげでこっちは散々だ! 向こうの幹事からは、よくもオタクを寄越しやがって、なんつって詰められるしよ!』 「あー……うん、ごめん。今度メシ奢るから、それでチャラでいいか?」 『ばっっかやろ! そんなもんでチャラにできると思ったら大間違いだ馬鹿野郎! ったく、人が善意で女の子紹介したらこれかよ。お前、マジで人間として終わってるぞ』  散々な言われように、さすがの英司もむっとなる。そもそも、無理やり英司を合コンに引っぱりだしたのはどこのどいつだ――とはいえ、誘いに乗ることを決めたのは自分で、反論の言葉が見つからない英司は太一の文句を粛々と受け止める。 「……ごめん」 『なぁ英司』 「ま、まだ何かあるのか」 『俺はさ、見ての通りの三枚目だ。合コンじゃ決まって盛り上げ役。お持ち帰りなんか出来たためしもない』 「な……何だよ急に」 『いいから聞いてくれよ。お前はな、恵まれてんだよ英司。スタイルはいいし顔も悪くない。オタクなのに、その気になれば普通にモテるスペックを備えてる。そのお前が、いつまでも独り身でいるとさ、なんかこう、辛くなるんだよ。あいつでも駄目なのかって。あいつのスペックをもってしても、オタクじゃ相手にされねえのかって』 「それは……別に関係ないだろ、オタクかどうかなんて、」 『わかってるよ! わかってる……けど……頼むから俺に夢を見せてくれよ。俺らみたいな人種でも、幸せになれるんだって……』  最後はほとんど縋るように訴える太一に、英司は、これ以上かける言葉を見つけられなかった。太一の言葉は言いがかりもいいところで、英司に言わせれば、太一の望みを叶える義理はひとかけらもない。とはいえ、大学時代どれだけ太一がオタ活に打ち込んでいたかを英司は知っている。あれほど愛した趣味を捨ててまで、恋人を、伴侶を、世間並みの幸福を求める太一の想いは、だから、痛いほど伝わっている。  そんな親友の願いを無下にしたくはない。ただ…… 「俺さ、今、好きな奴がいるんだ」 『……は?』 「でもさ、そいつ男なんだよ。俺も正直びっくりしててさ。何で趣味でもない相手を好きになっちまったんだろうって」  オフィスに戻って、改めて英司はこの感情が一時の高揚ではないことを思い知った。  やっぱりあいつが、修が好きだ。  同性の修を、恋人として愛せるかは正直わからない。それでも、あの男が好きだ。何事にも一生懸命なところや、それがつい行き過ぎてしまうところ。普段は表情に乏しいくせ、ふとした時に無防備に晒してしまう素朴な顔…… 「そういうわけで、俺には、お前が望む幸せってやつを見せてやれないと思う。お前の気持ちは痛いほどわかる。けど、俺には俺の幸せがあるんだ。だからこれ以上、俺にお前の幸福を仮託すんのはやめてくれないか」 『んだよ……それ』 「いや、言いそびれたことは謝る、けど」 『違えよ』  英司の謝罪を、太一は即座に突き返す。 『そういうことは早く言えっってんだよ馬鹿。さもなきゃ合コンなんか――って、まぁ強引に引っ張り出した俺が言うのも何だけどな、ははっ』 「た……太一」  意外な反応。だが、よくよく思い出せば意外でも何でもない。太一は昔から、他人の趣味や性癖には寛容な人間だった。 『それで、相手はお前の気持ちを知ってんのか?』 「いや、それが――」  英司は語った。これまでの経緯を全て。それは懺悔でもあり、同時に、自分の気持ちの再確認でもあった。その上でわかったのは、やはり自分は修が好きなのだという素朴でまっすぐな感情だ。  同性でも修が好き。  そのシンプルな事実を受け入れきれずにいただけで、本当は、ずっともっと以前から修を愛していたのだろう。 『なるほど、確かにそいつはややこしいな』 「ああ。だろ?」 『けどまあ、入り口はアレだったにせよ出口としては見えているからいいんじゃねえの? みけおちゃんはお前が好き。んで、お前はみけおちゃんが好き。あとは、お前がみけおちゃんに告白すりゃ無問題、じゃね?』 「は? こ……告白?」 『ん? 何だよ』 「い、いや……」  言われて改めて、そういえば一度も修への告白を想定しなかった自分に気づく。やはり、心のどこかで覚悟できずにいたのだろう。同性を恋人に持つことを。 『怖いのか?』 「ははっ、どうやらそうみたいだ。笑っちまうよな。好きだの何だのと言って、結局は怖いんだ、あいつとの新しい関係が」 『いや、怖いのは当たり前だって。まして相手は会社の同僚だろ? 拗れたら面倒だし、それに、まあ、こんなことは言いたかねえが、オフィスじゃ同性カップルってのは嫌でも好奇の目を集めるだろうしな。……逆に言えばさ、それだけ真剣にみけおちゃんのことを考えてあげてるってことだろ? もっと自分を誇れよ、英司』 「で……でも、いつかはその――」 「水沢さん?」  意外な声に振り返る。瞬間、英司は目を疑った。  なぜだ。  どうして、今、お前がそこにいる…… 『どうした、英司』 「悪い。またかけ直す」  電話を切り、スマホを懐にしまい込む。椅子を立ち、改めて薄闇の奥にある入り口を見据える。が、今度は見間違いではない。そこにいたのは、今はまだインドにいるはずの修だった。 「し……篠山?」 「水沢さん、こんな時間に、どうして……」  重そうなスーツケースをごろごろと引きながら、怪訝顔で修が問うてくる。  サイズの合わないよれよれのスーツ、ぼさぼさの髪、よく見ると端正な顔。ただ、その顔は今はひどく窶れて、スーツも普段以上にくたびれている。全身を覆う深い憔悴の色は、この半月の出張が恐ろしく過酷なものだったことを暗に伝えていた。  これは奇跡だろうか。  英司の願いを、見えない誰かがこっそり叶えてくれたのだろうか。まるで、サプライズのバースデーケーキのように。 「お前こそ……もう帰国していたのか」 「え、ええ。ついさっき成田に……でも水沢さん、本当に、どうして」 「ちょっとな。やり残した仕事を思い出して」 「だ、だからって……もうすぐ終電ですし、帰宅なさった方がいいと思いますよ」 「それを言ったら、帰国早々家に帰りもせず会社に来るお前は何なんだよ」 「それは……げ、月曜までに、まとめておきたいレポートがあって、それで……」  そして英司は、逃げるように自分の席に着くと、さっそくリュックからUSBメモリを取り出し、会社のパソコンに接続する。あくまでも英司を拒むつもりらしい。ただ、それが英司を嫌ってのことではなく、修なりの精一杯の気遣いだとわかるから、余計にいじらしく、苛立たしい。  いつもそうだ。不器用すぎて空回る善意。  ただ、それが今はどうしようもなく愛おしい。  ――あとは、お前がみけおちゃんに告白すりゃ無問題、じゃね? 「少し……お前に話があるんだが、いいか?」  その言葉に、弾かれたように修は振り返る。仕事上の問題と勘違いしているのか、その顔はさっきにも増して蒼褪めている。 「まさか……僕のいない間に、何かトラブルでも?」 「いや。そうじゃない……」 「そうですか」  ほっと胸を撫で下ろす修に、英司は気まずさを募らせる。やはり気まずい。この流れで、この雰囲気で想いを打ち明けるのは……でも。  ここで言わなければ、一生伝えられない気がする。  見ると、いつの間にかオフィスは二人を除いて無人と化している。がらんと広い闇の中、その一角だけぽつんと明かりの灯るそこは、まるでスポットライトに照らされる舞台の一幕のようだ。 「好きだ」 「えっ?」 「俺と、付き合ってほしい。……恋人になってほしい」 「……」  返事はなかった。修は、眼鏡の奥の瞳をビー玉のように丸く見開いたまま、ただ黙って英司を見上げていた。  そんな修の頬に、気付くと英司は手を伸ばしていた。  理由はない。ただ触れたかったのだ。激務で窶れた頬に。南国の太陽に焼かれてもなお雪のような白さを保つ肌に。やがて指先が頬に届くと、大理石のような冷気と、そして、わずかに伸びた髭がそりっと触れた――と、ようやく我に返ったのだろう、修は、慌てて立ち上がり身を引く。  その顔は、普段の能面が嘘のように驚きと狼狽をダダ漏らしにしている。 「あ、あの、おっしゃる意味がよく……そ、そもそも僕、男ですし……」  だから何だ、と机を叩きたくなるのを英司は堪える。確かに、身体の方の愛情にはまだ若干の不安がある。が、それもいずれ克服してみせる。だから―― 「関係ない。とにかく、俺はお前が好きなんだ」 「で、でも水沢さん、へ、ヘテロ……異性愛者の方ですよね? み、見ればわかります。そのあなたが、ど……どうして僕なんです。どうして……」 「好きになるのに、いちいち理由なんか要るのか」  その言葉に、気圧されたらしい修は唇を噛んだままぐっと黙り込む。ようやくこちらの言葉を聞き入れてくれたのか―― 「必要なんです。僕にとっては」  それは、つい今しがたまでの狼狽が嘘のような、毅然とした口調だった。よく見ると、その顔もいつの間にか普段の能面、いや、普段にもまして強い目と貌とでじっと英司を見据えている。 「お察しのとおり、確かに僕は同性愛者です。ですが、だからこそ僕は、僕のような人間の生きづらさをよく知っています。……確かに、同性愛や同性愛者への理解は、近年は随分と広がっています。ですが、まだまだ不自由な点は多いですし、そうでなくとも、諦めなくてはならない幸福は多い。それだけのデメリットを、ただ好きになったからという、そんな安易な理由で引き受けてもいいんですか」 「安易な? お、俺はこれでも――」  考えた。悩んだんだ。おそらくは修が想像するよりもずっと深く。その上での決断を、安易などという一言で片づけられるのは、それこそ心外だ――  だが。  言えない。言えるわけがない。これまでの葛藤は全て〝わかめ子〟の存在なくしては語りえない話だ。〝わかめ子〟の仮面があったからこそ、英司は修の気持ちを知ることができた。が、それは、修の心を覗き見る卑怯な行為にほかならない。  目の前の男が〝わかめ子〟だと明かせば、間違いなく修は傷つくだろう。 「ないんですか、理由」 「理由は……言えない」 「そうですか。じゃあ……お断りします。そもそも、あなたはタイプでも何でもありませんし」  言い捨てると、修は急に荷物をまとめはじめる。そのままパソコンの電源も落としてしまうと、荷物を抱え、オフィスの入り口に足を向けた。その背中を、仕事はどうしたと呼び止めかけた英司は、咄嗟にその言葉を呑みこんだ。  すれ違う修の目は、早くも涙に濡れていた。
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