女装レイヤー×陰キャオタク

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 日本を代表するゼネラルコンストラクチャの雄、東洋建設。その営業部の若きホープである水沢英司には、人様には決して公言できない秘密の〝貌〟があった。 『今日はEGOの浴衣ジャンヌを宅コスしたゾ♪』  今しがたパソコンで加工を終えたばかりの写真を、さっそくツイッターにアップする。写真はあっという間に拡散され、衣装を脱いで化粧を落とした頃には、早くも三桁近くのいいねが集まっていた。 「おー、いい感じ」  脱ぎ終えた衣装をハンガーラックに収めながら、英司はにんまりする。  もっとも、こんなものは別段特別な光景でもない。フォロワー数約十万、今やコスプレ界ではその名を知らぬ者はない女装レイヤー〝西園寺わかめ子〟にしてみれば、この程度は造作もない数字である。  透けるような白肌と、高く形の良い鼻梁。長く密な睫毛と、その奥で瑠璃のように輝く碧眼。写真では北欧風の清らかな美少女にしか見えない彼女が、まさか三十路手前の日本人のオッサンだと誰が想像できるだろう。もっとも、英司は最初から〝わかめ子〟が男であることをネット上で公言していて、今更妙な勘違いを起こすファンは皆無――というわけでもなく、それでも女と信じてDMで交際を求める男や、己の決して立派ではないアレの写真を送り付けてくる変態もいるにはいて、ただ、そうしたバカはその都度ブロックするか晒して笑いものにする程度のネットしぐさを備える英司は、今のところは深刻なトラブルに見舞われることなくレイヤー人生を謳歌している。  とはいえ、否、だからこそ英司は、ネットに素顔を晒したことは一度もない。  英司の顔は、決して醜くこそないが目立たない、強いて言えば華に欠ける顔立ちをしている。男にしては骨格の主張に欠けるつるりとした玉子顔と、切れ長の……と言えば聞こえはいいが、平安貴族じみた素っ気ない一重瞼。それを普段は流行りの髪型と、人当たりの良い笑顔とで何とか底上げしているものの、土台そのものは決して恵まれているとは言えない。  だが、ことコスプレに関して言えば、この淡白すぎる顔立ちはまさに才能と呼ぶべきお誂えの素材だった。  英司の無個性なモブ顔は、メイク技術さえ許すならあらゆる人種、性別のキャラに易々と対応した。とりわけ女装はツイッターほか各種SNSでも大いに受け、反応の良さについ好い気になって繰り返すうちに、いつしか英司は、いや〝わかめ子〟は、界隈では有名な女装レイヤーとしてその名が知れ渡っていた。  そんなわけだから、仮に英司を知る人間が中身を知らないまま〝わかめ子〟のファンになることも、まぁ、ありえない話ではなかったのだろう。 「ん?」  通知欄を眺める目が、ふと、見慣れたアイコンを捉える。彼の最推しである〝プリティ☆キュアキュア〟の主人公ハッピーベリーのスクショ画アイコンは、刻々と届く通知の中にあっても決して見誤ることはない。それにしても、アップから十分足らずでいいねとRTを寄越すリアクションの速さはさすがツイ廃……もとい、ファンの鑑である。  鑑――そう、初めてフォローされた二年前から〝みけお〟は一貫してファンの鑑だった。  いいねとRTは当たり前。時に熱のあるコメントでモチベーションを支え、時に厄介なトラブル処理を〝わかめ子〟の代わりに引き受けてもくれた。見当違いなパクリ疑惑で見知らぬ絵師が絡んできた時には、英司の代わりに論戦を引き受け、完膚なきまでに相手を叩きのめした。また〝わかめ子〟がコスプレのまま女子更衣室に侵入したなどと囁かれた時も、諸々の証拠からそれがデマであることを証明し、しかも、噂の火元である女性レイヤーから謝罪の言葉まで引き出した。  いっそ怖いほどの献身。だが〝みけお〟に言わせれば何ら特別なことではなく、単に目の前の不正を見過ごせなかったからそうしただけだという。しかも、それを盾に個人的な親密を求めることはせず、あくまでファンとしてのわきまえを保ち続けるその振る舞いは、もはや騎士と呼んで差支えはなかった。  だからある日、ふとした会話をきっかけに彼が苦しい恋路を打ち明けた時は、むしろ前のめりで相談に乗った。 〝みけお〟が想いを寄せる相手、それは同じ会社の、隣に座る男性社員だった。  今でこそ社会全体の偏見も和らぎつつある同性愛。だが、個々人同士の話となると厳しい点は多い。そもそもの大前提として、相手との性癖が合致しないかぎり恋愛は成立しない。相手が同じ同性愛者なら後は趣味の問題になる。が、相手がもし異性愛者なら、アプローチの権利すら与えられずに終わるのだ。  それでも英司、いや〝わかめ子〟は真摯に〝みけお〟の相談に乗った。これまで世話になった恩もある。が、そうでなくとも〝みけお〟が吐露する想いはいつもまっすぐで、誠意と思いやりに満ちていた。そんな〝みけお〟の恋を、いつしか英司は我が事のように見守るようになっていた。もし相手の男がバイでもいける口なら、一度でいい、どうか〝みけお〟に振り向いてほしいと、冗談ではなく本気で願いはじめていた。  片づけを終えると、冷蔵庫から発泡酒を取り出しぐびりと呷る。収納の多さに惚れこんで選んだ駅近の1LDKアパートは、入居当初こそすっきりと片付いてはいたものの、今では衣装やウィッグ、それらを制作するための工具類でみっしりと埋まり、もはや倉庫と見分けがつかない。唯一片付いているのは自撮りの背景として使うリビングの一角のみで、いつか処分しなければとは思うものの、つい面倒が勝って手をつけられずにいる。  そんな我が家の壊滅的な状況も、現在、英司が置かれる奇妙な状況に比べればまだマシだったのかもしれない。  よりにもよって、俺だったとはなぁ……  英司が〝わかめ子〟として応援した〝みけお〟の恋の相手、それは、他ならぬ英司本人だったのである。
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