女装レイヤー×陰キャオタク

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 妙なことになった――  そう内心で独りごちながら、水沢英司はオフィスの机でトクホ印の健康緑茶をぐびりと呷る。  細身のスーツが包む、すらりとした長身は肥満体とは程遠い。が、英司には、これ以上太ることができないある個人的な事情があった。それが今朝、洗面所のヘルスメーターで一週間ぶりに体重を測ったところ、盆休み前に比べて二キロも増量していた。夏の山場を済ませて気が緩み、ついつい暴飲暴食に走ったせいだろう。  このままでは今後の活動に差し障りが出る。――が、そんなものは、目下の案件に比べればまだ些末な問題だった。  折しも、ツイッターのDM欄に新たなメッセージが届く。件の相手からのそれだ。 『こんにちは。昨晩はお忙しい中、またしても相談に乗って頂き本当にありがとうございます。わかめ子様のアドバイスにはいつも助けられております。難しい道のりではありますが、今後もわかめ子様のお言葉を励みに頑張りたいと思います』 「励みに……か」  えもいわれない罪悪感が、じわり胸に広がる。  アカウント名〝みけお〟(現在は〝みけお@夏コミお疲れ様でした〟)とのやりとりは、年始以来、かれこれ半年近く続いている。丁寧かつ礼儀正しい文面は、やや慇懃すぎるきらいはあるものの決して嫌味ではなく、ツイッターを介して繋がるユーザー同士のそれとしてはむしろ模範的と言えた。やりとりから伝わる誠実さも充分に好感が持て、単純に、一人のネットユーザーとして見れば何ら問題のない相手だ。  そう、これが単なるネットを介した友人だったなら――  コンビニのわかめサラダをものの一分で食べ終えてしまうと、空になったトレーを前に英司は小さく溜息をつく。ダイエットのためとはいえ、さすがに成人男子がコンビニサラダ一つで昼を凌ぐのは厳しいものがある。本当は肉汁滴るステーキやトンカツをがっつりいきたい。だって男の子だもの。しかし、これも次のイベントに向けた下準備だと思えば、今はただ忍耐あるのみ――  ぐうううう。 「あの」  振り返る。それまで英司の隣の机でちまちまと弁当をつついていた同僚が、何の変哲もない板チョコを無造作に差し出していた。 「食べます? デザートのつもりで買ったんですけど、その……もうお腹いっぱいで」 「お……おう、ありがと……」  受け取り、軽く頭を下げる。一方、チョコを恵んだ同僚は何事もなかったように机に向き直ると、ふたたび昼食を再開する。握りこぶし大の弁当箱をちまちまとつつく食べ方は、これが可愛い女子社員なら英司の胸をときめかせもしよう。が、生憎と相手は男、しかも英司と同じ二十九歳独身で、さらに付け加えるなら伸び晒しの黒髪とダボダボのスーツ、野暮な太縁眼鏡が鬱陶しい同僚のそれなら、悲しいかな胸キュンもくそもあったものじゃない。  スマホに目を戻す。DM欄に〝みけお〟から新しいメッセージが届いていた。 『初めてプレゼントを受け取ってもらえました! 贈ったのは普通の板チョコなんですけど……、、、』  横目で同僚を盗み見る。普段と変わらない俯きがちな横顔からは、感情らしい感情は一切伺えない。そもそも、普段から極端に喜怒哀楽の表現が薄いこの男が、あからさまに怒り笑う姿を英司は見たことがない。  あれは、やはり何かの見間違いだったのだろうか。いや―― 『おう、頑張ったな!』  打ち込み、送信。やがてDM欄に自分のメッセージが表示されたのと時を同じくして、 隣の男が、「んっ」と唸り、やがて、ふぅぅぅぅと気持ちの悪い溜息をつきながら机に突っ伏する。  ――同僚相手に、何やってんだろ、俺。  貰い物とはいえダイエット中で食べられないチョコを茫然と見下ろしながら、そんなことを英司は思った。
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