食われたあとは。

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「ねえそこのお姉さん。ちょっといいかな?」  とある夏の日の夜遅く。日課であるウォーキングをしていた25歳の女性は、人気のない公園で声をかけられた。 「え、私? 何の用で――ひぃっ!」  声に反応して振り返った女性は、その先にいた少年を見て悲鳴を上げる。  鋭い牙。彼女を呼び止めた少年には、そんな異様なものが生えていたのだ。 「お姉さん、かなりいいモノを持ってるね。ソレ、もらうよ」 「そ、それって、なに……? や、やだ……っ。来ないで……!」 「見つけちゃったからには、見逃せない。悪いけど行くよ」  金髪碧眼の少年はニヤリとした笑みを携え、恐怖で動けなくなっている女性に近づく。そして美しい瞳を不気味に細めると、ガブリ。その口にある鋭い牙を、女性の首筋につきたてた。 「ぁぁぁぁぁっ……! やめっ、やめ、て……っ! 離して……っっ!!」 「それは、無理だ。これからもっと苦しい思いをする事になるけど、ごめんね」 「く、くるしい……? なにが起き――ぁぁぁ!!」  突如。女性の頭の中で、記憶が蘇る。  それは女子校時代、同級生にイジメられた記憶。  彼女は雑誌にスカウトされるほど容姿が整っており、それを周りに疎まれイジメの対象となってしまった。その結果女性は高校生活のほとんどをイジメと共に過ごし、それは今でも彼女のトラウマとなっている。このせいで彼女は今なお日常生活にも支障が出ており、女性が毎日仕事のあとにウォーキングを行っているのは自律神経を整えるためだった。 「ど、どうして今、思い出すの……っ!? 苦しい……っ。怖い……っ。辛い……っ。逃げたい……!」  負の記憶が容赦なく蘇り、咬まれた痛みとは異なる理由で涙がこぼれ出す。  靴を隠されたこと。トイレで水をかけらたこと。ノートと教科書を破られたことなどなど。地獄のような出来事が浮かび上がってきて、女性は正気を失いかけていた。 「な、んで、出て、くるの……? あの時のことは、もう、思い出したくなかった、のに……。忘れようとして、たの、に……。なんで、なの……?」  途切れ途切れに力なく問いかけるが、誰も答えてはくれない。傍にいる唯一の存在である少年は、今も牙を突き立てていて何もしゃべらない。 「なぜ……? なぜなの……? なぜ、なの……?」 「………………」 「もう、い、や……。いまもむかしも、わたしをくるしめる、きおく……。なぜ、よみがえる、の……?」 「………………」 「ね、え。あなたは、わたしを、ころすんでしょ? このまま血をすって、ころすんでしょ?」  女性は自身の首に縋る少年を、力なく見る。 「だったら、このきおくも、すいとって……。しんだあともくるしむのは、いや、だから……。なにもかもを、すいとってよ……」 「…………。そいつは出来ない相談だね」  少年が咬み付きながら、久し振りに声を発した。 「最期のねがいくらい、きいて、よ……。どうして、だめ、なの……?」 「理由、ね。それは――1度離れてから説明しよう」  不意に首から牙が引き抜かれ、開放された女性は崩れ落ちるようにしてその場に座り込む。  女性の首筋には二つの穴があったが、身体の機能に異常はなし。記憶の蘇りで心音と顔色は酷いものとなっていたが、命に別状はなかった。 「……あなた、なんのつもり……? ころすんじゃ、なかったの……?」 「ん? 誰がいつ、『殺す』なんて言ったのかな? オレは『苦しい思いをする事になるけど、ごめんね』としか言ってないよ?」 「だっ、だったら! どうして私をあんな目に遭わせたのよっ! いきなり牙をさされて――あれ……?」  せめてもの抵抗、なのだろうか。少年を鋭く睨み付けていた女性が、首を傾ける。 「私……どうして、泣いていたの……? さっき、何か辛くて苦しい過去を、思い出してたような気がするのに……。思い出せない……」 「それはそうだろうね。あなたの暗い記憶は、オレが食べたんだから」  戸惑う女性のオデコをツンと突っつき、少年はその指を自分の口へと持って行った。 「さっきの『何もかもを吸い取れないのはどうしてか?』への返事の続きをすると、オレは『食負鬼(しょくふき)』だから。人にある負の記憶を喰らって生きていく生き物だから、他のものは吸い取れないんだよ」 「負の記憶を、喰らう……。だから私の、記憶が消えてる……?」 「そういうこと。あれはお姉さんの中から記憶を奪うために吸い出していたから、ものすごい勢いで蘇ってたってワケだ。大変だったとはいえ、忘れたい過去が消えてよかったでしょ?」 「…………そうね。その通りだわ。ありがとう」  女性にとってそれは、何よりも厄介なもの。そのためすっかり『恩人』という認識になっていて、少年へと頭を下げた。 「あれはきっと、今も私を苦しめる記憶だった……はず。感謝します」 「こっちは腹を満たすために動いただけで、お礼を言う必要はないよ。むしろ上質なものを持ってたから礼を言うのはオレの方で、最高の負をありがとう」  少年はイタズラっぽく笑い、金髪を揺らしながら反転。女性に背を向け、静かに歩き始めた。 「満腹になると眠気が酷くなるから、そろそろ帰るよ。じゃあね――と、そうだ。その前に一つ」 「??? なに?」 「今までよく、こんなものを抱えてやってこれたね。貴方の心の強さに敬意を払います」  ふと少年の顔の性質が変化し、大人びたものになった。 「こんな『重り』をかかえてこの現状なのですから、これから貴方の人生はもっともっと素晴らしいものになるでしょう。貴方の生涯が薔薇色でありますように」  少年は優しく温かい瞳で微笑み、ふわり。彼はそっと、夜の闇に溶けていったのだった――。 
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