女装レイヤー×陰キャオタク

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 そう、英司は無責任だった。  これまで英司は〝わかめ子〟として修の恋を応援し続けてきた。修の心が折れかけるたびに膝を上げろと激励し、周囲の無理解な環境を嘆くたびに、味方ならここにいるぞと声を張り上げてきた。  だが。  それは〝みけお〟の想い人が、見知らぬ赤の他人だったからこそ出来たことだと今ならわかる。マイノリティに理解ある自分を示すため、あるいはもっとシンプルに、誰かの努力を応援したくて。なぜなら人は基本的に善人でありたいものだし、善人でありたければ、時代に合わせた価値観に自分をコミットさせる必要がある。今の時代、それはマイノリティへの理解であったり、他者の幸福を素直に祝福する心の余裕であったり。要するに、善人であろうとするなら〝みけお〟の恋を応援する以外の選択肢はなかったのだ。  そんな、上っ面だけの善人ムーブから発せられたメッセージを、修が日々の励みにしていたのかと思うと、それだけで英司は胸が張り裂けそうになる。 「……くそっ」  ビル一階のカフェで、コーヒーを啜りながら英司は溜息をつく。窓の外は今日も雨。これで三日連続の雨天だ。予報によると明日も雨らしい。フィリピン近海で発生し日本に接近しつつある台風一三号の影響だそうで、その強い低気圧が北から秋雨前線を引きずり、それが日本に長雨をもたらしているらしい。  その、夏にしてはひどく寒々しい雨は、今の英司の陰鬱な心に妙に馴染んだ。  そもそも英司は、同性を恋愛対象として見ることができない。これまで好きになった相手は全員女性で、もとより同性はストライク圏外だ。それは、〝みけお〟が恋した誰かも同じだったのかもしれず、〝みけお〟の想い人が同性愛者とは限らなかった以上、やはり無責任の誹りは免れないだろう。今こうして自分が背負う苦悩を、見知らぬ誰かに押しつけようとしていたことは紛れもない事実なのだ。  今にして思えば、たとえ心を鬼にしてでも諦めさせるべきだったのだろう。修のためにも、彼が心を寄せる相手のためにも……  気分転換のつもりでツイッターの通知画面を開く。先日上げたコス写真には、今や五桁ものいいねが寄せられている。が、普段なら承認欲求を満たしてくれるこの数字も、今回は何の喜びも英司にもたらさなかった。  ――まぁ、中の人間がこの体たらくじゃ、な。 「ぅおっ!?」  不意にスマホが着信を告げ、英司は慌てる。  見ると、それは英司の旧友、安西太一の番号だった。高校の頃はよく一緒に秋葉原巡りをし、大学に入ると一緒にコミケで同人誌を出しもした。今は都内の某メガバンクに勤め、一頃のアレっぷりが嘘のように垢抜けているが、それでも、英司がオタバレを気にせず付き合える数少ない友人の一人だ。 『よう英司。元気してっか?』  案の定、電話口から聞こえてきたのは太一の声だった。 「ま……まぁな。ぼちぼちだよ」 『ん? どうかしたか?』 「あ、いや。それよりお前、こないだのイベントは来なかったのか? せっかくお前の好きな作家さんが五年ぶりに続編出したってのに」 『あー……そうだっけ?』  さも興味がなさげに相槌を打つ太一に、英司は自分の迂闊さを後悔する。ああそうだ。もう太一はオタクから足を洗っていたのだ…… 『まぁいいや。それよりお前、今度の土曜日空いてるか?』 「えっ? あ、えーと……何で?」 『いやさぁ、今度、取引先の秘書課の子らと合コンするんだけど、俺らだけじゃどうしても面子が足らねぇんだわ。んで、誰でもいいから知り合いのイケメン連れてこいって言われて、お前の経歴と写真見せたら即オッケー貰っちゃってさぁ』 「は? いや待てよ。なに勝手に俺の写真見せてんだ」 『いいじゃねぇか。別に、人に見られて恥ずかしい顔でもねぇんだしさ』 「そういう問題じゃねぇだろ馬鹿!」  友人とはいえ、さすがにこの扱いは無神経が過ぎる。ところが太一は、そんな英司の怒りもどこ吹く風らしく、あははと呑気な笑いを電話越しに響かせる。 『で、どうなんだよ、空いてんのか?』 「いや……そんなこと、急に言われてもだな……」  一応、予定自体は空いてはいる。が、いかんせんこの流れで誘われても、そうほいほいと応じる気にはなれない。そうでなくとも週末は、社会人レイヤーが衣装づくりに費やせる貴重な時間的リソースだ。それを、顔見知りでもない人間との飲み会で浪費するなど、愚の骨頂と呼ばずに何と呼べばいいのか。 『なに渋ってんだよ。ひょっとしてアレか? 衣装作りか?』 「あ、ああ……そうだよ。悪いか」 『あのなぁ』  電話越しに超特大の溜息が届く。やはり英司の返答に呆れているらしい。 『いい加減、俺らも三十だろ? コスプレとかアニメだとか、そういうのではしゃげる歳でもなくね?』 「は?」 『とにかく、早く彼女の一人でも作れよ。コスプレもいいけどさ』 「いや、なに言って――」  抗議の言葉は、しかし、唐突な話中音にあえなく遮られる。が、もはやかけ直す気にもなれない英司は、太一のラインに『俺は行かないからな』とだけ打ち込むと、テーブルにスマホを投げ出し、カップに残ったコーヒーを一気に呷った。  カップをごみ箱に捨て、店を出る。  さすがに英司も、いつまでもこんな趣味を続けられるとは思っていない。容姿の衰えは問題ではない。そんなものは化粧でいくらでもごまかせるし、年を取ったら取ったで出来るコスもあるだろう。むしろ問題は、モチベーションそのもののの低下だ。  オタクはいずれ卒業するもの。そう認識するオタクは少なくない。英司のコス仲間も、年を追うごとに一人、また一人とこの世界から足を洗っている。所謂〝真っ当な社会人〟として成熟した彼らは、やがて結婚し、子供を設け、いつしか自分がオタクであったことすら忘れてゆく。太一がそうだったように。  それが本当に幸福な生き方なのか、それは、この際問題ではない。問題は、英司の中で歳を追うごとに焦りが増しつつある事実だ。  自分はこのままで良いのだろうか。  いつまでこんなことを続けられるのだろう。続けて良いのだろう。 「……いや」  とりあえず目下の問題は、修の件をどう片付けるかだ。この件が片付かない限り、他の問題を背負い込む心の余裕は英司にはない。  とはいえ……一体、どうすればいい?
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