8人が本棚に入れています
本棚に追加
煩わしいことを思い出したなぁ、と少し大きくエラを動かした。私の人生はそればっかりだ。今は自分のためだけに生きているような気がするが、前の私はどう生きて行こうと思ったんだっけ。いつだって、それこそ、物心ついたころには心配ばかりしていた。誰かに暴力されたとかそういうわけではなかったと思う。気付いた時には喧嘩が嫌いで、それが自分に降りかかることが考えられないほど怖かった。だから、ずっと、諍いを避けるために過ごしていた。理由は思い出せないから、多分生来、私は鮟鱇みたいなやつなのだ。鮟鱇の体には、鱗らしい鱗がなくて、ふにゃりとしている。簡単に傷付いてしまう。
でも、世の中は鮟鱇にとって生きにくい。もともと鮟鱇は、群れで生きるものじゃない。私には私の生き方があるのに、人間の群れは人間として生きることを私に求める。岩にくっついたヒトデが、のんびりのんびり進んでいく。このヒトデも、人であったことがあったのだろうか。
日が落ちる。とぷんとぷんと暗くなる。海の夜は真っ暗だ。真っ黒だ。電気の光に囲まれた生活に慣れた私は、この墨汁みたいな光景にまだ慣れない。
魚というのは頭の近くと、体の横で音を聞くのだと、この体になって初めて知った。人間だったころよりも、遠くまで、より詳細に、クリアに音を聞き分けられるようになった。音というのは、空気中より水中のほうが早く届くのだったっけ。そのコンマレベルの差を理解できるつもりはないけれど、この体で音楽を聞いたら、本当に全身しびれてしまいそうだなと思う。そんな機会はないだろうけど、音の粒が弾けるのを体中で感じられたら、きっとすごく気持ちいいだろう。
最初のコメントを投稿しよう!