女装レイヤー×陰キャオタク

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「いやいやいや、ただの偶然だって……」  すし詰めの電車に揺られながら、あの日以来、もう何度目かになる呟きを英司は繰り返す。  修が夏コミに現れたことも、渡された差し入れ用のボトルに〝みけお〟と書かれていたことも――何なら〝みけお〟へのDMに修がタイムリーな反応を示したことも、何もかも偶然、天文学的偶然の結果だ。  もちろん、苦しい言い訳ではある。諸々の状況証拠は、すでに〝みけお〟=修の事実を裏付けていて、生半な希望的観測では覆しようがない。  それでも一つだけ、英司がなお縋りうる事実があった。  これまで英司は、修から恋愛感情らしきものを感じたことが一度もなかった。  あえて無視をしていたわけではない。むしろ修のことは、地味だが飛び抜けて優秀な同僚として人並み以上にチェックしていた。仕事中の態度はもちろん、例えば近所の本屋で偶然その姿を見かけたときには、どんな本を手に取るのかと密かに尾行したこともある。その程度には修の言動に注意を払ってきた英司が、彼の放つ恋の波動(仮称)にだけは気付けなかったということが、果たしてありうるだろうか。  ところが修ときたら、恋の波動(仮称)どころか喜も怒も哀も楽すらもなく、年がら年中変わり映えのしない顔を英司の隣に並べている。会話も、業務上必要な場合を除けばほとんど交わさない。女子社員が陰で囁く「アンドロイド君」のあだ名は、修には悪いがじつに的を射ている。  そのアンドロイド君と、日々〝わかめ子〟に切ない恋心を打ち明ける〝みけお〟とが英司の中で結びつかないのも、また事実ではあった。  ようやく職場の最寄り駅に到着する。一応はターミナル駅に属するこの駅では、電車の乗り降りすら命がけだ。ホームに吐き出される乗客の波に揉まれて電車を降りれば、東洋建設が所有する自社ビルまでは地下道を歩くこと約五分。ビルは築三十年の四十階建てRC造りで、建造時が建造時だけにバブルの残滓と呼ぶべき無駄に贅沢な意匠が随所に凝らされている。そんなバブル臭漂うエントランスをくぐり、ロビーでセキュリティのチェックを受ける。そのままエレベーターホールまで小走りで駆けると、折しも一台のエレベーターが扉を閉じるところだった。 「の、乗ります!」  その声に、中の人間が気づいたのだろう。一度は閉じかけた扉が再び開き始める。その戸口に勇んで飛び込んだ英司は、そういえば今朝のテレビ占いで、今日は自分の星座の運気が散々な言われようだったな、と、どうでもいいことを思い出していた。  エレベーターの先客は、篠山修だった。 「お、おう、さんきゅ……」  何とも言えない気まずさに、英司はそそくさとエレベーターの隅に収まる。一方の修は、相変わらず何を考えているのかわからない能面で「いえ」と短く答えると、何事もなかったように階数ボタンのパネルへと目を戻した。  ――本当に、こいつは〝みけお〟なのか……?  少なくとも今の修は、想い人とエレベーターに二人きりで乗り合わせる片思い中の男子には見えない。横顔には何のときめきも恥じらいも動揺すらもなく、チベットスナギツネの無表情で黙々と手元のスマホを弄っている。  ――これで、もう少し笑うなりすれば可愛いんだが……  実際、修はそれなりに可愛い顔立ちをしている。長い睫毛と、よく見ると整った顔立ち。普段は真一文字に引き結ばれているが、たまに緩むと愛らしい小ぶりの唇。肌は男にしては透明感があり、おまけに夏でもやたらと白い。まさにインドア系オタクの鑑だ。あとは髪型さえ何とかして、スーツを既製品からオーダーメイドに切り替えれば、この、歩く野暮といった印象もがらりと変わるだろう。否、それはオタクの義務なのだ。一般にオタクがキモい臭いと叩かれるのは、実際、オタクの中にそうした無精者が多いからだ。オタクへのマイナスイメージを返上するには、まず、オタク一人一人がオシャレをし風呂に入り美容院でいい感じに髪を切ってもらわなければならない。少なくとも英司は、そうしたエチケットを己に課している。  ――まぁ俺の場合、オタバレしたらその時点で人生詰むからな……  やがてエレベーターが目的のフロアに到着する。扉が開き、足を踏み出した英司は、折しも同じタイミングで戸口に踏み出した修と肩がぶつかってしまう。 「わ、悪い――」  瞬間、英司は見てしまった。  いつもの蒼白い顔を、耳の先まで真っ赤に染める同僚の照れ顔を。 「す、すみません!」  弾かれたように飛びのくと、修は逃げるようにオフィスへと駆け出す。その、意外にも俊足な修の背中をぼんやりと見送りながら、英司は、たった今目にしたものが意味する事実をまざまざと噛みしめていた。  ――やっぱり〝みけお〟だったんだ……あいつ。  と、同時に英司は自覚する。  何も考えず、どうせ他人事だからと無責任に修の恋を煽り立ててきた自分の罪を。
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